入居で得たのは「父と母の再生」でした。

ゆいま~る中沢に併設されている「介護保険外ショートステイなかざわ」は病院退院後、すぐに自宅に戻るのは少し不安な方、急なショートステイの先としてなど、介護保険にとらわれることなく利用できる介護・医療の隙間を埋める新しいサービスです。
実際にご利用された方のきっかけや、その後のくらしなどを伺いました。

大須賀紀子さん
(次女・60歳)

今年4月に「ゆいま〜る中沢」のショートステイ(介護保険外サービス)を利用された佐藤正さん(95歳)と奥様の甲子さん(88歳)が、5月から「中沢」の介護フロア(グループハウス)に入居されました。近くにお住まいの一人娘、大須賀紀子さんはほぼ毎日ハウスにみえて、ご両親のお世話をなさり、親子の時間を大切に過ごされています。ご利用から約3ヶ月。「不思議なことがたくさんありました。一言で言えば『両親の再生』を目の当たりにしているのです」とおっしゃる大須賀さんに、その「不思議」と「再生」をじっくり伺いました。

Q:「ゆいま〜る中沢」をご利用になるきっかけを教えて下さい。

大須賀 実は「中沢」を利用する前に1年間、両親は別の有料老人ホームにいたのですが、1年契約にしていたため、契約を更新するかどうかの判断が迫っていました。このままずっとホームにお世話になろうか、それとも違うところに移るべきか迷っていたんです。
というのも、そこはホテルのようなおもてなしを大事にされていて至れり尽くせり。痒いところに手が届き、何もかもやっていただけるので、居心地はとても良かったのですが、父の表情を見ていると、日に日に俯きがちになってしまったんです。

ホームにとって入居者はお客様。何かあったらいけない、事故は未然に防ごうという姿勢があって、例えば父が動こうとすると、「じゃあ、一緒にいきましょうか?」とスタッフの方。父にしてみれば、「頼んでいないのに、なぜ来るんだ? 放っておいてくれ」となります。そんなことを繰り返すうちに、父の顔からも体からも活気がなくなり、自分は「必要のない人間だ」と思いこみはじめるという感じに。母に至ってはあまりに恵まれ過ぎて、依頼心の固まりみたいになってしまって何もしない。私がどんな時間に訪ねても、ベッドで寝ているか、ソファに横たわっているか。昼間に目をあけているということがほとんどなかったのです。

Q:ご両親様が有料老人ホームに入られた経緯をお聞きしていいですか?

大須賀 父と母は2人暮らしをしていたのですが、今から4年前の10月16日、母がお昼ご飯が終わったら、突然「足が痛い」と言って動けなくなってしまったのです。それで父から電話が来て、「お母さんが動けなくなった。なんだかわからないのだけれど、動けないんだ」と。もうそのあとは坂道を転げ落ちるように、頭の中にあったものが無くなって、いろいろなことが「わけがわからない」状態になってしまったのです。

父が母の介護をし、食事の用意をして掃除、買い物全部やっていて、私も毎日、多摩市の自宅から調布市の仙川にある実家までお昼ご飯と夕飯を持って通っていました。
父は「ありがた迷惑だ」なんて言いますから、「わかった、だったら明日から行かないから。野垂れ死んでも知らないわよ」みたいな言い争いをしながらでしたけれど(笑)。「お前が来ると空気が動いてうるさいんだ」なんて言われますから、行かないでいると、「今日はどうしたんだ?」と電話がかかってきたり。そんなふうにしながら通っていましたが、父も少しずつですが弱ってきて、母と同じような状態になりつつあるな……と感じ、いずれは老人ホームを利用する必要があるかもしれないと思い始めていました。

父は、「俺は絶対に老人ホームには入らない。必要ない」と言っていたのですが、1年前のお正月に、自宅で転倒してテーブルの角にぶつかり、肋骨を2本折ったんです。それで3日間寝たきりになり、動けなくなって、それまでできていたことができなくなってしまいました。そして父自身が、「もうこれは無理だな」と言ったので、母が倒れて以来、私が1人で見学に行った老人ホームのパンフレットを見せたのです。

有料老人ホームへは何カ所か見学に行きました。パンフレットももらっていたのですが、父が「行かない」と言うので、1カ所を残して捨ててしまったんです。あるホームのパンフレットだけは捨てられませんでした。というのは、そこのスタッフのお一人とのやり取りが忘れられなかったからです。私が「営業をまったく抜きにして、もしもあなたのご両親がうちの両親のような状態になった時に、ここのホームに入れたいと思いますか?」と聞いたんです。そうしたらそのスタッフの方が即答で、「もちろんですよ」とおっしゃったんです。それが忘れられなくて、そのホームのパンフレットだけはずっと手元においておきました。

父が肋骨を折った時に、そのパンフレットを改めて出しました。「お父さん、こういうところがあるんだけれど」と。「うん、そこだったら行く」と父が言い、それで両親の入居を進めました。

Q:有料老人ホームにはすぐお慣れになったのですか?

