11月27日(木)「不動産流通研究所」webサイトに、ゆいま~る高島平の
記事が掲載されました。
▼不動産流通研究所webサイト
東京・高島平団地の一部住戸をサ付き住宅に改修/UR都市機構
11月27日(木)「不動産流通研究所」webサイトに、ゆいま~る高島平の
記事が掲載されました。
▼不動産流通研究所webサイト
東京・高島平団地の一部住戸をサ付き住宅に改修/UR都市機構
綜合ユニコム12 月1日発行「月刊レジャー産業」に、ゆいま~る那須、町田市の桜美林大学との連携の記事が掲載されました。
・入居者が主体的に参画するコミュニティを志向し、満足度の高いシニア住宅を創造
・シニアと若者が交流する「カレッジリンク」も企画
11月27日発行「日刊建設産業新聞」に、ゆいま~る高島平の記事が掲載されました。
・都市機構 高島平団地 空き室を改修し、サ高住に 医療福祉拠点化新事業
詳しくはこちらから→
11月27日発行「日刊建設通信新聞」に、ゆいま~る高島平の記事が掲載されました。
・都市機構、コミュニティネット 分散型サ高住に改修 高島平団地既存住宅活用
詳しくはこちらから→
11月27日(木)放送TBSテレビ「いっぷく!」にて、11月26日(水)に行われました合同記者会見、入居者のAさんがコメントが放映されました。
11月25日発売クロワッサン(特大号12/10)女の新聞のコーナーで、ゆいま~る高島平が紹介されました。
・暮らしやすさと人のつながり。
団地の魅力を生かした全国初の“サ高住”が12月1日にデビュー。
12月04日発行のサンケイビジネスアイに、ゆいま~る高島平の記事が掲載されました。
・ワークショップで住民参加の公共施設
▼webでも紹介されています。
ビジネスアイコラム
私は山が大好きで、30~40代は仕事に夢中になっていて、いつの間にかおひとりさまになっていました。確信犯とも言われます(笑)
退職時に衝動的に川口にマンションを購入しました。
そこは、大山をはじめ丹沢山系、富士山、秩父の山々、冬は遠く浅間山まで見えます。夏は板橋、戸田の花火も楽しむことが出来ます。そんなマンションで住み心地はよかったです。昨日も忘年会か新年会と称して私の送別会をするからねと言っていただきうれしかったです。離れがたいです。
そんな私がなぜ、入居しようかと思ったのはそこには安心が無いのです
私は大病もしたこともありませんし、入院した経験もないのです。両親が早く亡くなったものですから、介護の経験もありません。ただ、幼少時は病弱な子どもだったためいつも、どこかに不安をかかえていました。だから安心を求めたのだと思います。
当初は全く住み替える気はありませんでしたが、2年前、「高島平団地で住み続けるしくみを作る会」に参加し、月一度参加しているうちに少しずつ変わってきました。
その一つは、やまと在宅診療所さんが先生のお話しがあって、在宅で看取りをされている。開業して半年余りなのに30数名の看取りをされたという話に驚きもしましたが、自宅で終末期を迎えられるのだ!その瞬間高島平団地が心にストン入ったのです。若い先生であったことも感動しました。(笑)
また、団地の周りには大きな総合病院もあり、団地内のみなと歯科さんは歯科の訪問治療も受けられる。など医療設備が整っていることは安心です。板橋区には特養が13ケ所もあり都内でも一番多いと知り、高齢者にやさしい街つくりをされていると感じました。
2つ目は、東日本大震災の被災地を訪ねた時、高橋社長のお母様コウさんにお会いし、被災という大変な経験をされましたのに、生かされていることに感謝しバラバラになった地域のみなさんが集う場所として大船渡の屋台村で「おふくろの味えんがわ」という居酒屋さんを娘さんと一緒に営んでおられます。とっても笑顔の素敵なお母様でした。当時88歳でしたが6年後の東京オリンピックを見に行くとおっしゃっていました。人は人のために何かすることがあると、役に立ち自立していると元気に夢をもって生きられる。コウさんにお会いし心からそう思いました。
また、5月に地域プロデューサー養成講座のお手伝いをさせていただきましたおり、遠く北海道、東北、関西から20代から70代の方まで男性、女性ほぼ同数という方が受講され熱心学んでおられました。地域で何かをしよう!仕組みを作ろう!自分でも何かが出来るかもしれない!皆さんのそんな思いを肌で感じ、もしかして71歳の私にも何かできるかもしれない。と勘違いしたのです。
私は人生の最終章をゆいま~る高島平で自分のできることをし、やりがいを見つけコウさんのように素敵な笑顔で生きていきたいと思います。働き少しの収入を得、少しの贅沢が出来たらこんなうれしいことはありません。よろしくおねがいします。
