自然に声がけ。コミュニケーションが取れる嬉しさ。

ゆいま〜る多摩平の森
中山満里子さん(81歳)の場合

(入居:2012年4月)

中山満里子さんは主に都立病院・産院の看護師として臨床に、そして管理職として活躍され、退職後も海外で医療ボランティアに参加するなど、まさに看護ひと筋。その中山さんに「多摩平の森」への住み替えの理由、暮らしてみての感想など、じっくりうかがいました。

Q:中山さんは看護師だったそうですね。

中山 ええ、そうです。全部で37年間勤めましたでしょうか。
私は小さい時から看護婦になりたくて、授業中に消しゴムを小さく切って、「はい、おくすり!」なんて言ってお友たちとやりとりしたり。昭和25年に都立の看護学校に入って学業、実習、教科などをやり、国家試験に合格して、都立病院の看護師になったんです。

公務員ですから異動がありますが、主に小児科で、ずっと子どもたちの看護をしておりました。心身障害児者のケアにも携わり、最後は精神科も経験し、管理職でしたが、ただ師長室に座っているのではなく、なるべく現場に行って、皆さんと一緒に行事をしたり。

人様の看護ですからむずかしいことはあります。でも、子どもが好きでしたから、楽しかったですよ。私は独身で、子どもを産んだことはありませんが、人様の子どもさんを育てたり、それこそミルクを飲ませたり、離乳食を作ったり、それをちょいと味見したり(笑)。

Q:住み替えを考えた理由は?

中山 住まいは寄宿舎生活から始まり、次にアパート暮らし。そして40代に入り、自分でマンションを買い、三部屋あり、とても快適な生活を送ることができていたんです。

ただ、今、「孤独死」とか、お子さんがいても親の面倒をみないとか、世の中が昔とは変わってきてますでしょう? それで私もこの先の暮らし方を自分で選ばなければならないと考えたのです。

とくにここ数年は胆石で入院したり、白内障の手術を受けたり、今までは看護師として医療を提供する側でしたが、医療を受けるようになって、初めて患者さんの不安というものを身にしみたということでしょうか。ひとり暮らしなので、この先も何があるかわからないですよね。安心で安全に老後を過ごせる道を、今、元気なうちに選ばなければならないと痛切に感じたのです。

それと、私が住んでいたマンションはエレベーターがありませんでした。5階建ての5階。若い時にはバリバリの現役。階段の昇り降りなんてまったく平気でした。見晴らしがいいから一番上がいい、そう思って決めた家だったのですが、年をとってくると5階まで階段で、というのが厳しい。暮らしていく一番のネックでした。

Q:「ゆいま〜る多摩平の森」を選んだ決め手は?

中山 介護付き老人ホームをいろいろ見て回りましたが、もうちょっと自分らしくというか、まだ元気なうちは自分でいろいろできるところで暮らしたい、という希望がありました。外出もして、自由に過ごしたい。お買い物をして、自分でお料理を作って食べたい。一杯飲みたい。いずれは人様のお世話になって、いろいろやっていただかなければならないにしても、まだ自由に動ける今は、できるだけ自分で暮らせる、そういうところを探していたんです。

「多摩平の森」は、日野市の広報で知って、お友だちと見学に行ったのですが、いろいろ説明を聞くと、まさに私が探していた自由に暮らせるところなので、迷わずここに決めたのです。

Q:お部屋選びのポイントは?

中山 私は約13畳のワンルームに約4.3畳の独立したキッチンがあるCタイプの住居を選んだのですが、何よりよかったのはキッチンが別だったこと。お魚を焼いたり、煮物をしたり、そういう匂いが居間にいかないほうがいいかな、と。 前にいたマンションが51m²で、ここと10m²ぐらいしか変わらない。それもよかったですね。部屋数は三部屋あったので減りましたが、居間が広いので狭くなった感じがしません。

それとここはお風呂とお手洗いが車椅子でも使えるようにと広く作ってあるので、それもいいですよね。今は介護も車椅子も要りませんが、先々のことを考えると安心です。

Q:引越しはスムーズに進んだのですか?

中山 これは少し大変でしたね。捨てるものは捨てる。持っていくものは持っていく。この仕訳は自分で帆をかけてやるしかない。着物にしても洋服にしても、過去2年着なかったものは思い切って捨てました。もったいない…と言っていたらきりがない。だけど、ちょっと迷ったものは持って来ました。

一番困るのはアルバムです。現役の時の白黒写真なんかはみんな捨てました。アルバムを10冊ぐらい捨てたでしょうか。私が死んだらゴミにしかならない。そう思ったら、いつまでも未練がましくするものじゃないと、だんだん思うようになりました。こうなったら「断捨離」(注・やましたひでこさんの生活整理術)です。迷って持ってきたものについて、もう一度仕分けをして要らないものは捨てなければならない。それをしなければと思っているところです。

Q:住んでみて良かったことは?

中山 ここは24時間の見守りがある、ということでしょうか。昼間はフロントの方たち、そして夜は当直のおじさま方がいらっしゃる。その方々がとってもよくやってくださるんです。今日も手すりをきれいに拭いてくださっていて、ありがたいなあ、と。

それと他の居住者の人たちと仲間意識が生まれてきた、というのもあります。今までのマンションも住み心地はよかったのですが、隣は何をする人ぞ、というのはありました。ここは朝、体操の時間があったり、多少年齢差はありますが、皆さん、安心を求めて入居されたということで、同じような思いがあるから、「おはようございます」「大丈夫ですか?」と自然に声かけができる。コミュニケーションが取れる、それがうれしいですね。それでなくても、私は「土瓶」で、横から口を出すほうですけれど(笑)。

Q:「安心」はどういう時に感じますか?