大須賀 それが入って数ヶ月はダメでした。父は「家に帰る」「もうダメだ」と言い、
1回はホームを飛び出してしまいました。馴染めなかったんですね。ただ、その時の施設長さんがとても素敵な方で、ホームの利用者は家族ですとおっしゃってくださったんです、「私の家族です」と。そのお気持ちがホーム全体に空気として流れていて、スタッフさんに厳しい方でしたが、ご自分にも厳しくて、それでいて入居者に対してはとても暖かい目を向けてくださって、父たちを安心してお願いできると思える方でした。その方への信頼から、父もだんだん落ち着いてきたのですが、入居して半年目に突然、施設長さんがお辞めになったんです。それがわかった父は、「あの方がいなくなったら、俺はここにいても意味がないな。仙川に(自宅に)戻るか」と言ったんです。

Q:それが「中沢」との出会いにつながっていくのですね。

大須賀 そうなんです。ちょうどそのホームに入る頃、「ゆいま〜る聖ケ丘」ができたことを広告で知りました。その宣伝文に「その人の自由な生活はそのままで」という言葉があって、これが私には忘れられず、ずっと頭にありました。それから1年後「中沢」ができるという新聞広告を見たのですが、うちから5分と非常に近い。しかも同じ建物の中にクリニックが入ると書かれてあって、これが父にとっても私にとっても一番の魅力だったのです。

提携している医療機関から訪問看護があり、ショートステイもあるという情報を得て、今年の1月、私一人で「中沢」の開設準備室におじゃましたんです。そして実際に内容を詳しく聞いた時、ここは父が一番求めていた、「やりたいことがやりたい」、それが実現できるところなのではないかと思いました。

しばらく迷ったのですが、父に、今のホームの契約が終わるのだけれど、ここにずっといるという選択もあるし、実は私の家に近くにこういうところができるのよと、私は聞いてきた「中沢」の話をしました。すると父はもう即答です。「それは行くしかないな」と。「えっ、どうして? ここはなんでもやってくれるし、ありがたいんじゃない?」と私は聞きました。父は、「それはそうなんだけれど、建物の中に医者がいる、というのは最高だよ」と言ったんです。

「じゃあ、見学に行こうか?」と父を誘い、「中沢」はまだできていなかったので、「聖ケ丘」のお部屋を一緒に見学しました。その時に父が言ったのが、「これは普通のうちだな」、という一言でした。あっ、これはだいぶ父の気持ちが動いているなと思ったのですが、それからしばらく私の方からは「中沢」の話を出さずに、下調べをしていました。両親が入るとしたらどの程度までお世話していただけるのかが知りたかったからです。「中沢」の準備室で話をうかがうと、ほとんどホームの時と同様、横滑りのような感じでみていただけそうだとわかり、父にその話をしたら、「いつ引っ越すんだ?」「引越しは明日なのか?」とそればかり言うようになって、これはもう「中沢」に行くしかないと思い、ホームの契約が切れる日を待って出たのです。その時の決断は、私にとってはものすごく大きな賭けでした。

Q:「賭け」とはどういうことか、少し詳しくうかがってもいいですか?

大須賀 というのは、以前のホームに入った時に、父がとても拒否して、「家に帰る」と言った話をしましたが、実際に大変だったんです。「もう明日で帰る」「荷物をまとめて玄関に行く」……というような毎日があり、それでもやっと1年間かけてスタッフさんに慣れ、周囲の環境に慣れてきた。その時にまた違った環境(「中沢」)に移すというのは、もしかしたら以前よりも大混乱を起こして、大変なことになるのではないかと、そういうマイナス面しか考えられなかったんですね。私の家族、とくに主人から猛反対を受けました。「年配の人にとって環境が変わるということがどれだけ大変なことかわかっているのか? 俺は絶対に反対だ」と言うのです。

主人は、「俺の親ではないから、俺がとやかく言えた義理ではない」というのが基本的な考えの人です。当事者ではない人間があれこれ言うと、私が混乱するだろうから、やりたいようにやってみたらいい。それでもしも助けが必要だったら、俺はいつでも出るよ、と。それが基本の人なのに、ホームを出ようと思うと話したら反対したのは、入居直後の両親の大混乱を知っていたからです。父が荷物をまとめて出て行く、ということがあった、また同じ事を父親にやらせるのはあまりにも自分中心で両親にとってはひどいことではないか、とこれが主人の考えでした。

Q:その反対の声を押し切って、「中沢」への住み替えを考えられた理由は?

