嫌々住み替えたけれど……今は自然体で、ゆるやかなつながりを楽しむ
「どうぞ」と明るい表情でお部屋に迎え入れてくださった下田聖子さん(80歳)。ブルーの夏らしいシャツがお似合いのお元気なシニア代表という印象です。じつは、意に染まない住み替えで、引っ越し当初は、どんより、落ち込んでいたそうです。「ゆいま~る多摩平の森」に来てもうすぐ2年。この間、どのように今の下田さんに変わられたのでしょうか。お話を伺いました。
――「ゆいま~る多摩平の森」に住み替える前はどちらにいらっしゃったのでしょうか。
「埼玉県に住んでいました。8年前に都内に所有していた土地を処分し、埼玉に住宅を購入したんです。そのままずっと暮らすつもりでいました」
――住み替えのきっかけは?
「娘の提案ですね。娘主導です。
夫が4年前に亡くなりましてね。『同級生の中でも若く見える』と誇りにしていて、私より長生きすると思っていたのに……。そのころ、手足のしびれも出てきて、ふさぎ込むことが多くなりました。
そんな様子を見て娘は、『もっと活気のある所へ引っ越した方が元気になる』『巣鴨がいいんじゃないか』と、いろいろ提案してきたのです。私は『そんなところへ行くのはいやだ』『住宅を処分するにも中古だから売れない』『もう終わったからいいの』と言い張っていたのですが、娘は、自分の住んでいるところに近い「ゆいま~る多摩平の森」を探してきて、『ここのスタッフに会ったけど、あの人なら大丈夫よ!!』と言うんです。『一度、見学だけでいいから行ってみて!!』と熱心に進められたのですが、見学だけではすまないな、と私は思いました(苦笑)」
――見学には行かれたんですか。
「あまり何度も言うもので行きましたよ。たまたま一室だけ空いていたのですが、娘は住み替えしない選択肢なんてありえない、しなかったら親子の縁を切る、という勢いでした。娘の家から20分くらいと近いし、私が具合が悪くなった時も駆けつけられるから、と。私は、そのころ落ち込んでいたし、この先そんなに長くないだろう、娘の顔も立てて、とりあえず申し込みはしようと思いました」
――住み替えを決意なさったのですね。
「見学をして申し込んだのが11月初めのこと。引っ越しは来年でもいいやとのんびり考えていたら、娘がどんどん荷物の整理を始めて、『とりあえず、冬物衣料だけ持って行っていけばいいし、もし嫌だったら戻ってくればいいじゃない』と、引っ越し準備を進めてしまったのです。娘は整理整頓というか、断捨離の才があるんです。いる・いらないを瞬時に決めて、パパッと処分しちゃう。『私の子どもの頃の写真? いらない』『本棚なんて持ってきたら床が沈むわよ』と却下。この部屋に合う照明や家具をそろえ、レイアウトを決めたのも娘。なにか楽しそうにやっていましたね。まあ、私も具合が悪いし、乗っからざるをえなかったのです」
――娘さん、すごい行動力ですね。
「見学から1カ月もたたない11月下旬には引っ越ししてきました。じつは、引っ越し前日に、やはり行きたくないと娘に言って、最後まですんなりいきませんでしたけどね」
――それでも決意なさった理由はなんでしょう。
「一番は、自分で歩くのが大変になったことですね。脊柱管狭窄症で、かがむことや、重いものが持てなくなってしまった。前の家では、庭の手入れをすることが好きでしたが、そういうことができなくなったということが大きいですね。夫が亡くなってからも、夫のものの整理もできずにいて。当たり前のようにできていたことができなくなった、それが一番の理由です。
ものを考えられなくなったというか、判断力もなくなりました。文字を書こうとすると手が震えるようになり、整形外科的なことか、内面的なことかわかりませんが、そういう不安もあったと思います」
――新しい暮らしには慣れてきましたか?