中山 部屋に「緊急」ボタンがありますよね。お風呂場やお手洗いにもある。これがまず安心です。いざという時にはこのボタンを押せばいい。そういう見守りがありますよね。

それと前のマンションは台所がガスレンジだったので、火を止めたかどうか、かなり神経を使っていました。出かけても火を止めたかしら? ガスの元栓を閉めたかな…と不安になって引き返したり。ここはIHの電化タイプなので、一応点検しておけば、あとはオーライ。出火の心配がなくなった、これは大きいですね。

それと安否確認ボードが一階にあり、毎朝10時までにそこへ行って、「今朝も大丈夫ですよ」とマグネットタイプの小さなものを、自分の部屋番号のところに貼り付ける。これを私は「ポッチング」と呼んでいるのですが、それも習慣になるといいですよ。

面倒で苦痛という人もいるかもしれません。でも、私にとっては生活のリズムになっています。朝、お寝巻きのままではなく、きちんと身支度をして、朝ごはんの用意をして7時から7時半ぐらいに行く。いっしょにゴミなども出して、帰ってきてから食事をする。こういう生活習慣が私にとっては大事かなと思っています。

Q:エンドステージはどのようにしたいですか?

中山 私は病院だと思います。家で最期まで、と望む方もいると思いますが、私は一人ですから、家で看てもらえる人がいないわけでしょう。だから病院が最期かな、と。

ただ、たとえば今、病院も入院期間が短くなっているので、治療が終わって帰るように言われたら、「多摩平の森」に新設された「ぐり〜んはぁと」(小規模多機能型居宅介護施設)も利用できると聞き、安心しています。療養型の介護病棟も縮小になっているので、病院を退院しても、介護が必要になったら行くところがないなあと思っていたので、その時はここのスタッフに相談したいですね。

Q:日々の楽しみを教えて下さい。

中山 一番の楽しみはコーラスに行くことです。今、2つのコーラスに入っているのですが、1つは10年目、そしてもう1つは20年になります。7月には20周年の集まりもしたんですよ。

私にとって大事なのは、看護師として働いてきたこととコーラスです。入院している子どもたちのために、よく先生といっしょにクリスマスや七夕など催し物をしたものです。子どもたちが良くなって退院する喜び、それから亡くなった時の悲しみ、喜怒哀楽を身をもって感じてきただけに、人間看護は難しいけれどやりがいのある仕事でした。本当に看護師を選んでよかった。また来世に生まれ変わっても、私は看護師になりたいと思っています。

そして、今の喜びはコーラス。今日も午前中、童謡や唱歌を歌ってきたんですよ。「みかんの花咲く丘」や「手のひらを太陽に」とか。

うちにいるときには、テレビで歌番組を見て、ソプラノで歌う人に、私はアルトなので合わせたり。小さな声ですけれどね(笑)。

編集部:コーラスの仲間、そして入居で出会った新しい仲間、人とのコミュニケーションが何よりうれしいと中山さん。そのオープンマインドで取材にご協力いただきました。ありがとうございました。

団地再生と高島平(ただいま公募前)

UR都市再生機構が高島平団地に「空室利用型のサービス付き高齢者向け住宅」をつくることを公表され、公募が行われることが決まりました。

(株)コミュニティネットはこの公募に参加し、獲得し、高島平団地のコミュニティづくりの一員になりたいと考え、公募に先駆けて活動を開始いたしました。

東京都板橋区にある高島平団地

さて、さっそくですがご報告です。

9月27日(木)に「第1回高島平団地で暮らし続けるしくみをつくる会」を高島平団地内の集会室にて開催しました。

この「つくる会」は、意見交換や学びや楽しみ、議論だけではなく多くの体験などを通して、どのような仕組みをつくれば良いか? どのようなことを整えていけばよいか? を社団法人コミュニティネットワーク協会との連携のもと、参加型でつくり上げていく会です。

初めての会には、団地にお住まいの方から遠くは福井、北海道まで27名もの多くの方々に参加してくださいました。

参加された方たちからは、高島平団地の住み心地の良さが伝えられる一方で、将来に抱える不安や地域活動で取り組まれている内容や課題が多く伝えられ、この新たな取り組みに大きな期待が寄せられていることを実感しました。

不安を抱えている人たちがたくさん集まると、どーんと「場」の空気が重くなりそうですが、熱気に溢れた意見交換となりました。

「場」を分かち合うことで希望の光がかすかに差し込んでくる。その期待感が熱気と明るさを生んだように感じます。

五木寛之さんの「不安の力」という著書にこんなことが書かれていますので、以下に引用してみたいと思います。

—-以下、引用—-

不安の反対語をあえてあげるとすれば「安心」ということになるのでしょうか。(中略)

安心がよくて、不安はわるい。安定が大事で、不安定はよくない。

こんなふうに物事を黒か白かに分けてしまう考えかたを、ぼくはまったく受け入れることができません。(中略)

「心のバランスが崩れているな、と、ふと感じる。

そしてなんとかそのバランスをたて直そうと試みる。

そこにおのずと動きが生まれてきます。生きるということは、結局、命が動いている、ということだと、最近つくづく感じるようになりました。(中略)

不安を敵とみなすか、それをあるがままに友として受け入れるかには大きなちがいがあるはずです。」

—-引用おわり—-

「つくる会」は、まさに「不安から生まれる動きの場」でした。だから熱気に溢れたのだと思います。

この「動き」を継続してみなさんと共に新しい仕組み作りに取り組んで行きたいと思います。

ブログ引っ越しました

初めまして。ゆいま〜る中沢担当の佐藤です。

サイトリニューアルにあたり、「高齢者住宅立ち上げ日記ゆいま〜る中沢」から、こちらに引っ越してきました。

ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、ゆいま〜る中沢は東京都多摩市中沢に建設中の複合高齢者関連施設で、2013年3月オープンを目指しています。