大須賀 1つは地理的なことです。「中沢」は私の家から歩いて5分のところにあるので、両親に何かあった時にすぐに駆けつけられます。また、万が一、2人のうちのどちらかが入院したら、一人娘の私は入院先の親と「中沢」に残る親、そして自分の自宅のことをやらなくてはいけません。まだ仙川に実家が残っているので、そのこともやらなくてはいけない。そう考えると、私自身が最初に倒れてしまうだろうと思ったのです。ですから私のためにも、「中沢」に決めたかったんですね。もしも両親が馴染めず、ぐちゃぐちゃなことになったら、その時はその時で、介護のプロの方がいっぱいいらっしゃるのだから、皆さんの力を借りよう、それに賭けるつもりで思い切って決めました。

あと、もう既に社会人になって何年かたっている2人の息子がいるのですが、彼らは私の話を聞いて、「いいと思うなら、後悔するより先に進んだほうがいい」と背中を押してくれたんです。ただ、なぜお世話になったホームを出たいのか、そこをきちんと整理した方がいいよとも言われました。そうしないと、両親にとっても私にとっても、またお世話になったホームの方々にも失礼な話なのだから、と。つい感情が先に立って動いてしまう私にとって、家族の声は大事なものでした。

今年3月に父が腰椎の圧迫骨折のため車椅子生活になったこともあり、まず両親で「中沢」のショートステイを利用して、父は隣接する新天本病院の外来リハビリに通って足腰の回復を目指す。母はデイサービスに行く。そして環境に慣れてきたら、施設内の同じ階にある介護フロアの「グループハウス」に移り、「中沢」での生活を本格的に始める。そうしたことをスタッフの方と相談して、1年お世話になったホームを出たのです。

Q:まずショートステイを利用されたそうですが、感想はいかがですか?

大須賀 父は自分で「中沢」に行くことを納得したのに、来てみるとやはり「拒否」をしました。廊下からお部屋に入らない。お部屋のドアの取っ手を持って立ち尽くし、私が「お部屋に入ろう」と誘っても頑なに拒否するばかりでした。果たして夜は大丈夫だろうかと思いましたが、とにかくお願いするしかないと思って私は家に戻ったんです。ところが翌日、父の顔を見に行って驚きました。「前からここにいたよ」みたいな感じでくつろいでいるのです。たった1日でどういうことをしてくれたのか、それがとても不思議でした。

スタッフの話 初日は確かにかなりの「拒否」がありました。そのためその日の夜は遅くまでスタッフがリビングでお父様、お母様とテーブルを囲みながら、お互いにただそこにいる、という状況を作りました。そうしたら「眠くなったから寝るか」とお父様。お母様はそれにともなって「私も行くわ」とお部屋に向かわれました。

大須賀 それが「中沢」に越してきて3日目に母の表情がとても変わったんです。ここの共有スペースのリビングでお茶を飲んだあと、皆さんが飲んだお茶碗を母が洗っている。母がテーブルも拭いている! 日中は目をあけて皆さんと楽しそうに話をしている。以前、自宅にいた時の母の表情が戻ってきたように思ったんです。たった3日でこんなに変化するなんてとびっくり。あれが一番大きな、いい意味でのショックでした。

スタッフの皆さんが両親を暖かく迎えてくださって、でも、至れり尽くせりではないんです。さりげなく母に仕事を頼んでくれるんですね。「テーブルがちょっと汚れているから片付けてもらえないですか」と。そうすると母が、「あらあら……」とか言いながら、さらさらさらっと自然に動くんです。
スタッフが入居者にあれをやってあげます、これもやってあげます、というのではなくて、日常の延長のような形で母をうまい具合に動かしてくださっている、これがとてもいいのです。

スタッフの話 大須賀さんは私たちに「前の施設は母を女王様のように上げ膳据え膳してくださった。でも、こちらでは母を女王様のようにしないでください」と希望されていました。
そこで私たちも、お母様に、「ここは普通の生活の場ですから一緒にやってください」とお願いしました。「私だって主婦をしてきたんだから、できるわよ」とお母様。テーブルを拭いていただくなど頼むと、「しょうがないわね」と腰をあげられ、キッチンに行き、水を出して布巾を洗う、お茶碗を洗う、ということもなさられるようになったのです。テーブルがきれいになったので、お茶を飲みませんかとお誘いすると、お茶を飲まれ、そんな団欒の時間の中で笑顔が出てきて、お母様も、そしてお父様も昔の話をしてくださるようになりました。
大須賀さんの子ども時代の子育ての大変さなども出てきて、事前に伺っていたお母様とはまた違う、凛としたお母様が見えて来ました。

「中沢」のダイニング


大須賀 本当にびっくりしました。皆さんは母に役割をくださった。それもごく自然に、普通の生活としてやらせてくださっている。その中でしっかりしてきた母を見ている父の表情が、まるっきり自宅にいた時と同じなんです。それがすごいなと思ったことの1つです。

実は父はろっ骨を折った頃から、「俺は生きていてもしょうがない」とか、「死にたい」と口にすることがありました。父はなんでも自分でやりたい人なのですが、骨折して以降、自分でできなくなったことがたくさんあります。立つことも人の手を借りなければいけない。それが情けなくてしょうがない。ですから「死にたい」と口にする。私はわりとなんでも言ってしまう娘なので、父がよく、「首にかける縄は細いのと太いの、どっちがいいと思う?」などと聞くので、「私は細いほうだと思う」。「どうして?」、「太いのは結ぶのが大変じゃない」「そうだなあ、それは大変だなあ」と父が答えるそんな会話をしてしまうのですが、内心はいつかそうなってしまうのかなという怖さがありました。

