端午の節句ランチ会

5月5日端午の節句の日に、サロンゆいま~るでランチ会を開催しました。
名古屋で有名な仕出し屋さんでお弁当を注文し、皆さんと一緒にランチを楽しみました。
エビフライや焼き魚、煮物や他にも沢山入っていてボリューム満点でした。
とても楽しい時間でした。

リビングルームの風景

グループハウスのリビングルームでのひと時

ゆったりとくつろげる広いリビングルーム↓ 

清潔感漂う洗面コーナー↓ 

壁には入居者の方の趣味による万葉集の和歌↓ 

趣味の絵画作品と観葉植物と飾り棚↓

停電時に備え手動のライトも用意↓ 

時には食事会やお茶会を実施したりとひと時を過ごす空間です

食堂、多目的室、グループハウスリビングは

入居者の方たちのコミュニケーションの場として利用されています。

お好みランチ会

日曜日に毎週開催されるお好みランチ会の様子です

5月5日、令和になって初めてのランチ会でした。

この日は、6人の参加です。

お好みのメニューを選んで、「本家かまどや」に宅配を頼みます。

炊き込みご飯入り幕の内弁当・豚なす弁当・豚しょうが焼丼などなど

おいしそうなお弁当が届きました。

「きょうは暑くなりそうだけれど、皇居はどうなのかしらね」

「5月のメニューになって、ナスが入るのね。私、ナス好きなの」

「令和になったから、令和クッキーのおみやげよ」

「ありがとう!いただくわ」

楽しい会話が弾むと、食欲もアップ!

新元号を祝う会、開催しました!

4月28日日曜日12時からゆいま~る食堂にて、近隣の方1名と居住者15名とスタッフ3名で、ちらし寿司と、子どもの日が近いということで柏餅でお祝いをしました。居住者お手製のちらし寿司の具材はどれもきれいで、とても華やかなお寿司ができました。

錦糸卵の黄色が華やかさを増し、きゅうりと椎茸で味もしまり、箸休めのお漬物もとてもおいしく、木の芽をのせて春らしさ満開です。柏餅はこし餡で上品な味でした。「ちらし寿司きれい」「春ねえ」「柏餅、上品な味でおいしい」どれも大好評でした。

新元号の「令和」は万葉集からの引用ということで、万葉集が好きな居住者から万葉集の成り立ちの説明がありました。好きな歌もご披露いただき、解釈などを皆さんで話しました。「私もこの歌好き」「この歌知っている!」皆さんよくご存じで話も盛り上がりました。

実は今回のこの会は、3月に開催したひな祭りイベントで差し入れがあった居住者お手製のちらし寿司を食べている時に、「皆で作って食べても楽しいのでは」との居住者の言葉から開催が決まりました。会の名前は何にしよう?と考えての、新元号を祝う会。タイトルは後付けだったのですが、楽しい時間を過ごしました。

令和という凛とした響きと、引用された万葉集の文章の美しい情景から、新しい時代の幕開けに期待も膨らみます。政府発表の談話で「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」とありました。ゆいま~る福でも、また、ここ福町もそうあるように、これからも居住者とスタッフ共に歩んで参ります。

4月 昼食作り(シンガポールチキンライス)

恒例となりました4月の昼食作りのメニューは

シンガポールチキンライス・ポテトサラダ・中華卵スープ

人参のきんぴら・杏仁豆腐です。

 

皆さんに、本日のメインメニューの紹介です。

シンガポールチキンライス!!

「何?それ? そんなん食べたことないわ~」との声に

皆さんの口に合えば良いのですが・・・・と不安も入り混じりながら

先ずは、人参の千切り、プチトマトは半分に、マンゴーは一口大に切っていただ

きました。

 

 

「人参の太さはどのくらい?どうやって切るの?」と悪戦苦闘されます。

 

 

「包丁が悪いん違う?」と

プチトマトが上手く切れずに、苦労されているOさん。

1つのホットプレートで人参のきんぴらの味付けをし、

もう1つのホットプレートでは、鶏肉を焼いた後それを取り出し、お米を炒めま

す、その上に焼いた鶏肉を戻し 水と調味料を入れ、蓋をします。

きんぴらが出来上がった頃に、チキンライスも頃合い良く出来上がりました。

ガーリックと生姜の良い香りが部屋に漂っています。

お皿に盛付け、ボリュームたっぷりのチキンライス

皆さんお味の方はいかがでしたか?