お隣には、多摩ニュータウンで30年にわたり高齢者医療を手がけていらした新天本病院、あい介護老人保健施設があり、そのすぐ先には救急医療•がん医療を重点医療とする地域の中核病院、多摩南部地域病院があります。

多摩ニュータウンにおける医療と福祉の拠点ともいえる場所で、「いつまでも住み慣れたまちで、親しい人に囲まれ、自由な暮らしを楽しみながら、老いが進むにつれて、必要なサービスをうけ、看取りや身辺整理も託すことのできるコミュニティのある暮らし」の実現に取り組んでいます。

ゆいま〜る中沢について詳しいことや、私の自己紹介は次回以降、ひとつひとつお伝えしていきたいいと思います。

建設中のゆいま〜る中沢へ、社会学者の上野千鶴子さんが見学に

両親の介護を経て。「介護はプロに」二人で暮らす気楽さ

ゆいま〜る聖ヶ丘
山田幸夫さん(82歳)桃子さん(77歳)の場合

(入居:2011年12月)

山田幸夫さん、桃子さんご夫妻は東京・世田谷区の戸建住宅からの住み替えです。娘さん一家との同居から一転、「これから老いゆく私たち、介護はプロにお願いしたい」と、「聖ケ丘」を選ばれました。幸夫さんは併設の小規模多機能型居宅介護施設「かりん」(天翁会)を利用。桃子さんは、その「かりん」にボランティア参加。手探りながら新しい暮らしを刻まれ約8ヶ月。感想をうかがいました。

Q:「ゆいま〜る聖ヶ丘」を知ったきっかけは?

桃子 東銀座にある「高齢者住宅情報センター」に私の姉が前からうかがっていて、私も誘われて行ったのが最初です。

もう20年以上前のことになりますが、両親が相次いで具合が悪くなり、介護の必要が出て、どうしようとなったとき、どこかにいい老人ホームがないかと探したんです。ただ、民間の老人ホームは良し悪しがあって、高い入居金を支払ったのに倒産した…なんて話も耳にしたので、結局やめました。ちょうど、3年前に申し込んでおいた大田区の特養が新築され、そこに両親ともそれぞれひと部屋ずつ個室をもらって入ることができました。

両親はそこでしばらく暮らして、母は最期、老衰というのか、病院に行って1日で、そして父も肺炎になって病院に入院して、1週間か2週間で亡くなりました。父が93歳、母が88歳でした。

Q:親の介護情報収集から今度はご自分たちの情報を、その理由は?

桃子 夫とふたりだけの生活になろうと思った、ということでしょうか。私たち夫婦には娘がふたりいるのですが、長女が15年ほど前に事情があって11歳と7歳の子どもを連れて帰ってきて、私どもといっしょに生活をすることになりました。

その孫たちも無事に成人して、ひとりはすでに就職し、もうひとりの孫も大学に在学しながら就活をしています。娘も孫たちももう大丈夫。私たちが支えなくても暮らしていける、そうなって気がついてみたら、今度は私たちが年をとって、支えられる側になっていました。このままだと、今度はこっちが全部彼らにおぶさることになってしまう。私は自分が親の面倒をみた中でいろいろ苦労をしたので、それを自分の子どもたちにさせるのはたまらなかったのです。

Q:親をみる苦労について、少しお聞かせ願えますか?

桃子 親の介護そのものより、子どもにはそれぞれの家族があり、親に対する考え方も違ってきます。そのため子ども同士の意見が一致しなくて、それが両親を悲しませてしまったと、今でも思っています。

だから本当につらいことは人様にお願いしたほうがいいのかな。介護なら職業としての介護の人に関わっていただき、子どもたちを巻き込まない。それは両親のことがあってから、私がずっと思ってきたことでした。

幸夫 家内の両親なので、僕はまだ仕事をしていましたし、少し距離を置いていた部分もありますが、それでもやはり大変だったですね。そもそもうちも含めて、両親の土地に、家内のきょうだいは家を建てさせてもらっていた。そういうこともあって、親の具合が悪くなったときに、むずかしいことも起こってしまう。では、僕たちはどうしようか、ということで、老人ホームの体験入居など、少しずつ動いてみたのです。

Q:老人ホームの体験入居はいかがでしたか?

幸夫 湯河原にある老人ホームでは温泉に入れるというので、楽しみにして行ってみました。温泉はいいですね。それがあるのは気に入ったのですが、まだ元気なうちは東京でもいろいろなことをしたい。それには湯河原に住んでしまうと、電車賃もかかるし、往復の時間もかかってしまう。体験入居はしましたが、住み替えは考えられなかったですね。

そうこうしている時に、たまたま聖ヶ丘に高齢者住宅を作っているという話を聞き、見に行ってみようとなったんです。

ここは東京ですが多摩丘陵を開発したところで、自然がずいぶん残っている。それがいいですね。緑が豊富で、わりと花が咲くんです。とくに春は桜が美しい。空気も世田谷よりきれいです。そういった点では気に入ったんです。ただ、都心に出るには、前の世田谷の家に比べて不便と言えば不便ですが…。

Q:「ゆいま〜る聖ヶ丘」への住み替えの決め手は?