「中沢」に来ても、父は「死にたい」と口にすることがあるようなのですが、父に対して、スタッフの方がじっくりと向き合ってくださっている。それも父が安定してきた一番の理由ではないかと思っています。

スタッフの話 お父様の「死にたいけれど、どこで死ねるかな?」という言葉に対して、スタッフはどう対応したらいいのか。これは私たちの中でも課題でした。
お父様は動くことができるので、実際の行動に移すことも考えられました。スタッフ全員で、お父様が「死にたい」と口にされる言葉の裏側に何があるのか、そこの部分を考えながら、ただお話に耳を傾ける、傾聴することに徹しました。
こちらから「娘さんが悲しみますよ」と言った言葉を発するのではなく、とにかく聴くことを大切にしました。ご本人 の話が終わった時には、ただ、本当に私たちは一緒にいますから安心してくださいという姿勢をお伝えしていました。

大須賀 そこなんです。いろいろなことは何もしなくていいから、ただ向き合って、そばにいてくださる。その時間の使い方、心遣いの細かさがありがたいのです。今でも時折「死にたい」と口にすることはありますが、父は「中沢」の中で、自分の居場所を見つけた気がします。どこに行っても自分を受け入れてもらえる、そういう安心感が父の中にできてきたのではないかなと思うんです。

先日、お隣の新天本病院の外来リハビリに、車椅子を押して父を連れて行きました。帰りのことです。病院の前に、どこかのホームのお迎えの車が来ていました。私が何気なく父に、「前のホームだったら、病院まで車で送り迎えしてくれて楽だったわよね」と言ったんです。そうしたら父が、「いやいや、お前はわかっていない。絶対に今のほうがいいんだよ」と。私は思わず聞きました。「どうして?」と。父は言ったんです。「だって、自由だもの。お前にはわからないだろうけどなあ」と。

「中沢」に来て、私は両親の気持ちの再生を見ているようです。たまたまなのですが、うちに枯れている木がありました。水をやっても何をしても芽が出ず、ダメだった木だったのですが、ある日、芽が出て、葉っぱが出てきて……。その様子が私には両親の姿とだぶって見えました。手をかけすぎる介護ではなく、大事な部分をピンポイントですっと支えてくださる。それにより、父たちが自力で芽を出した。私が今回の入居で得たのは「父と母の再生」でした。
この先もプロの方々の支えを得ながら、両親をみて行きたいと思っています。

介護保険外ショートステイスタッフとの一枚

ゆいま~る中沢 外観写真

利用1日目から表情がイキイキしたんです。

松沢三千夫さん
(矢野信子さんのパートナー・66歳)

矢野信子さん(76歳)は20年以上前、脳出血で倒れて左片麻痺に。その後がんを発症して入退院を繰り返し、ここ数年は入院生活が続き、すっかり足腰が弱り、ベッドでの生活になってしまわれたそうです。長年ともに暮らす松沢さんは、矢野さんがせめて自力でトイレに行けるようにとリハビリ病院への転院を申請。
しかし行きたい病院は待機待ちの状態。その間の短期入所先として「中沢」を利用されました。病院生活が長かった矢野さんにとって、病院ではないもう一つのケアの場である「中沢」は、新しい大切な環境だったのかもしれません。
松沢さんと矢野さんからショートステイ利用の感想を聞かせていただきました。

Q:「ゆいま〜る中沢」をご利用になるきっかけを教えて下さい。

松沢 うちのは脳出血から子宮頸がんになって、放射線治療で治ったと言われたのですが、その後も貧血のような状態だったのか、具合が悪くてここ1年ぐらいはほとんど寝たきりでした。
総合病院に入院して治療してもらい、担当の主治医に「普段の生活には支障がない状態まで回復している」と言われて退院となったのですが、自分でせめてトイレに行けるぐらいの状態にならないと、家での暮らしは難しい。だからリハビリができる病院への転院をということでAリハビリ病院に入院しました。

ところが血液の数値が悪く、元の総合病院に再入院になってしまった。ようやく数値が安定したので、またAリハビリ病院に戻りたかったのですが、病状が安定しないという理由で、八王子にあるBリハビリ病院に入院することになりました。もっともBリハビリ病院は3ヶ月の待機待ちという話で、その間どうするかということになって、総合病院のソーシャルワーカーさんが、「中沢」のショートステイを紹介してくれたんです。

Q:ここを利用される前、いろいろ不安な部分も多かったのではないですか?

松沢 不安はあまり感じなかったですね、なるようになれ、という感じで。たとえ深刻な事態であっても、深刻には考えないようにすべてにおいてしているんです。私は仕事もしなくてはいけませんし。

Q:お仕事は何をなさっているのですか?