赤い色をしたチキンライスをイメージしていましたか?

一風変わった外国料理でしたが

鶏肉は柔らかく食べやすかったと好評で、初めの不安も吹き飛びました。

来月も皆さん楽しみにして下さい。

ご利用事例紹介:退院した後、自宅に戻る前にショートステイを利用

お一人暮らしのAさん。90歳を過ぎてもお元気でしたが、まさかの転倒で入院。手術、リハビリ後、自宅に戻る前にショートステイ中沢を利用されました。食事や家事の心配をしなくてよいこの時期に、今後の生活をゆっくり検討されていました。

(写真奥の建物は多摩南部地域病院。有料ショートステイ中沢より徒歩2分)

【料金】
一泊:9,800円+食費
お得なマンスリー価格:240,000円+食費

↓まずはお電話でご相談ください☎↓
 ☎0800-800-7137

お互いさま!の活動

居住者同士の助け合いを目的に2015年10月1日に
スタートした「ちょこっと仕事の会」。
事務局を担ってくださる
Hさん、Tさん、Kさんより伺いました。

事務局では居住者やフロントからの
仕事依頼の受付、仕事の実行者探し、
仕事料金の清算のほかにも
仕事をしたい方、仕事をお願いしたい方などの
広報活動も精力的におこなっています。

突然体調を崩したとき買物をお願いしたい、
気分転換で家具を少し動かしたい、
そんな時どうしましょう・・・?

困った時はお互いさま。居住者同士助け合いましよう!

こんな経緯で「ちょこっと仕事の会」は発足しました。

でも・・・

ちょこっと手を借りた時のお礼はどうする?
ちょこっとだけお礼をした方が気が楽!

お互いに気を遣わないように、ボランティアよりも
ちょこっとだけ責任を持つ立場として活動しています。

活動が始まるにつれ、問題が起きることもあり、
状況が変わるたびに検討し、改善し、対応してきました。

居住者から依頼される仕事は散歩、通院同行、買物同行、
買物代行、傾聴、日曜大工的な仕事、パソコン関連など。
フロントからは入居検討者の見学案内、多目的室の掃除、
草抜き、落ち葉掃き、部会の運営など様々です。

自分の気力、体力を確認しながら居住者同士の助け合い。
助けられたり助けたり「お互いさま」の気持ちで
つながっていけたらと思っています。

御近所に気軽にお願い出来る人がいる安心感は大きいと思います。
今、望んでいることは
「ちょっとお願い」の声をもっと気軽にあげられる環境を
作っていくことです。

そして「私もこのような仕事なら手伝えるよ!」という
方がもっと増えてくれると嬉しいです!

ちょこっと仕事の会事務局
(Hさん、Tさん、Kさん)

写真提供:Hさん

第8回さくらまつり開催!

4月20日(土)、満開の桜の下、
今年も毎年恒例のさくらまつりが開催されました。
今年の桜は「お見事」の一言に尽きる!
素晴らしい咲きっぷりでした。


▲撮影:Tさん

舞台では桜の花に負けじと、
縄跳びの「ダブルダッチショー」や、
ゆいま~る居住者・スタッフによる
「ハンドベル、コーラス演奏」等々で大盛況!

「目線を上にあげて~」「笑顔でね~♪」
みっちり練習したことが、存分に発揮され、
演者もお客様も笑顔になれた、素敵な演奏になりました。


▲撮影:Tさん

最高のお天気、最高の桜、そして最高の笑顔に包まれ、
お子さんから高齢者まで、幅広い世代が楽しめた、
最高の1日になりました!


▲撮影:Tさん

5月下旬メニュー

ゆいま~る食堂は、先月から事業者がHITOWAフードサービスに
変更になり約1ヶ月が経ちました。

スタッフも毎日、食堂の定食を食べて
意見交換しています。
以前に比べよくなった点のひとつに、
メニューの魚の種類が豊富になりました。
5月下旬メニューでは、メバル、カレイ、鮭、マス、ぶり、
さわらなどを使ったメニューがあり、楽しみにしています。

自宅ではどうしても食材や料理が偏ってしまいがちですが、
ゆいま~る食堂では、お肉・お魚・野菜を使った
バランスよいお食事で、皆さまのご来訪を心よりお待ちしております♪

