ゆいま~る中沢 暮らす人々の声

「ゆいま〜るで過ごした幸せな日々」、看取りも葬儀もすべて行える喜び---グループハウスでの夫婦2人の看取り



慢性閉塞性肺疾患の持病のある夫と、アルツハイマー型認知症の妻。夫婦2人で「グループハウス中沢」に入居し、2017昨春、ともに旅出たれた鈴木さん夫妻。このご夫妻のハウスでの約9カ月間の暮らしをゆいま~る中沢のスタッフが振り返った。改めてグループハウスの役割、看取りの大切さを皆さんと共有できたらと言う。


執筆●舩原綾(ゆいま〜る中沢スタッフ)


鈴木夫妻と娘の平野利美さん

4年間で1 0名の方を看取る

ゆいま∼る中沢は、 東京都の多摩ニュータウンの医療・福祉ゾーンに2013年に誕生。サービス付き高齢者向け住宅と住宅型有料老人ホーム「グループハウス中沢」の2つの棟からなり、河北医療財団多摩事業部が運営するクリニック、訪問看護、訪問診療、グループホーム、小規模多機能型居宅介護施設を併設している。 医療と介護の充実した連携体制が整っており、 安心して住み続けられる環境がある。

グループハウス中沢はショートステイを含め全27室。施設とは違うアットホームな雰囲気と、自分の家にいるような環境が「グループハウス」という名前に反映されている。元気なときから入居でき、 看取りの体制も整っていて、 4年間で10名の方を看取った。

超高齢社会を迎え、 病院から在宅へと看取りの場が変わりつつある今、家族や自らの死について、 どこでどのような死を迎えたらよいのか、考える方は多いだろう。そこでグループハウス中沢ではどのような看取りを行っているのか、 一昨年ご夫婦でハウスに入居され、 昨年逝去された鈴木新さんと和子さんの例を、 娘の平野利美さんの協力のもとご紹介したい。

「すべてが揃っていて救われた」、看取られて葬儀まで

鈴木さん夫妻がグループハウス中沢に入居されたのは2016年。 新さんには慢性閉塞性肺疾患(COPD) の持病があり、 2013年に在宅酸素療法(HOT)を導入した後も、肺炎や心不全による入退院を繰り返していた。 一人娘の利美さんは自宅のある八王子市と両親の住む江戸川区を行き来しながら、 同居している義両親の介護もしていた。

2014年に和子さんがアルツハイマー型認知症と診断され、家事への意欲や夫の病気への理解が徐々に薄れ、夫婦2人の生活が難しくなる。2015年12月、 利美さんの家に夫妻を呼び寄せ、在宅介護が始まったが、 自宅へ帰りたがる和子さんと入退院を繰り返す新さん、 そして義母の介護もあり、 同居生活はすぐに限界を迎える。

2016年8月、 グループハウス中沢に夫婦で入居した。自宅から近く、クリニックも併設していることや、 和子さんの認知症が進行しても敷地内の施設を利用できるという安心感が決め手だった。初めての集団生活に不安はあったが、 同じような経緯で入居されている方も多く、 笑顔と会話のある暮らしは心地良かった。 そして何より、 酸素濃縮器も置ける広々としたお風呂に、利美さんの介助でゆっくりと入ることを夫妻は喜ばれた。和子さんはよく 「娘にお風呂に入れてもらえて幸せ」と嬉しそうにスタッフに話してくれた。

写真:訪問診療医のあいクリニック中沢・亀谷学院長と利美さん

そんな和子さんに胆嚢癌が見つかったのは、入居して僅か1カ月のことだった。 余命6カ月。末期だった。以前から胃の不快があり検査はしていたが、まさか胆嚢癌とは。新さんも利美さんも、突然のことに動揺した。療養型の病院に移らなければいけない。 そう思った利美さんがハウスの管理者に相談したとき、 返ってきた言葉に驚いた。「大丈夫です。最期までここで過ごせます。 緩和ケアは様子を見ながら考えましょう」。グループハウス中沢で看取りができることを知らなかった利美さんは、このときとても救われたと言う。

もう1つ驚いたことがあった。 それは葬儀も行えるということだった。新さんは以前部下の葬儀に参列した際、 今までにない形の式を見て、「自分もこんな葬儀をやりたい」 と葬儀会社を事前に調べていた。 だがHOTのある新さんにとって、 どこで葬儀を行うかは深刻な悩みだった。 それが今住んでいる所で看取りも葬儀もすべて行うことができるなんて。「契約時は目の前のことで精一杯。死のことを考える余裕などなかったので、 すべてが揃っていて救われた思いでした」 と利美さんは振り返る。
夫の突然の死の1カ月後、旅出った妻

その後も夫婦で訪問診療と訪問看護を利用しながら、 ハウスでの生活を続けた。 入浴も今まで通り利美さんが行った。食事の準備や入浴の後片付けを気にしない、時間に追われない暮らし。今まで以上に親子の時間を大切にした。年が明け、 和子さんの体力が落ち、 自力で入浴ができなくなってからは訪問入浴を利用した。緩和ケアに移行してからは飲み込むことも辛い和子さんに、すり下ろしたりんごを凍らせて口に含ませた。和子さんの様子を傍で見守る新さんは、小さな異変でもすぐにスタッフに知らせてくれた。自分の呼吸が苦しいときも「僕は平気だから和子を見てあげて」 と何度も言った。

そんな和子さんを気遣い続けた新さんが、2017年3月2日に亡くなった。和子さんの容態が不安定な時期の新さんの突然の死に、 皆言葉を失くした。悲しみの中で行われた葬儀は、新さんの希望通り大好きなハワイの空と海を感じさせる式だった。 遺影の背景は飛行機と海。 参列者を迎える入口には「Go For Broke(当たって砕けろ)!」と書かれたパネルが置かれた。 まるでハワイへ旅立ったかのような爽やかな別れだった。

後を追うように、と言うよりも船の出航に合わせて、と言った方が相応しいだろう。 新さんの四十九日直前の4月18日、 和子さんが亡くなった。和子さんが不安にならないよう、新さんが一足先に逝き待っていたんだと誰もが納得した。 どちらの葬儀にも、訪問診療の亀谷学医師、看護師、 ケアマネジャー、 ハウススタッフが見送りに立ち合った。夫婦の笑顔のパネルには「ゆいま∼るで過ごした幸せな日々」 と刻まれていた。

ハウスでの看取りの成果と課題

ご両親の死から8カ月が過ぎた今、 利美さんは言う。 「自分たちの生活を続けたいと願う両親にとって、ハウスの『見守りのあるくらし』というコンセプトは合っていました。家にいるように自由で、最期まで夫婦一緒に過ごせました。短い時間でしたがここに来れて幸せでした」

スタッフが振り返る4年間の看取りの成果として、
・ 長い時間をかけて築き上げてきた医療と介護の信頼と連携の体制
・「ここで最期まで」 と思ってくれたことへの感謝の気持ちを大切にすること
・ 入居者もスタッフも死を忌み嫌わず受け入れる環境があること
そして今後の課題として、
・経験の少ないスタッフの不安をなくす
・グリーフケアの体制を整えていく
等が挙げられる。

「今がいちばん両親を思い出す」 という利美さんは、 現在も時折ハウスに顔を出してくれる。「なかには思い出すのが辛いからここに来たくない人もいると思います。でも私のように、当時関わった人たちと話がしたい、 思い出を忘れたくないと思う方もきっといるはず。今後そういう方と話す機会があると私はとても嬉しいです」(利美さん)。

(出展『100年コミュニティ』vol.68(2018年2月1日発行)、5~6ページ)

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