松沢 調理師で日本料理が専門です。雇われて働かせてもらっています。まだ働かざるをえないってことかな。入院費用もありますからね。
うちのとは、かつては結婚していましたが、離婚をしたので、今は籍は入っていないんですよ。だから戸籍上は夫婦ではないんだけれど、また面倒をみているというのか、一緒に住んでいます。いろいろな形があっていいかなって、私はいちいち気にしないですからね。

Q:「中沢」のショートステイを利用されて、いかがでしたでしょうか?

松沢 顔の輝きが病院にいる時と違ったんじゃないの? ここで生活している時、なんかイキイキしてきたような気がするんだよね。病院だけだと顔に生気がないというか、そういうところがあったんだけど、ここに来て、皆さんと話なんかできて、元気が出てきたような感じがしますね。
最初、ここ(「中沢」)に移るとき、本人は、また病院から別の病院に移るんじゃないかと思っていたんじゃないですか。これまでにそういうことを何回も経験してきているから。ところが病院じゃないここに来て、皆さんがよくしてくれて、と感激していました。

Q:どんなふうにおっしゃっていたのですか?

松沢 言葉というより、顔に表れていました。最初はうれしくて半泣きだったのかな。ここは病院ではなく、普段の生活に近いですよね。たとえば入院していた病院のベッドは、手すりがガタガタしていて、それを持っても自分の力で起き上がることができなかった。ところがここではベッドの手すりがしっかりしている。本人がある程度力を出して、起きよう、立とうという意欲を見せられるじゃないですか。それをスタッフの皆さんも親切に見ていてくれる。そういうことだけでもだいぶ違ったと思うんですよ。

あと、私がびっくりしたのはテレビのことです。病院のテレビはカードを買って、それを入れて観るんですが、「テレビ、観るか?」と言っても、「観たい」と言ったことが一度もなかったんですよ。むしろ観るのを嫌がっていたんです。ところがここに来て、テレビを観ていたから驚きました。ここでご飯を食べる時に、テレビを観ていたから、あれ? テレビを観るんだなあ……とびっくり。

スタッフの話 矢野さんには、「家にいる時と同じように過ごしてください。たとえばお部屋ではなく、リビングでテレビが観たかったら観てくださっていいですし、消灯時間は一応21時と決まっていますが、そのあとも、リビングにいていただいても結構です。ご自分の自由になさってください」とお伝えしました。矢野さまは、「自由にやっていいの?」と驚かれた様子で確認をされていました。ですから「どうぞ」と申しました。そうしましたら、「トイレに行きたいのだけど、手伝ってくれるの?」とご質問がありました。病院ではトイレもベッドの上だったのですね。

松沢 病院ではオムツでしたから。トイレに行きたかったのだと思います。
それと、病院とここでは食事や食べるところの雰囲気が明らかに違うというのもあったのかな。食べることの楽しみがあったというか。「うまいものを食べたい」という気持ちはあったんじゃないかな。ずっと病院食でしたから。病院の食事は私も味見をしたけれど、やっぱり3食これだと、他の違ったもの、変わったものを食べたくなる気持ちはわからなくはないですよね。ここでの食事も、顔がイキイキしちゃった理由かもしれません。

Q:リハビリ病院の待機期間が3ヶ月程度ということで、その間、ショートステイを利用されることになりましたが、病院のベッドの空きができて転院されました。今回のリハビリはどのような目標なのですか?

松沢 脳出血から子宮頸がんになったんですが、がんになる前、脳出血になった段階で左片麻痺になり、かなりの重症で、自分で立って歩くことができなくなりました。車椅子生活になり、自分でベッドから車椅子に移れる、自分の足で車椅子を漕げる。退院した自宅では、車椅子で台所に行って、食器をなんとか洗える、そのぐらいのことしかできなかったんですが、また具合が悪くなって入院したらもう立てない。ここ1年はほとんど寝たきりでした。

リハビリ病院へ転院させた私の希望は、自分でベッドから起きて、車椅子に移り、自分で漕いでトイレに行き、用を済ますことができる。そして車椅子でベッドに戻って、寢ることができる。そういう動作ができるようになることが目標です。脳出血後も、がんになる前は普通にできていましたから。そこまで回復してくれたらいいなと思っているんですけれどね。

リハビリ病院を退院したら、自宅で生活するわけですが、私は仕事に行っているから、昼間は誰もいない。とくに私の仕事は、朝から夜までほとんど家を空けている時間が長いので、1人でやれるようになってもらわないと。
以前、自宅で転倒して動けなくなったことが何度かあるんです。トイレもそうです。車椅子に移動する時に失敗してしまって、倒れて何時間も動けないとか。近くに電話がある時には這って行って、隣県にある実家から家族が来て助けてくれたこともありました。そういうことが4〜5回ではきかないんじゃないかな。車椅子から落っこちたら最後、もう動くことができないから。

Q:介護認定は受けていらっしゃいますか?