↓クリックしてメニューを拡大↓

東京に生まれ育った私が田舎のひとり暮らしへ、 2年半かけて徐々に那須での生活に重心移動

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2019年4月16日の「秩父市生涯活躍のまちをつくる会」に、ゆいま~る那須で生活されている中部典子さんをお招きし、東京生まれ東京育ちの中部さんが単身ゆいま~る那須で生活されるまでの体験談、そして今の暮らしぶりを伺いました。ひとり暮らしもしたことがなかった中部さんは2年半前、まずは東京と那須の2地域居住に踏み出されました。最初は東京での生活を中心にし、徐々に那須での生活の比重を高くして、今は那須が生活の中心になったとのこと。この間に、暮らしの価値観がガラリと変わってゆとりが生まれ、今は「ひとり身の清々しさ」を満喫しているとおっしゃいます。


中部典子さん(ゆいま~る那須在住)●

ゆいま~る那須と契約書を交わしてからは3年ですが、その後半年くらいは空き家状態にしていたので、那須に住み始めたのは実質2年半前ですね。最初のうちは、那須には2~3日居て、その後1カ月くらい行かなかったり。そういう状態から始めて徐々に那須での暮らしが増えていって、今は用事がなければ東京に行かない暮らしになりました。この間は2カ月那須にいて、そのあと東京に10日くらいいて、また那須に戻りました。

今は、なるべく東京では暮していたくないという心境になってきました。感覚としては、那須が地元というか私の家になりました。将来はよほどのことがないと東京に行かない生活になるでしょう。ものぐさなので住民票はまだ東京に置いたままなのですが、気持ちは那須の住民のつもりです。

ひとり身の清々しさを満喫

娘たちも那須だったら来られない距離じゃない。今でも夏休みとか春休みには孫達を連れてきてくれる。それで十分なのです。いっしょに暮そうとは思いません。

それはね、”ひとり身の清々しさ“なんです! 私は結婚するときに実家を出たので、ひとり暮らしをしたことがなかった。ここでの初めてのひとり暮らし、鼻歌が出ちゃって・・・というくらいに楽しい。東京にいたときは「娘との暮らしだから気を使わないでしょう」と言われ、自分でもそう思っていたのですが、それでもまわりに人がいるという状況では、気を使っていたのだなと気付きました。

娘はちょっと心配していたみたいです。父も母も東京の人なので私には田舎というものがないので、「田舎にあこがれているだけじゃない?」って言われていました。でも、みんなといる中で孤独を感じるよりも、(ひとり暮らしの方が)いいですよね。ひとりはひとり、寂しいと思うことはあまりないですね。寂しいと思ったら、ゆいま~るだったらどこかに出かければいいですよね、スタッフの方と話すとかね。ひとりでいたいと思うときは鍵を閉めて家の中に居ればいいし。

ひとりでいることがこんなに気楽なのだということを、60歳を過ぎて初めて知りました。自分の空間にひとりだけというのが、私にはすごく新鮮でよかったし、寂しいと思うことは多分ない。むしろ東京で暮しているときに、娘とはもう少し分かり合いたいと思っても分かり合えないときの方が寂しいと思う。那須のひとり暮らしが寂しいと思うことはないです。

暮らしの価値観がガラリと変わりました

365日那須にいるわけじゃなくて、時々東京で気分転換できるからなのかもしれないのですが、那須に行くたびに那須の素晴らしいところが見つかるのです。最初はゆいま~る那須しか分からないのに、いろいろな温泉に行ってみたり、塩原の方のおいしいコーヒー屋さんを教えてもらって行ってきたり。ほんのささやかな喜びなのですけれど、もう東京にいるときの物欲がだんだんなくなるのです。自然があって、おいしいお野菜があって時に温泉に行けて、それで十分と。すっかり仙人のよう(笑)。

東京にいるときは、私はジーパンでもヒール靴を履いていました。それが今、ヒール靴はほぼ捨てました。1足だけ、冠婚葬祭用の低いヒール靴をとってあるだけです。それから革のカバンもほとんど持たない。革の靴も履きません。だいたいスニーカとかね。

東京にいたときは何だったのだろうって思います。ブランド物のバッグを買いあさったり。それが、そういうものにどんどん興味がなくなって、洋服もけっこう買い替えました。東京にいたときに着たいと思った服と、那須にいるときに着たい服はまったく違う。コットンで、自然にだぼっとしてウエストがないような。そんなものしか着たくない。ぴたっとした服を着ても那須にそぐわないような気がします。革じゃなくて、2000円~3000円のズックのようなカバンに買い替えたり。今欲しいものはね、葡萄のツルのような、なんだか自然素材でできている、いわゆる“かごバッグ”。すごく高いのですけれどね。