桃子 今、夫が言ったように緑がよかったのと、あとは今思えば、スタッフの方との信頼関係かしら。

入居相談室の方々、女性スタッフの人たちですが、親の介護のことなどご自分もいろいろな経験を持っている方が大勢いらっしゃいます。介護を他人に任せていいのか、罪悪感に苛まれないのか、いろいろ悩みますよね。その時に、介護は人に任せても、親子は気持ちの上で繋がっていられるのだということや、介護に疲れてしまうと親にいい顔もできなくなるなど、スタッフの方々と勉強会も通してじっくり話し合えたのもよかったですね。

幸夫 僕は経済的な問題を考えましたね。支払いが可能かどうか。それは大事ですが、ここは、利益優先というよりも、考え方の1つに「コミュニティ」の創造というのがありますね。「ゆいま〜る」という言葉自体がそもそも沖縄の助け合いを意味しているそうですが、実際に入居してもそう思います。ここは入居者同士の、あるいは入居者とスタッフの助け合い、そういう気持ちがかなり強いように感じます。そういう点に感心したというところもありますね。

桃子 そうなんですよね。「ゆいま〜る」は入居前から勉強会が定期的に開かれていて、そこで出会った方とは、何か通じるものがあるというか、お互い何かあったら助けあいましょうみたいな気持ちがあるのは感じますね。本音で話し合える部分もありますし。

すごく立派な老人ホームで、入口にシャンデリアがあって、フロントの方が「いらっしゃいませ」「お帰りなさいませ」と挨拶してくれる。そういうホームもありますが、それは私が望んでいないこと。ここは入居前からスタッフとも入居を考えている人ともたくさん話し、積み上げてきた関係がある。それがとってもいいことなんです。

だから、かなり言いにくいことでも、私はハウス長さんにきちんと言いますし、話せば、問題が少しずつ改善されていく、その実感もあるので、それもここに決めてよかったなと思うことです。

Q:たとえばどのような改善点がありますか

桃子 最近では、提携している診療所のことについてです。「ゆいま〜る聖ヶ丘」は「あいクリニック」(天翁会)と提携しているので、健康診断やふつうの通院に、「あいクリニック」へ行くことが勧められます。でも、診療所は他にもあります。「あいクリニック」へ行くように勧めるのだとしたら、入居者にとってもメリットがないとおかしくないですか? たとえば◎曜日の◎時ごろは入居者の診察にあてるので、待ち時間が少なくて済むとか、そういう配慮をしていただくのはむずかしいのかと、ハウス長さんに伝えたりしました。

その結果、月に2回、クリニックまで送迎の車を出してくれることになったんです。入居者の中には車がない、移動の手段に困る人もいるので助かります。本当に必要なことを一緒に考えてもらえる。施設側と入居者でいい関係を持つことができる。不満があった時、入居者同士でくすぶっているのは良くない。だったら直接ぶつけてみる。私の性格でもあるんですけれど(笑)。

Q:幸夫さんが小規模多機能の「かりん」を利用されていますが…。

幸夫 会社を定年退職したあと、再雇用で72歳ぐらいまで働いていたのですが、ようやくそれもおしまいになりました。そのあと、家でぶらぶらしていてもつまらないので、世田谷にいる時には、区が主催している老人大学、今は生涯大学と呼んでいますが、そういう講座や、もう一つ市民大学があって、そこへも行っていました。

こちらに来ても公民館で囲碁をやったり、中学の友だちが碁会所でやっているので、そこに顔を出したり…と思っているのですが、最近足元がふらついて転ぶことがあるんですよね。けがをするといけないので、ひとりで歩かないようにと妻に言われています(笑)。

それと、認知症のテストなんかも受けました。その結果、ほんの初期の段階ですが、認知症がみられ、進んでいくといけないということで薬をもらっています。脳を活性化するというので毎日飲んでいますが、私としてはそう悪くなっていない気がしています。あまり効果がないようなら、先生に「止めましょうか?」と言おうと思っているんですが。

桃子 お薬は嫌いだし、お医者さんも嫌い。そんなですから、私は困ります。

この周囲には緑がたくさんあって、お散歩にもいいのですが、毎日私が一緒に歩くこともできません。そういう時、どなたかみていただけたら…と、そうした思いもあって、小規模多機能の「かりん」に週三日通わせてもらっています。介護保険の申請をしたら、要介護1と認定されました。

Q:桃子さんは「かりん」でボランティアをしていると聞きました。

桃子 夫が私の目の届く範囲にいてくれたら安心ですよね。それと私、お料理が好きなんです。ですから小規模多機能の厨房で、お料理作りのお手伝いを時々させていただいています。そうすれば「かりん」がどういうところなのか知ることができるし、夫と家で話をすることもできるでしょう。

Q:「この先のこと」もイメージされていますか?

幸夫 私は今「かりん」に行っていますが、そこで見ていますと、私よりももっと状態の悪い、寝込んでいる方もいらっしゃいます。私もこの先、もっと身体が悪くなったら、「かりん」のお世話になるんじゃないかと思うんです。その過渡期がどういうふうになるかが気になるんです。今の生活からスムーズに「かりん」の「泊まり」を利用した生活がどのようにできるのか。どういうふうに移行していくのか。

桃子 そうなったら、「かりん」ではなく、隣のグループホームの「どんぐり」(天翁会)を利用することもあるかもしれません。

幸夫 まあ、これからもっとダメになってきたら、皆さんがどう対応してくださるのか。それは実績を積んでいくしかないですよね。
僕もすでに「かりん」に通っています。中に入って、これからどうなるのか、他の人のことを見て、自分のことも考えているわけですが、私なんかも、これから先の、ここでの1つの例になるのではないでしょうか。私の身体がだんだん弱ってきた時に、どこで救ってくれるのか。「最期まで」という施設が、どこまで面倒をみてくれるのか。今、様子見をしている段階です。

桃子 あら、ここに来る前は、もしも寝たきりになったら、私と娘にずっと面倒をみてもらって逝きたいとおっしゃっていましたね。

幸夫 まあ、実際にはそうもいかないですね(笑)。

Q:今の楽しみは?