松沢 要介護4です。

Q:ということは、訪問介護など介護保険のサービスを利用することによって、ケアを受けることができますね。

松沢 そうなんですが、(訪問介護は)使っていないんです。本人が嫌がるので。なんでしょうね、他人が家に入ってくることが嫌なのですね。マッサージなんかも、訪問のサービスがあるから利用するように何度か言ったのですが、本人が嫌がって使ったことがありません。(通所介護の)デイサービスだけはかつて1週間に2回程度、何年か通ったことがあるのですが。

次に退院して自宅に戻ることができたら、本人が嫌がらなければ、ぜひとも訪問介護は利用したいですね。そうすれば定期的に入ってもらえるから、不慮の事故があった場合に、なんとか対応ができるんだけれども。ただ、そういうのも本人次第だと思いますが。

リハビリをしたからって、すぐに良くなるというわけではないと思うけれど、せめて寝たきりになってしまう前の、車椅子や手すりを使って動ける状態になってくれれば十分です。自分らしくやっていく、そういう気持ちが一番大事だなと思います。
病院から「中沢」へ。一瞬で自宅に戻ったように感じたのです。

松沢三千夫さんのパートナー矢野信子さん ミニインタビュー


Q:リハビリ病院に入院中の矢野さんに、「中沢」のショートステイを利用された時のご感想をうかがいました。
一番印象的だったことを教えていただけますか?

矢野 長期入院した病院を退院した時、車で迎えに来てくれた家族に、「次はどこに行くの?」と聞けなかったんです。きっと遠い施設に連れていかれるのだろうな。車に何時間ぐらい乗るのかな。次の転院先にはどのくらいの期間いるのだろう……。いろいろ聞きたいことはあったんですが、何も聞かず、車の中でただただ不安で仕方なかったことを覚えています。

ところが遠いところへ行くと覚悟していたのに、自宅のある多摩市の見慣れた景色が見えて、車に乗ってすぐというくらいに目的地へ到着。「えっ? こんなに近くに療養できる場所があったの?」と驚きました。それまでの不安は薄れて、むしろ嬉しくなったのです。着いた先の「ゆいま〜る中沢」は病院ではなく、生活ができる場所でした。廊下やエレベーター、いろいろなところに手すりがあり、車椅子でも動きやすい。とてもいい環境で感動しました。病院から「中沢」へ。その一瞬で、まるで自宅に戻ったように感じたんです。

病院ではリハビリの時間以外は何もかもがベッドの上でした。治療する病院だから仕方ないのですが、動ける環境がなく、自由がないように思いました。「中沢」のショートステイを利用する時、まずスタッフの人に言われたのは、「ここでは自由にしてください」という一言でした。自分が自由に動ける環境があり、スタッフの人も「自由に」と言ってくださる。その言葉がとても嬉しかったし、愛をいただいたように思いました。愛が嬉しい気持ちになり、やる気に変わり、頑張りたいなという思いが私の中でどんどん大きくなったのです。

ここにいて病院とは違う生活をすれば、いつかは自宅に帰れると思いました。そんな矢先に、また別のリハビリ病院への転院が決まったという話を聞きました。本当は行きたくなかった。しばらく「中沢」で生活したかった。これが本音です。でも、自宅に帰るためにはリハビリをしなければなりません。「中沢」のスタッフの方から、「リハビリの専門家の指導を受けて、また元気な姿を見せてほしいです」と言われて、頑張ろうと思いました。

病院への転院に際して、スタッフの方は「さようなら」ではなく、「行ってらっしゃい!」と見送ってくださいました。その時、もっともっと頑張ろう、元気になって今度は「中沢」に遊びに行こうと思ったんです。いつか自宅に戻り、人の手を借りなくてもトイレや身の回りのことが何とか一人でできるように頑張ろう。そんな日のために私は専門病院に行くことを決断しました。

はなまるマーケットに取材されました!

9月16日(月)、TBSはなまるマーケットがゆいま~る那須に取材に来られました!

この日はちょうど台風18号が上陸し、早朝からの激しい雨と風。無事に取材クルーの方が到着するか心配をしていましたが、無事に到着され、一安心。

今回、はなまるマーケットの「将来の住まいを考える・最新住宅事情特集!」のコーナーの中の「進化するサービス付き高齢者住宅」にゆいま~る那須が紹介されます。“働く”にスポットが当てられます。

Kさんの蕎麦打ち、インタビューの撮影。力強くリズミカルに蕎麦を打つ姿に、取材クルーも感心されていました。

美容師のTさんは、居住者の髪をカットしている様子を撮影されました。

髪を切っていただいていた居住者のWさんは、レポーターから感想を求められると、「髪を切った後にデイサービスに行くと、みんなに褒められるの。髪を切ってもらうことは、Tさんとの心の交流でもあります。」と。心の交流という言葉が出てきたことに、スタッフも取材クルーもびっくり。

この日は、自由室でコロコロ積み木の作業もしており、3名の方が積み木用の木を磨いていました。3種類のヤスリを使って丁寧に磨いていきます。

磨き終わった木は、しっとりすべすべでいつまでも触っていたいようなさわり心地です。作業されている皆さんは、仲間と楽しく話をしながら、仕事をされています。

コロコロ積み木のお仕事は、まだスタートしたばかりですが、子どもたちが木のぬくもりを感じ、安心して楽しく遊べる、そして自然に思いを馳せられる…そんな存在に育っていけば嬉しいです。

