ゆいま~る都留ブログ

居住者が紹介する「都留」の魅力その10 ~護良親王の御首級~


ゆいま~る都留スタッフ 下田です。

都留市内には、たくさんのお寺や神社があるのをご存じですか?

今回はその中の神社の1つ、都留市朝日馬場にある石船神社にまつわる1つのお話をご紹介します。この神社で行われた初祭りの様子を、ゆいま~る都留の居住者である小田切敏雄さん撮影の写真と文でお楽しみください。

初祭り、という言葉から明るい神事を想像してしまいますが、タイトルにある通り、むむ…?!
内容が苦手な方もいらっしゃると思いますが、特に歴史好きな方にはご一読をオススメします!

日本史上の建武新政の功労者として伝えられる後醍醐天皇の皇子・護良親王の御首級が伝えられている都留市内の石船神社=2025年1月15日午前11時、小田切敏雄撮影

日本史上、第96代後醍醐天皇(在位1318年~1339年)の治世下に鎌倉幕府を倒して1334年(建武1年)に行われた天皇政治の復活である「建武新政」の立役者といわれる天皇の皇子・護良親王(もりよししんのう、もりながしんのう、1308~1335)のものとの言い伝えが残る都留市朝日馬場の石船神社の御首級が1月15日の同神社初祭りで公開された。

同市指定有形文化財となっている復顔首級は人の頭蓋骨に箔(はく)という金や銀を非常にうすい板のようにしたものを押し付け、古代インドの文字で仏教遺物に使われている梵字(ぼんじ)を墨書きし、その上に小さな木片や漆と木屑を混ぜたような塑形材(そけいざい)で肉付けして、生きている人の頭部のように仕上げられている。両眼には水晶などで作った玉眼が用いられており、今では左眼のみに認められている。こうした復顔術は我が国で最も古い時代のものとして評価されているといわれる。

初祭りで公開された日本史上で建武新政の功労者といわれる後醍醐天皇の皇子・護良親王のものと伝わる御首級=2025年1月15日午前10時過ぎ、山梨県都留市朝日馬場の石船神社で、小田切敏雄撮影

同神社にご神体として伝わる御首級は護良親王のものと伝わり、住民らが「宮世話」という組織を作って地域をあげて守ってきている。この日の初祭りでは「宮世話」の交代に伴い、地域住民みんなで御首級を確認し、崇敬の念をもって今後に伝えていこうという伝統行事だ。

初祭りでは「宮世話」の総代、総代長はじめ地域住民らとともに、鎌倉で殺害された親王の御首級を携えて京都方面に向かう途中、石船神社のある都留市朝日馬場に隣接する旧秋山村(上野原市秋山地区)で落命した親王の寵姫・雛鶴姫(ひなづるひめ)が雛鶴神社としてまつられている上野原市秋山地区の中学生も参列し、地域住民とともに悲劇の親王と姫、二人を支えた従者らをしのんだ。

「ゆいま~る都留」の周辺にはこうした雛鶴峠といった歴史を伝える場所や富士山信仰にまつわる言い伝えや行事がたくさん残されています。

…いかがでしたでしょうか。
前回のブログで紹介した「お茶壷道中」同様、様々な伝統行事がここ都留市内で後世に継承されているようですね。歴史がちょっと苦手な私も勉強になります。

また機会がありましたら、今後も都留市内の色々な魅力をご紹介していきます♪

 

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