「それがだんだん日が経ってくると、死なないんじゃないか、と思ってきて。
前住んでいたところも悪くなかったけれど、こちらのほうが便利。近くにイオンモールがあり、そこで大体のものは揃います。近くとはいっても、行きはいいけれど、帰りは荷物があってフーフーです。それでも少しずつ生活に慣れてきました。
なにか迷うことがあったら、すぐに聞ける人がいるのがいいですね。前は悩みがあっても、もんもんとするだけで、孤独死するのかなあと考えてしまったり……。ここでは、わからないことや不安なことがあれば、ちょっとフロントで聞いてこよう、と。それはよかったな、と思いますね」
――「ゆいま~る多摩平の森」での暮らしはいかがですか。
「自由な暮らしができるのがいいですね。これまで、高齢者住宅自体もよくわからず、介護施設という印象しかなかったのですが、ここは違いますね。
基本、自炊で朝昼晩作りますが、週3回くらい、ゆいま~る食堂で配食※を頼んでいます。食堂で食べてもいいのですが、私は好きな時間にゆっくり部屋でとりたいので配食をお願いしています。たまに、仏壇に向かって『お父さん、いきますか!!』とビールを飲んだりしています」
※15名くらいの方が配食サービスを利用。昼食・夕食対応で、おかずだけでも利用できる。
――引っ越しして、気持ちが切り替わりましたか。
「今は自分のことだけを考えればいいですからね。娘も、お母さんは元に戻った、と感じているようです。
判断力は戻ったけれど、脊柱管狭窄症は進行していますね。しびれから歩行が少し悪化したので、要支援1の認定を受けました。こちらでの生活が落ち着いてきたころ、フロントから声掛けがあって、デイサービスに通うことになりました。埼玉にいたときは、器具を使った体操教室に通っていたんですが、そうでないほうがいいと希望し、フロントから地域包括支援センターのケアマネさんにつないでもらい、2カ所見学に行きました。そのうち一つが気に入って、今は、週1回、午前中通っています」
――さまざまな趣味がおありだと聞きました。
「わりと昔から多趣味で、版画、彫刻をやっていました。夏休みに一般の人を対象に芸大の先生が教えてくださる、という講習に行ったこともありました」
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――力作ぞろいですね。
「本当は、登山をしたり、山野草を見たりなど、からだを動かすことが好きなんです。都会でも日本の野草園をつくるというのが夢で、前の家の庭で楽しんでいたのですが、歩いたり土仕事をすることができなくなりましたから。やりきったのよ、もういいのよ、と思うことにしています」
――日々の暮らしで気をつけていることはありますか。
「あまりないですよ。規則正しくしようとは思わないけれど、朝は日が入ってきてしまうから、否応なく目が覚めますしね。安否確認は忘れずに行きます。日によっては手足の調子が良くなくて、『さあ、行くぞ!!』と掛け声をかけて買い物に行く……そんな感じです」
――自然体で暮らされている印象です。
「ほかの人が当たり前に歩いている、電車に乗って好きなところへ出かけている、でも自分はできないんです。他人事のように思っていたけれど、自分の身に起きてしまった。それがなかなか受け入れられませんでした。でも、仕方がない、それが老化ということだし、病気なんですから。できることしかできない自分を受け入れるしかない、そう思えるようになりました」
――徐々に受け入れつつ、これからも自然に暮らされていく、と。
「私自身はもう充分。健康寿命も延ばさなくていいわ(笑)。ここの居住者の方たちもいろいろな方がいらして、その生き方を学びながら、動けるところは自分でも動いて、と思っています。
ある居住者の方が『終末期もここで迎える』と言っていました。私は、延命措置は望まないし、何もしないで、と娘にも話しています。昔は、風のようにふわっといなくなればいいなと思っていたけれど、そんな簡単に死ねませんからね。自分の意思として、延命措置、過剰な医療は望みませんと示すつもりです。私もできればここで、最期を迎えられればいいなあと思っています」
――居住者の方たちとのお付き合いはどうでしょう。
「皆さん、安否確認の時にお会いすると、気さくにあいさつしたり『なんてお名前なの』と聞いてくれたりしますね。私は、積極的に友だちをつくろうとは思わなくて、『ここまで』という線引きをしています。お惣菜を作り過ぎたので『食べない?』と電話してお届けしたりしますけど、玄関先まで。オフィシャルなこと以外は聞かない、と決めています。
70歳、80歳まで生きてきた人たちだから、見ていればその人の生き方はわかります。『ああいうふうに生きたい』と思える方を参考にしたいです」
――現役時代は、ご夫妻で設計事務所を経営されていたそうですね。
「施工図設計を専門に行う設計事務所で、私は経理を担当していました。娘に引き継いで、設立43年。税理士さんに『30年続いたらすごいですよ』と言われました。
お金に関しては、わりときちんとしているんです。利益を出し、税金を払い、給料を払うということを常に考えて守ってきました。夫に『もっと気持ちよく私にお金を出しなさい』と言われたこともありますが、『会社のお金ですから』と、決算はピシッとやりました。零細企業ですけれど、娘は私に蓄財の才はあると、それだけは認めているんです。「ゆいま~る多摩平の森」に来ても、『お母さんがお金のことで私を頼ることはあるまい』と思っているはずです(笑)」
引っ越し当初の下田さんについてハウス長に聞くと、「下田さんの感情は置いてきぼりで、敷かれたレールに乗るしかないという感じでした。どうしてここに来てしまったんだろうというような、〈後ろ向きに玄関を入る〉ような雰囲気でした」という。慣れるまで数カ月、フロントスタッフが毎日のように訪問して寄り添ったそうです。今では「ご自分のレシピをフロントスタッフに提供してくださったり、素敵な作品を見せていただいたりと、楽しませてもらっています」とのこと。ご本人を中心に、スタッフ・ご家族・ケアマネ・デイサービスが連携し、下田さんがもともと持っているプラス面がうまく引き出されてきたのかな、と感じました。これからも、無理なくできる範囲で、すてきな作品を作っていただきたいです。(2023/7/7インタビュー)