悪天候の中、約1日をかけて行われた撮影もなんとか無事に終了。

取材クルーの方たちには「イキイキとしたみなさんの顔を見れて、取材してよかった!と実感です!」とのお言葉をいただきました。

私たちにとっては、当たり前の日常風景が、多くのメディアに注目されています。「自分たちが望む暮らし」を実現できる場が、ゆいま~るの暮らしです。

夕方には台風も過ぎ去り、とても美しい夕暮れが見えました。那須は、これでグッと秋が深まっていきます。

 

週刊朝日9/27号にゆいま〜る中沢が紹介されました

「今日発売の『週刊朝日』9/27号に、ゆいま〜る中沢が出てる!」と電話をもらい、台風が迫るなかですが、駅の売店まで走りました。

表紙に「ひとりで死ぬ準備 話題の『サ高住』って?」

ページをめくると、ありました! ゆいま〜る中沢にお住まいの方のお話とともに、ゆいま〜る中沢の写真(写真の右端)も掲載されています。取材を受けたのは8月のことでした。

サービス付き高齢者住宅が注目を集めていますが、私たちは「住まい」を提供するだけでなく、「住まい方」「暮らし方」を大切にしてきました。元気なときも、介護が必要になったときも、「自分らしい暮らし方」をして、「自分ができること」を続け、社会とかかわっていきたい。そんな思いを大切にしていきたいと思っています。

病気になったり、介護が必要となったときのために、地元の病院や診療所と連携して「切れ目のない」医療介護サービスが受けられる仕組みも整えてきました。

また、ゆいま〜る中沢に暮らす方だけでなく、在宅で最期まで暮らしつづけたいという思いを受け止めた仕組みにも力を入れています。ゆいま〜る中沢の中にある「介護保険外ショートステイ」はたとえば、「自宅で転んで骨折した。病院は3日で退院といわれた。このまま家に帰って生活するのは無理。看護や介護の見守りのある場所でリハビリを受けながら在宅復帰を目指したい」「要介護認定を受けていないが、体調が不安なので見守りのある暮らしをしたい」など、在宅で暮らしたいという様々な「希望」を受け止める居場所を目指しています。

多摩市初のサービス付き高齢者向け住宅のことを記事にとりあげていただき、少しで多くの方にゆいま〜る中沢を知っていただき、悩んでいる方のお役に立ちたい。そのように思っています。

ゆいま〜る中沢

〒206-0036東京都多摩市中沢2-5-3

フリーダイヤル 0800-800-7037

上野千鶴子さんと居住者との本音トーク

ベストセラー『おひとりさまの老後』の著者で社会学者の上野千鶴子さんが9月4日(水)、ゆいま~る中沢に来訪されました。

午後0時30分、ゆいま〜る中沢に到着後、上野さんはゆいま~る食堂へ。居住者のみなさんに「上野千鶴子さんとランチをご一緒しませんか」と事前に声をかけていたのですが、「上野さんのお話を聴きたい!」と14名の方がご参加されました。

この日の能戸シェフ自慢の「カロリーランチ」は、チキンの煮込み、ビジソワーズ、総菜にごはんとデザート。おいしい! そこで上野千鶴子さん

「ねえねえ、みなさん、今日のランチは特別メニューだったりする?」といきなりの突っ込み。

「毎日メニューは変わりますが、今日が特別ってことはないですよ」と居住者のAさん。ランチタイムは笑いからスタートしました。

上野さんの話を聞こうと集まったみなさんですが、上野さんの居住者への逆インタビューが始まり……。最初は、少し緊張した面持ちでしたが、インタビュー名手の上野さんの質問に、「ゆいま~る中沢の入居を決めた経緯」「ここでの暮らしの様子」などをどんどんお話をされていました。上野さんはそれぞれに、

「ねえ、ゆいま〜る中沢にきて、よかったと思ってる? 本音を聞かせて……」と。

その頃には場の雰囲気もすっかりやわらぎ、

「ほんとによかった。父は自分らしさを取り戻し、生気が蘇った」

「家を処分してきたので、最初の2週間は寂しくて泣いていた」

「マンションで一人暮らしでしたが、ここに来てからの方が活発。旅行が好きなのですが、生活コーディネーターがいるので安心して留守にできる」

「ペットと住めるというのが魅力だった」と話された方に、上野さんは「じゃあ、ペットと住めるなら、ゆいま〜る中沢でなくてもよかったの?」と質問。その方は「はい、そうです」と(笑)

などなどトークが続き、ふと居住者のおひとりがこう一言。

「上野さん、写真で見るより実物の方がかわいい!」

その場がどっとわいたことは言うまでもありません(笑)。とても素敵なお食事会となりました。

↑その後、ゆいま〜る中沢の1階にある「あいクリニック中沢」をご見学。院長の亀谷学医師が出迎えてくださり、上野さんは、

「あら、先生、こんにちは。その節はどうも」と(8月2日にパルテノン多摩で開催されたフォーラムで、お二人はご一緒されたばかり)。亀谷先生も笑顔。あいクリニック中沢は外来診療に加え、訪問診療で在宅を支えることにも力を入れ、体制を整備されていることに、上野さんは興味をもたれ、いろいろ質問されていました。