UR都市再生機構の皆様には、ゆいま~る高島平は前例がなく、規制が多い中むずかしいこともあったかと思いますが、もっともっと現状に沿い可能な限り規制をゆるめ、隣は何をする人ぞ!という昔の団地ではなくコミュニティのある団地つくりにご協力していただけることをお願いたします。
私は昭和37年から40年ちかく赤羽台団地暮らしました。団地はふるさとです。
多くの方々に関わってできたゆいま~る高島平は、今度は住まい手にバトンを渡されました。心地よい住処として、地域に参加しながらコミュニティのある場所に積み上げていきたいと思います。
最後にゆいま~る高島平開設にあたり、2年もの間いろいろな仕掛けを作りながら今日までいつも変わらぬ笑顔と元気で接しいただいた(株)コミュニティネットのスタッフの方々にこころから御礼を申し上げます。そしてこれからもよろしくお願い申し上げます。
ゆいま~る厚沢部では、9月のはじめハウスでは初めての看取りを行いました。
看取りについて、スタッフで考えたことを書いてもらいました。
原文のまま、掲載いたしますが
ぜひ皆様にもご一読いただければと思います。
***
去る9月5日の真夜中、Oさんが静かに息を引き取られた。
それはゆいま~る厚沢部にとって初めての看取りであり、
ハウスで完成期を迎えることを希望されたOさんとご家族を、
試行錯誤しながらもサポートし続けたスタッフにとって、それはかけがえのない体験でした。
Oさんはとてもおしゃれな方で、さりげないアクセサリーやネイルを常に欠かさず、
お孫さんが来訪される度に塗り直してくださるネイルのために、
爪を長く整えることを希望されていました。
ご主人の形見の指輪は、浮腫みが始まっても外そうとはなさらず、
病院で外していただいた時の、寂しそうなお顔は見ていて切ないほどでしたが、
傍らで見守る娘さんの指に指輪がシッカリと収まるのを見届け、
満足そうな笑顔を浮かべられていたのが印象的でした。
大腸癌末期と宣告されてから3ヶ月。
ご家族にとっては苦渋の選択が続いた日々であり、
ゆいま~るで完成期を迎えると決めた後も、幾度となく迷い
自問自答なさっていたご家族の心労を少しでも軽減していただくにはどうすれば良いか。
また、ご本人やご家族の願いに応えるには何をすべきか。
スタッフ全員が必死に考えていたように思います。
「自分らしく過ごしていただく」ことを基本にゆいま~るの介護を実践し、
お元気だった時と変わらない日々を過ごしていただきたいと
食事・入浴・排泄等も可能な限りご自分のペースで行っていただいていました。
また、食事は他の居住者の方と一緒にリビングでとり、
レクリエーションに参加された時の様子は特に印象深いです。
完成期の1週間前のスイカ割り、「このスイカ割れないね~」と微笑んでいたOさん。
スタッフの声掛けに頷き参加してくださったのは、
Oさんの優しさだったのかも知れないと、今になって思います。
*完成期:死は人生の終わりではなく、完成させるときという意味。
次回に続きます。
数日前に撮影した上記の写真は、ハウスの回りを散歩された時のもので、
スタッフとお仲間に囲まれ、素敵な笑顔を見せてくださっていました。
この写真はご家族のお気に入りの1枚となったと伺っています。
2日前には入浴もされて、娘さんと一緒に髪を乾かしながら言葉を交わしあったひとときは、
大切な思い出の一コマとして残していただけたと思います。
残念ながらベットから起き上がれなくなった最期の2日間も含め、
穏やかな日々を過ごすことが出来たのも、厚沢部町国保病院長の佐々木医師が
Oさんの立場に立ってご対応下さったお陰だと心から感謝しています。
「痛い思いだけはさせないように」と配慮してくださり、
最期の時も真夜中にもかかわらず駆けつけてくださるなど、とても心強かったです。
ゆいま~る厚沢部での看取りは、佐々木医師の協力なしには出来なかったと言えるでしょう。
ご家族とスタッフに見守られ、まるで眠るように息を引き取られたOさんの安らかなそのお顔は、
感動すら覚えるものでした。
その後、私達スタッフは、貴重な経験をさせていただいたこの度のケースを基に
スタッフ会議を開催し、反省・気付きなどを発表し合い今後の課題について話し合いました。
ご家族からは「ゆいま~るで完成期を迎えると決心したことは間違っていなかった」
と感謝の言葉をいただきはしましたが、一方でスタッフ各々が
「もっとこうすれば」と多くの課題をも残した今回の看取りです。
この経験を今後のサポートに活かしていけるよう、皆で決意を新たにした会議となりました。
~O様のご冥福を心よりお祈りいたします~
*完成期:死は人生の終わりではなく、完成させるときという意味。
Copyright © Community Net Inc.