自然の中で暮らす楽しさ、東京とはまったく違う楽しみがあって、なにか落ち着く感じがします。東京の家は中央区なので、買い物というと銀座とかに出ていました。ですが、もう今は銀座に行くのは嫌です。デパートに行くときはある程度きちんとした格好をして行きましたけど、今はもうそんなこと・・・(笑)。それにデパートに行っても、買いたいものはない。今は昔ほどお金を使えないということもあるのですが、高いから買えないというのではなく、買いたいという気持ちがなくなりました。すごく素敵なレストランに行きたいとも思わない。むしろ那須で、普段着で行ける自然食のお店にいきたい。

東京で結婚していた時は、けっこう贅沢な暮らしをしていました。東京で生まれ育ったので田舎へのあこがれはありましたが、今のような感覚になるとは、全然予測していませんでした。

東京では食生活にあんなに気を使っていたのに!

体重が、那須の生活で2kg増えました。初めてゆいま~る那須で食事したとき、何を食べてもおいしかった。お野菜とかは、やはり特別な農家と契約しているのかと思って、食堂で作っている方に聞きました。「どこで買っているのですか?」って。そしたら、「イオンですよ」って言われた。東京の住まいの近くにもイオンがありますが、そこではお野菜は一切買わないことにしていたのです。おいしくないの。それで「えっ!同じイオンでこんなに違うの」と思って聞いたら、やはり地場ものが入っていたり、朝取りのお野菜を置いていたり、輸送に時間がかかっていないのですね。あとね、東京とは水が違う。だから東京で同じ材料で作ってもおいしくないのですよ。

コーヒーも同じ豆でも東京で作ったらおいしくない。那須の水で作るとおいしい。だからご飯も、那須の水で炊くとすごくおいしいのですよ。でも普通のお米なのよ。私は食べることが好きなので、それだけでもうれしい。何も気を使わなくても那須のご飯はおいしい。

東京では、娘がアトピーだったこともあって、無農薬野菜を使って、浄水器付けて、すごく気を使ってお料理していました。それに毎日10時間かけて蒸留水を作っていました。お風呂にも浄水器を付けて。そうじゃないと娘は東京では痛くてお風呂に入れないくらい敏感でした。でもその娘が、那須に遊びに来るのですが、那須のお風呂にはそのまま入っています。浄水器を付けないお風呂に。さらに浄水器を付けない水道水を飲んでいます。こういう、思いもしなかった、私にとって素敵なことが、那須に行くたびに増えて・・・。

私がゆいま~る那須を選んだとき、食堂があることはけっこう大きいことでした。もう30年間食事を作ったから、もう料理したくないと思ったのです。ところが、那須に行ったら料理したくなっちゃったのです!昔は義務感でやっていたからきつかったのですね、きっと。それに、前は5人分を作るけどあの子はあれがいいし・・・とかいろんなことを考えていました。強迫観念みたいなものもあった。でも今は、自分が何を食べたいかでいい。簡単ですね。この歳になったら、多少栄養が足りなくても食べたいものを食べればよい。いろんな意味でゆとりができました。

今はね、すごいんです。梅干作ったり、秋には干し柿作ってみたり。お漬物は、もう買うものではなくて作るものになりました。本当に生活を楽しんでいます。いろんな変なものに煩わされることもなく、深く考えてはいないけど、梅干を作っていても楽しい。ジャムも買わないです。梅ジャムを作るし、庭に野いちごみたいなのを作っている方にもらってそれをジャムにしたり。オレンジの皮でママレードとかもね。買ってきた材料ではなく、木いちごを育ててる方からもらったり、山ほどジャムができます。

「面倒くさくない?」って言われるけど、楽しいです。人によるかもしれませんが、あれほど料理をするのが負担だった私が、今はけっこう楽しみながらやっています。今日は、困ったことや嫌なことも話してくださいと言われたので考えながらここに来たのですが、「今は、ないかな・・・」という感じですね。