幸夫 ここには「グリーン部会」という植木の手入れをする部会や、図書コーナーの本を整理する図書部会があるんです。そのメンバーになって、他の方々と植木に水をやったり、入居者が寄贈してくれた本を整理してリストを作ったり、貸し出しのルールを決めたり…。そういう仕事をやらされて(!)、けっこう忙しいんですよ(笑)。

桃子 私は今まで短歌と俳句をずっとやってきました。両親の介護のときは短歌でずいぶん救われました。短歌には、そのものを歌わなくても、どこかににじむ。短歌の仲間たちは長いつきあいですから、「今大変なのね」とか、「よかったね」とか言ってくれます。そうしたことでどれほど支えられてきたのか。
ここに来てから作った俳句ですか? そうですね、最近つくったものですけれどーー。

虫の夜やほろと溶けゆく和三盆

編集部:桃子さんは今、これまでにない気楽さを感じているとのこと。「ここなら老いても、病んで何かあっても、皆さんは『私の将来だから』といって見てくださる。似た境遇で、それぞれに過去を断ち切って来た人たちと、助けあって生きていける、その部分で気持ちが楽になったのです」と。短歌や俳句に、多摩での新しい暮らし、新しい風がこれからも吹きこまれていくことと思います。

初めまして、厚沢部より

こんにちは。ゆいま〜る厚沢部の吉木です。私は今、北海道の厚沢部という町で暮らしています。厚沢部町は函館市から車で約1時間15分(57km)、江差町から車で約12分(13km)のところにあります。

今、この地で「ゆいま〜る厚沢部」の建設が進んでいます。ゆいま〜るシリーズとしては初めての介護付有料老人ホームです。これは地元町民の皆さんのニーズに基づくものですが、介護が必要な方だけのホームではなく、この町で暮らし続けたいと願う方たちの「拠点」となるような仕組みづくりにも力を入れています。

たとえば、認知症の方のためのグループホームやデイサービス、さらには在宅生活や在宅療養を支援していく仕組みなど…。

大自然にかこまれた地域で、すばらしい環境との共生というテーマとも向き合いながら、地域の皆さんとともに歩んでいきたいと思っています。

8月28日には無事、地鎮祭が行われました。

東京が恋しい日々もありながら、週末カフェでボランティア
那須に来たからこその出会いを大切に

ゆいま〜る那須
高木まき子さん(77歳)の場合

(入居:2011年5月)

高木さんは「ゆいま〜る那須」の隣でボランティアをされています。そのお姿はとてもお若い! それもそのはず、ご自宅には所狭しと大切な方の写真があり、数ヶ月に1度は東京へ会いにも行かれます。若さの秘訣は楽しみ上手。もっとも那須に来た当初は東京出身の高木さん、都会が恋しくて切なかったとか。新しい暮らしにどうやって慣れたのか教えていただきました。

Q:お部屋はSMAPの木村拓哉さんの写真でいっぱいですね!

高木 はい、好きなんです(笑)。木村くんを最初に見たのは、『若者のすべて』(1994年)というテレビドラマからかな。まだぜんぜんイケていない時からです。ヒットした『ロングバケーション』(1996年)の頃に、大好きだった母が逝ってしまって、そこからはもう木村くん一直線ですね。

山田洋次監督が撮った映画『武士の一分』も良かったし、ドラマで織田信長役をやった時も良かった。現代劇をやるとすかしちゃってどうかな? っていうところがあるけれど、そういう欠点も含めて、なんと言われようと好きなんです(笑)。

Q:美容師をなさっていたとうかがいました。

高木 ええ、やっておりました。うちは、父が私が中学生頃に亡くなり、それから母とずっと一緒に生きてきました。先々もきちんと生きていくためには手に職をつけないと、ということで、少し遅いんですが、30歳過ぎに美容師になったんです。資格を取って2つの美容室に勤めたのですが、母が80歳を過ぎた時に、うちの両隣の方から、「まき子さん、もういいかげん、お母さんと1日過ごせるようにしたら?」と言われまして。それで50代でしたが、お勤めを辞めたんです。しばらく何もしないで家にいたんですが、母が、「玄関をちょっと直して、ご近所の方のヘアをやらせてもらったら?」と。それで玄関と納戸と廊下の一部を壊して、小さな美容室をつくり、お仕事をやらせていただくようになったんです。

私が60歳になったときに、母が旅立ちました。89歳でした。1週間は何もできなかったのですが、仕事をしていた方が寂しい気持ちがまぎれるので、お店を再開して、以来やっておりました。

Q:「ゆいま〜る那須」に来られた理由は?