↑ゆいま〜る中沢のハウス内もたっぷりご見学いただきました。居室、共用スペース、介護保険外ショートステイなどを見学。古賀ハウス長(写真右)からゆいま~る中沢の暮らしの様子、サービス付き高齢者向け住宅の仕組みなどをご説明させていただきました。

↑また、在宅を支えるための「介護保険外ショートステイ」では、ランチに参加されていた方のご両親のお部屋を訪ね、

「こんにちは。さきほど、娘さんとお話しました。すてきな娘さんですね」と上野さん。

ご両親は「よくいらっしゃいました」としばし会話を楽しまれていました。

上野千鶴子さんの来訪は、昨年のゆいま〜る那須(栃木県那須町)、ゆいま〜る聖ヶ丘(多摩市)、ゆいま〜る多摩平の森(日野市)、ゆいま〜る伊川谷(神戸)に続き5つめです。

それぞれのゆいま〜るで、居住者がそれぞれ自分らしく、仕事をしたり、趣味を楽しんだりする参加型の暮らしをご覧いただいてきましたが、ゆいま〜る中沢では、在宅を支えるための仕組み(介護保険外ショートステイ)も見ていただくことができました。

上野さんの優しい眼差しと楽しい会話にハウススタッフ一同、たくさんの元気をいただきました。

 

 

ようこそグループハウスへ!歓迎会開催

妻が入院され、ひとり暮らしになってしまったKさんがグループハウスを体験利用をされました。

体験利用というのは、グループハウスでの生活が、どのようなものか、実際に宿泊し知ってもらい、また、ハウス側としては、どのようなサポートが必要か見極めるためのものです。

他の居住者の方々への紹介を兼ねて、食事会を開きました。Kさんと娘さんを囲み、趣味や故郷の話、関東大震災の経験(!)のお話もあり、あっという間に2時間が過ぎました。Kさんや娘さんもハウスにお住まいの方たちが、ご自分のペースで楽しそうに暮らしている様子を見て、聞いて、「良かったわ。お部屋のドアを開ければ、誰かがいてくれる。その安心感がいいですね。」とおっしゃっていました。

グループハウスは、若者の間でも流行りのシェアハウスのようなところです。

ご自分の部屋があり、また共有スペースには24時間スタッフがいて、必要に応じてサポートします。居住者の方たちの交流も、その日、その方のペースでされています。「たまには、ガヤガヤ賑やかに食事をするのもいいわね。次の企画が楽しみね。」と声掛け合っていました。

Kさんは、そのまま本契約となり、新生活も軌道に乗りつつお過ごしいただいています。

ゆいま〜る食堂と草むらの会「畑deきっちん」

ゆいま〜る中沢がオープンしてからまもなく半年を迎えます。私たちは、地域に暮らす方々の「居場所」「拠点」を目指し、1階にある「ゆいま〜る食堂」は地域の方々にもご利用いただいているところですが、ひとつ残念なお知らせがあります。

オープン以来、ゆいま〜る食堂の運営を担ってこられた「NPO法人多摩草むらの会」さんがこの7月末日をもって運営を辞退されました(ゆいま〜る食堂は現在、弊社スタッフを中心に、通常通り営業しています)。

9月3日、代表理事の風間美代子さんとお会いしていろいろお話しました。私たちは、地域で障がい者の就労支援に取り組んでこられた草むらの会さんの存在を大切に思っていること、「支え・支えられ」の連携が十分にできなかった課題を今後に生かしたいといった思いをお伝えしました。

風間さんからは障がい者の就労支援事業にかける熱い思いをうかがいました。

「私たちは障がい者就労支援事業所として、収益性など高いレベルの運営が要求されるA型事業所の登録(最低賃金を保証した労働契約を締結する、週31時間以上勤務)を目指してきました。8月30日に、ココリア多摩センター6階レストラン街に『畑deきっちん』をオープンしたのもその夢の実現のためです」と風間さん。

↓「畑deきっちん」

ココリア多摩センターにオープンした「畑deきっちん」にもうかがいました。直営工場(夢畑)の地場野菜を中心にした食材で作られたお料理、甘味・デザートなどがいっぱい。おいしくいただきました。

「ゆいま〜るの居住者さんたちやスタッフに畑deきっちんのことを伝え、みんなで食べにきますね」と風間さんにお伝えすると、とても喜んでくださいました。

多摩の地で、高齢者も障がい者も子どもも、尊厳を守られ、自分らしく、安心して暮らし続けるまちづくりに向け、形は変われどこれからも共に支え合っていきましょうと手を握り、確認しました。

ココリア多摩センター6階にある「畑deきっちん」にて。代表理事の風間さん(右)。左は、開店のお祝いにお花をもってかけつけた社団法人コミュニティネットワーク協会の近山恵子理事長