いろんな会に誘ってもらい、でも人付き合いはそれぞれの流儀で

私は人と話すのが好きだし、今のところは食堂で食事をしているのでそこで話したりしています。あと、いろいろなサークル活動のようなものがあって、たとえば週に1回、割に本格的に温度まで測ってコーヒーを淹れる会があったりします。すごく安いお金で、確か200円か300円でおいしいコーヒーを2杯飲める。もともと喫茶店で本格的にコーヒーを淹れていた方がやってくださる。豆もどこかで厳選していただいたもの。それを飲みながら、みんなでおしゃべりしたりします。

私はしないけど、マージャンなんかは週に2~3回やってますね。ほかにピアノの先生がレッスンに来たり、みんなで歌う会とかいろいろあります。たとえば1人だと面倒くさいから行かないようなものでも、「行かない?」って誰かが声をかけてくれると行く気になって、行ってみるとまたそこで知らない人と話ができたりする。

そういうことが嫌な人は、ずっと家で食べていたりするのだと思います。そういう方もいらっしゃるようです。避難訓練のときしか顔を見掛けない人もいらっしゃる。避難訓練は基本的に全員参加しましょうということになっているので。

こんな風に、私にとって不都合なことはあまりない。強いて言えば、朝10時までに安否確認のサイン(部屋の前の専用場所にマグネットをつける)を出さないといけないことかな。本当にたまにですけれど、夜更しするときがあるのでね、ピンポンされても寝ていたいと思いますしね。

できれば最期まで暮らすために、入居者同士の助け合いも必要

できれば、ゆいま~る那須で最期まで、という思いはもちろんあります。娘に介護してもらうようなことはあてにしない。老後は基本的にひとりで過ごすと考えています。

今のゆいま~る那須にも94歳の方がいらっしゃる。お元気でしゃきしゃきしていらっしゃる。でも、認知症がひどくなってグループホームに移られた方もいます。だから、そういう風に認知症になったとか足腰が弱ってきたら他のところに移ることも考えられます。でもその時は、入居費用とかがまたかかる。私も金銭的にゆとりがないので、そういう入居費用が払えるかすごく不安なのです。だから、昨日までは元気だったのに次の日に起きてこなくて亡くなっていた、みたいなことになれば理想です。

そう理想どおりにはいかなくて、介護が必要になったときに一番不安なのは金銭的なことだという話を、ゆいま~る那須でしたときに、やはり同じように思っている方が何人かいらっしゃった。すごい方は、「もう絶対救急車は呼ばないで」って言う。変に助かるとそのあとお金がかかるから、倒れたらもう手を出さないでと言う人もいるくらいなのですよ。やはり老後資金がないというのは大きな不安です。

でも全員が認知症になったり動けなくなったりするとは限りません。なかには20年も30年も元気な人はいるでしょう。だから、なるべくゆいま~るのなかで助け合えるシステムというか仕組みをつくりたいですね。たとえば、ゆいま~る那須は坂もあるので、食堂まで行けなくなったとき、スタッフの方に食事を部屋まで運んでもらうと100円くらいする。もし夜だけ運んでもらうと月に3000円。昼も運んでもらうと月に6000円かかる。本当に預金がなくなって年金だけで暮さないといけなくなると、この金額はやはり大きい。だからスタッフに運んでもらうのではなくて、私たちが運んでもいいのではないか。何十人分も運ぶわけではないから、元気な人が無料で、ボランティアで運んであげる。いずれは自分もそうなるかもしれないのだから。

これは今でもやっているのですが、1人で歩くのはちょっと不安という方がいると、元気な方が迎えに行っていっしょに食堂まで行くんです。こういう、無料というか好意でつきそいをしている方がいる。家を売ったりして裕福な方もいらっしゃるけれど、私のように何もなく、ほぼ年金だけで暮らす人もいます。そういう助けてほしいという声が挙がってきたら、みんなで話し合って、なるべくお金がかからない方法を見つけたい。そうすれば、あそこの中で、ある程度までは暮していけます。

寝たきりになっても、ゆいま~る那須で暮らせると言う方もいます。ヘルパーさんの資格を持っている方や、看護師だった方も入居しています。そういう方がすごく安いお金で、寝たきりになった方のケアができるようになったらいいですよね。できればあの中で死にたい、施設に入らずにね。だから施設を使わずに、あそこにどこまでいられるかを、スタッフの方だけじゃなくて住んでいる方も協力してこれから作っていかなくちゃいけない・・・かなって思います。