高木 母は呼吸器が弱かったんです。私も感じが似ていて喘息を持っているので、もしも母の年(89歳)まで生きられるとしたら、この先はどうなるのかなと不安がありました。母ももういませんから、父が残してくれた家を売って、自分で持っているもので間に合う範囲で、安心できるところに住みたいと思ったんです。

本当は、私は都会のネオンが好きだから(笑)、「ゆいま〜る聖ヶ丘」とか、都内の「ゆいま〜る」シリーズを見学したりしていたのです。でも、もしも長く生きられたとしたら、最後は予算がどうかな? 足りなくなったら困るなと迷っている時、「ゆいま〜る那須」を見学しませんかと高齢者住宅情報センターの方が誘ってくださり、それで日帰りで一度、あと一泊体験もしてみたんです。

那須を見てみて、まあここだったらお金もなんとかなるかなあって。実際に住んでみると、空気もきれいだから、気管支喘息が起こりません。気管支拡張剤を朝と夜、必ず飲むのですが、それを忘れる時があります。そのぐらい調子がいいんですよね。

Q:「森林ノ牧場カフェ」でボランティアをされているんですよね。

高木 週に3回ほど、午前10時から午後4時までやらせてもらっています。

私は去年の5月に入居したんですが、お隣のカフェで人手が足りないという話を聞いて、それだったら何人かの入居者の皆さんと、2時間交代でお手伝いに行きましょうか、と。それで行き始めたんです。今年から「ゆいま〜る那須」でワーカーズコレクティブ(入居者と地域の人が出資して地域で必要なことを仕事として作り、地域をよくしていく。)が始まって、皆さんいそがしくなったので、今はカフェのボランティアは私ひとりなのですが続けています。

Q:カフェでの高木さん、イキイキされていて素敵です。

高木 あら、うれしい! 今日もね、カフェの社長さんと話したんですが、彼は「自然があって、空気がおいしくて、ここが大好き。うちの両親もここに呼ぼうかな」って。でも、私は今でも東京がいいかな。「なんで高木さんは東京が恋しいの?」と聞かれたんですが、「ここでのんびりしてしまったら頭がぽーっとしちゃうじゃない。私にはここの刺激じゃ物足らないのよ」って、これが本音です。

カフェでボランティアをさせてもらっているのは、東京みたいな感じというのではないのですが、お客様がおみえになるから、人の景色が変わるじゃないですか。お客様とお話する機会もあるのですが、それも楽しいし、喜んでいただける。帰りに、ちょっとこっちを向いて、「ありがとう」と言っていただけるだけで、すごく自分がうれしくなるんです。

あと、新しいメニューができたときなど、私はスタッフではないんですが、「高木さん、これを味見して!」と意見を求められたり。少し存在を認めてくださっているのかな? それもうれいしいですよね。いっしょに何かことをできる喜びがあるのです。

Q:「ゆいま〜る那須」でのお楽しみは何でしょう?

高木 それは人との出会いです。あっ、ここに来たからこの人に会えたんだな、ということが多いんです。それは大事にしなければと思います。いいもの見つけた! ていう感じ。

ようやくこの年になってわかってきたのですが、入居者の皆さん、それぞれに素敵なものを持っているんです。

たとえば和紙で素晴らしい作品をつくる方がいらっしゃいます。どこで芸術的なセンスを磨かれたのかとうかがったら、その方の娘さんが、「お母さん、いいものをいっぱい見たほうがいいよ」と言ってくれて、美術展や展覧会をたくさん見るようにされたんだとか。その経験が和紙の作品に見事に生きているんです。

他にもセンスのいい方がたくさんいらっしゃいます。ああ、ここに来たからこの方たちに会えたんだなって。

Q:ところで、キムタクのコンサートにも行かれるのですか?

高木 もちろんです! こんどSMAPのコンサートが東京ドームであるんですが、切符がなかなか取れないみたい。抽選なんです。コンサートに行けば4時間立ちっぱなし。リズムはわかるんですが、この曲の時、一階席はグリーンのペンライトを振ってくださいとか、いろいろあるんですが、わからなくなっちゃう(笑)。両隣のお嬢さんに「4時間お願いします」と頼むと、小さい声で「はい、グリーン」「次はブルー」と教えてくれるんです。

帰りはお嬢さんたちが「大丈夫? 地下鉄の入口わかる?」ってすごく親切。「大丈夫よ、そんな年寄りじゃないんだから〜」って笑ってわかれるんですが、楽しいですよ。

那須に来た最初は東京に帰りたい、帰りたい…と思っていたんですが、東京もたまに行くからいいのかなって思うようになりました。

編集部:高木さんのお部屋に、ソフトクリームのコーンカップがありました。うかがうと、カップの手で持つところの紙を上手に巻く練習をされているのだとか。「きちんと巻かないとスポンとぬけちゃう。最初そんなことへのかっぱでできると思っていたら大きな間違いで、むずかしい! ダメ〜って言われるんです(笑)」。1つひとつが全部チャレンジ。それが高木さんの輝きの秘密だと感じました。

60代で引っ越し“気力体力のあるうちに”

ゆいま〜る伊川谷
Aさん(70歳)の場合

(入居:2009年11月)

長く住み慣れた南大阪から、まったく馴染みのなかった伊川谷へ。建設中のハウスを見学し、ほぼ即決だったというAさん。

ここを選んだ理由は? 約3年暮らされた感想は? お話をうかがいました。

Q:高齢者住宅に住み替えようと思われた理由は?

Aさん 原点は「母」です。介護が必要になってから私が身元引受人になって世話をしましたが、本当に大変でした。母はずっと仕事をしていた人で、引退後は一人暮らしをしていました。「年をとって一軒家の管理は大変でしょう。悪いところじゃないから、とにかく見に行ってみよう」と高齢者住宅の見学に誘っても、頑として首を縦にふってくれませんでした。

ところが、76歳で大病を患い、自分から「どこか探して」と私に頼んできたのです。まず、自宅に近かった西宮の高齢者住宅に入居してもらいました。24時間の見守りがあり、部屋も広くて快適に過ごしていたのですが、当時、南大阪に住んでいた私が通うには遠すぎて…。それで、南大阪にある高齢者住宅に引っ越してもらいました。母は人のお世話をするのが大好きな人だったので、ここでも、バスツアーを企画したり、席順を決めたり、元気に、楽しく、毎日を過ごすことができました。

そんな母も89歳で亡くなりました。その高齢者住宅は所有権方式だったので売却手続き、ずっと空き家にしていた自宅の処分など、事後処理が本当に大変でした。実家からも、住んでいた高齢者住宅の部屋からも、びっくりするほど大量の荷物が出てきました。母の想いが詰まった品々だと思うと、軽々しく処分できなくて、思った以上に時間がかかり、気も使いました。

「生きている間も死んでからも、私の身の処理で周囲に迷惑をかけることのないよう、今から準備しておこう。いつでも身軽に引っ越せるように荷物も最小限にしておこう」。それが、母が私に与えてくれた最後の教訓でした。

Q:ゆいま〜る伊川谷への住み替えを決められた理由は?

Aさん 南大阪にある高齢者向け分譲マンションを見学に行った時に、高齢者住宅情報センターのスタッフと知り合いになり、他にもいい高齢者住宅があれば紹介してほしいと頼んだのです。母の時に懲りていたので、「分譲型ではなく賃貸型がいい」といったら、「ちょっと面白いところがあるから」と勧められたのがここでした。

見学に来たのはまだオープン前で、建設中の建物を見せていただき、駅前の事務所でお話を聞きました。正直にいって、100年コミュニティ構想や完成期医療といった理念はあまりよく理解できませんでした。運営会社と入居予定者が定期的に入居者懇談会を開いて、暮らしのルールを検討しているというハウスづくりの姿勢には共感しましたが、今からその仲間に入るというには気後れがして、結局、入居者懇談会には一度も参加しませんでした。

そんな私がなぜ、ここへの入居を決めたのか。それは、なんといっても「駅前約1分」の便利さにあります。年をとればとるほど、体力も気力もなくなってくるので、交通の便のよいところに住むというのは、高齢期をフットワーク軽く過ごし、毎日の生活を楽しむために欠かせない条件だと思っています。

『行きはよいよい、帰りは怖い』と童謡でも歌われているでしょう。行きは元気があるから気にならない距離でも、疲れて帰ってきた帰りは、駅からの道のりがすごく遠く感じて、ついタクシーに乗ってしまう。そのうち、外出そのものが億劫になる。そうはなりたくなかったんです、私。その点、ここは、プラットホームから建物が見えています。駅に着くと、「我が家に帰ってきたぞ」と思える安心感は、ちょっと他のハウスにはない魅力ではないでしょうか。

Q:今、どんな暮らしをされていますか?

Aさん ハウスで開催される講座に参加するなど、毎日を楽しく過ごしています。お買い物は西神中央(地下鉄で2駅先)が多いですね。複数のショッピング施設やスポーツクラブもあって本当に便利です。ハウス主催の講座を一緒に受けている方や、廊下や食堂で会ったらおしゃべりする方などハウス内のお友達に加え、散歩で知り合った地域の方とも仲良くしていただいています。

今はまず、自分自身の暮らしをいかに充実させるかが大切だと思っています。お友達と、待ち合わせて大阪まで観劇やコンサートに出かけたり、奈良へ仏像を見に行ったり。けっこう忙しいんですよ(笑)。

Q:60代での入居ですが、早すぎるとは思われませんでしたか?

Aさん いいえ、全然! かねがね、“終いのすみか”への住み替えは、“体力、気力のあるうちに”と思っていましたから。それまでの住まいの掃除や荷物の整理、引っ越しした新居の片付けといった体力的なものは人様のお世話になることもできますが、気力が必要なことは人様に代わっていただくわけにいかないでしょう。

たとえば、どこに住み替えるか、候補を探して検討したり、契約を交わしたり。人様にお願いすることもできるでしょうけど、やっぱり自分で探して、自分で決めたいじゃないですか。それに、引っ越してからその住まいや地域に馴染むにも、すごく気力が必要なんです。せっかく新しい住まいに引っ越してきたのに、周囲に馴染めずに引きこもっていたのじゃ、つまらないでしょう。だから、60代での“終いのすみか”への住み替えは決して早すぎることはないと、私は思います。このハウスには、私以外にも60代で入居された方が大勢いらっしゃいますよ。

Q:ご自身のエンディングをどう考えておられますか?

Aさん 「焼かれるのは嫌だから、背後に山を抱いた海辺に埋めて」といっても無理でしょう? だから、死んでからのことはいいんです。成年後見人の手続きはまだしていませんが、とにかく、周囲の方の手をできるだけわずらわせないですむよう、きちんと準備しておきたいと思っています。「断捨離」は無理ですが、できるだけモノはためこまないように心がけていますし、終末期に受けたい看護・介護についても書いておこうと思っています。

母が、翌日のお花見ツアーの座席を決めている時に脳梗塞で倒れ、寝つくことなく亡くなったので、私もそんな死に方ができるんじゃないかと思っているのですが、いざという時のために書いておかないといけませんね。延命はしてほしくないけれど、救命医療なら受けたいと思っていますので、やはり、最期は病院で迎えることになるのでしょうね。

Q:最後に、ゆいま〜る伊川谷の運営や施設について、課題と感じておられることがあれば教えてください。

Aさん 24時間の見守りがあり、必要な時に必要な手助けをしていただき、入居者の自主的な活動や地域との交流を支援してくださるなど、スタッフの方は本当によくやってくださっています。運営会社やスタッフの努力があればこそと感謝しています。

ただ今は、入居者の平均年齢が比較的若いから、そんなには手がかかっていないと思うんです。でも、あと5年、10年過ぎて、入居者がもっと年を重ねたら、今とは比較にならない労力がかかる場面も出てくるのではないでしょうか。そんな時に今の体制で大丈夫なの?という懸念はあります。

今は赤字運営で、「できるだけ利用してください」と協力を求められることの多いゆいま~る食堂ですが、入居者が高齢化し、利用率が高まると、今の状態では充分なサービスができなくなるのではないかしら。入居者の高齢化を視野にいれた計画があるなら教えていただけると安心なのですが、そうした話は出てきていませんね。

人間は欲深いから、よくされればされるほど、「もっと、もっと」と要求が高まります。しっかり包み込まれて身を預けていたい。歳をとればとるほど、その欲求は高まっていきます。
入居者が今よりも年齢を重ねた何年後かに、ゆいま〜る伊川谷はその真価を問われる正念場を迎えるかもしれない。そんなことも考えるんですよ。

敬老の日に。

ゆいま~る多摩平の森が、たまむすびテラスの一員としてオープンして1年。

団地の再生事業のモデルケースとともに、多世代交流のモデルケースとしても期待されていましたが、この一年の積み重ねを実感できる出来事がありました。

9月17日、間もなくお昼という時間。たまむすびテラスの遊歩道を通って、若者向けシェア型賃貸住宅のりえんと多摩平(http://www.share-place.com/06_08.shtml)の皆さんが山盛りの花でいっぱいの大きな花瓶を抱えて運んできれくれました。

「りえんとの皆より、ゆいま~る多摩平の森の皆様へ」とのカードを添えた大きな大きな花束!そういえばこの日は敬老の日。

昨年の街びらきイベントに始まり、餅つき大会、どんど焼き、さくらまつりと折々の催しを通じて、ゆるやかな交流を 育んできたことへの感謝を表したとのこと。手書きのカードを書いて持参したのは「編み物教室」「着付け教室」の生徒の方、りえんと多摩平を代表して来られ たとのこと。

ゆいま~る多摩平の森は「編み物教室」で先生をしている方が代表で受け取り、たくさんの花々と共に記念撮影。

大きな贈り物は、いただいたカードと共に、ゆいま~る食堂にたまむすびテラスの絆のあかしとして、食堂を飾りました。これからもゆるやかで長~い交流を育んでいきたいとの思いを確かめ合えた敬老の日でした。

ゆいま〜る合葬墓がいよいよ開眼

ゆいま〜るシリーズのなかで最初にオープンした「ゆいま〜る伊川谷」。おかげさまで10月1日、3周年を迎えました。

10月13日には3周年を記念して、サークルの発表などちょっとした文化祭のような会を行おうと、居住者の皆さんと一緒にいろいろ企画中です。お茶サークル、押し花サークル、認知症予防勉強会展示、ひだまりのやど、ヘルマンハープ教室、マジックショー、マッサージ、指ヨガ体験教室……など盛りだくさん。

ゆいま〜るらしい参加型で祝うパーティ! どなたも参加できますので、ご近所の皆さんはじめ、ぜひお立ち寄り下さい。

(お茶サークルは、お茶を点ててくださるとのことです)

さて、ホームページリニューアルを祈念して、今日はお墓の話をしたいと思います。ゆいま〜るを選ばれる方は「自分のことは自分で決める」「入居者同士、参加型で助け合いの暮らしに共感した」という方が多いように感じます。そして、ゆいま〜る伊川谷を「最期まで暮らす終のすみか」として安心して暮らしていただくために切っても切れないのがお墓です。

「死んだ後、迷惑をかけたくない」

「子どもが墓の管理をしてくれるか分からない」

「先祖代々の墓があるが、管理が難しい」

そんな皆さんの声をもとに「共同墓地企画」がスタートしたのですが、いよいよこの11月1日、ゆいま〜る合葬墓(神戸市北区・神戸山田霊園http://kobeyamada.ohnoya.co.jp/)が開眼します。先日は神戸新聞の記者さんも取材に見えました。ご夫婦で共同墓地を申し込まれたKさんに、その動機をうかがうと…。

「自分が死んだら、海へでも散骨してもらえばいいと考えていました。でも、もし家内が先に亡くなったら、自分がやらなくちゃいけないのかと考えたんです」。共同墓地に申し込めば、その時がきても「わずらわしさがなく、安心だから」と。

11月1日にはセレモニーを予定。さらに、「毎年11月1日にはゆいま〜る伊川谷でバスをチャーターしてみんなでお墓参りに行き、昼食を食べて帰ってくるというツアーをしよう」という話で盛り上がっています。

居住者の皆さんに「ハウスにお住まいの方たちと一緒に埋葬されることをどう思いますか?」と聞いたところ、「同じゆいま〜るに暮らす者同士、同じ墓でいいじゃないか。死んだら同じやから、いいんちゃう?」と。

地域のつながりが薄れ、家族のあり方がかわってきたなかで、多様な意識と新しいカタチが求められているのだと感じます。ゆいま〜る伊川谷のあるスタッフいわく、

「お墓は家族・先祖という縦のつながりと思っていましたが、居住者同士という横のつながりもあるのだと感じます。遠くの親戚より近くの他人かも」

彼女は居住者の声を聞くなかで、自分の考えも変化したそうです。

現在、ゆいま〜る合葬墓に申し込まれている方は9組(うち、ご夫婦4組)。11月1日の開眼式を楽しみにされています。

ゆいま〜る伊川谷の居住者の声から始まったゆいま〜る合葬墓の建立。オープンから3年目を迎え、いよいよ実現します。

 

ゆいま〜る合葬墓(運営:一般社団法人コミュニティネットワーク協会http://www.conet.or.jp/

施行霊園:神戸市山田霊園(神戸市北区)

ゆいま〜る伊川谷より

電車で2駅先(4分)より無料送迎バスあり/車の場合は約15分。

神戸市山田霊園ホームページhttp://kobeyamada.ohnoya.co.jp/