足が不自由な姉とふたり暮らし。姉の施設入所で愛犬と転居

ゆいま〜る聖ヶ丘
田中八重子さん(75歳)の場合

(入居:2012年6月)

田中さんは足の不自由なお姉さんと50年間いっしょに暮らされ、そのお姉さんの施設転居から、ご自身の住み替えも考えられたとか。転居のポイントの1つは、愛犬とともに暮らせるケア付きの住宅。その条件にぴったり合った「ゆいま~る聖ヶ丘」を見学した翌月にはもうご入居を。スピード決断の背景をあらためてうかがいました。

Q:お姉さんとふたり暮らしだったとお聞きしました。

田中 そうです。3年前までいっしょに住んでいました。

私は8人きょうだいの8番目。2番めの姉が小学校1年の時に脊髄性小児麻痺で両足が不自由になってしまったんです。松葉杖をついても歩くことが難しくなって、買い物に行くにも重たいものが持てず、ひとりで暮らすのは無理だったので、私が50年間いっしょに暮らしていました。

私は1回所帯を持ったことがあるんです。深大寺(東京都調布市)の近くに家を買って住んでいたこともあります。その所帯を終わりにして、姉と暮らすことにしました。

1番上の姉は92歳ですが、今、東京でひとり暮らしをしています。他に大正生まれの兄が5人いたのですが、兄たちはもう他界したので、おりません。だから足の悪い姉をみる人が私以外いないのです。だいぶ前になりますが、どうしようかと思っているときに、多摩市の賃貸マンションの抽選に当たったので越してきました。

そこは11階建ての2階。7年間住んだのですが、家賃が上がる話があって、たまたま隣の分譲マンションに空きが出たので、そこを買って、姉と暮らしていました。その家は1階で、階段を使わなくてもいいので、足の悪い姉にとっても暮らしやすい家でした。

Q:そのお姉さまとの暮らしに大きな変化があったそうですが…。

田中 姉は手に職をつけて、紳士服の縫製をして自活していました。

私も時計の大手メーカーに勤務していて、そのあと、都立の養護学校などで給食の仕事にもつきました。

それぞれ仕事を持っていて、自分で食べる分は自分で稼ぐ、という生活が成り立っていたのですが、3年前に、姉は夏負けしたのかバテてしまい、ご飯がぜんぜん食べられなくなってしまったのです。水も飲めなくて、「このままではお姉さんもあなたも両方とも倒れますよ」と往診のお医者さんに言われて、それで急いで姉が入れる施設を探しました。

特別養護老人ホームを希望したのですが、多摩市内はどこも300人待ちのような状態で入れません。結局、民間の有料老人ホームに入り、そこで特養の空き待ちをしています。

Q:田中さんご自身が住み替えを考えた理由は何ですか?

田中 私たちが住んでいたマンションは3部屋とダイニングなのですが、姉がいなくなると私には広すぎます。もう少しこじんまりしたところがいいなというのと、私自身、かつて脳梗塞になったことがあり、薬でだいたい治りましたが、再発への不安もあって、ひとり暮らしはダメだなと思ったのです。

脳梗塞になった最初は手がしびれて力が入らないし、左側がおかしくなって倒れてしまう。おかしいなと思って手を持っていこうとするとのですが、めまいがする。脳神経外科の先生に診てもらったら、三箇所ぐらい脳の血管がつまっていると聞きました。今、血液が流れるようにする薬をのんで治療していて、症状はよくなっているのですが、脳梗塞が再発したらもっとひどくなるかもしれないと先生に聞いたので、それは困ると思って用心しています。

Q:ゆいま~る聖ヶ丘を選ばれたポイントは?

田中 私は書道を教えているのですが、その仲間のお一人が「ゆいま~る聖ヶ丘」に入居されて、「そのうち空きが出るかもしれないから、見学させてもらえば」と言ってくれたのです。

見学に来た時、ちょうど今の部屋が空いていました。12.3帖のLDKと9.1帖の洋室。今まで姉と住んでいたところは4部屋あったので、だいぶ物を捨てないと、入れるところがない、とは思いましたが、それは我慢するよりないと思いました。

ここが良かったのは、今までどおりに生活できるし、それでいて見守ってもらえること。いざというときには看てくれる。今までの団地は自由気ままに暮らせますけど、病気になったらどうなるのか……。やっぱりいざとなった時の見守りや、介護につないでもらえるのが大きいですね。

それとここはペットが飼える、というのも重要でした。この子(ヨークシャテリアの女の子、ちいちゃん)を置いて行くわけにはいきませんし。とくに老犬なので最期まで看てあげたいんです。

Q:実際に暮らしてみてどうですか?

田中 まだ入居から間もないので、暮らしは慣れないことが多いですね。ガス台がIHになり、まだ使いこなせていいませんし、前は和室があったのですが、全部フローリングなので、犬は走り回るとすべってしまうから、部屋にタオルを敷いています。ちょっとおかしいんですが、仕方ないですね。

それと、安否確認のために毎日いちいち一階に行って、ボタンみたいなものを貼り付けに行くのですが、それも少しめんどうかしら。でも、まあ、あれで生きているか、ダメなのか、わかるんですよね。

そうそう一階の入口がオートロックなので、ゴミ出しに出た時など、鍵を忘れると入れない。いっぺん本当に忘れてしまって、入れなくて、どうしようと思っていたら、よその奥さんが鍵を開けて入るところだったので、一緒に入ったホッとしたことも(苦笑)。

まだまだ暮らしていく上で、これまでと違う点に戸惑うことはあります。だんだん慣れて行かないと、と思っています。

Q:現在の日々の楽しみを教えて下さい。

田中 お習字ですね。他に趣味はないので。お習字は30代から初めて、もう30年以上やっています。今、私は8段です。9段まであって、その上は無審査といって、そこに行くのは難しいですね。

今、一般の人と、それから障害者の人にお習字を教えてほしいと頼まれて、2カ所に教えに行っています。それぞれ週2回なので、合計4回教えています。

ここの「ゆいま~る聖ヶ丘」でも教えてくれませんか? と言われているのですが、これ以上は忙しくてできないのですが。

編集部:お習字のお名前は「田中素香」さん。書道の先生に、ぜひ「ゆいま~る聖ケ丘」でも教室を、と思いますが、ご無理申し上げることもできません。いつかそういう機会があったらいいですね。

ゆいま〜る拝島ってどんなハウス?

こんにちは、ゆいま~る拝島ブログ担当の瀬村です。
今回は、前回お伝えできなかった
「ゆいま~る拝島ってどんなハウスなの?」という点をお話ししたいと思います。

ゆいま~る拝島の魅力、その1。
それは「豊かな自然環境と、便利さの共存」です。
ハウスから拝島駅までは徒歩4分です。
拝島駅はJR線と西武線が通っており、
立川まで11分、新宿まで40分で行くことができます。

一方で水と緑に恵まれた街「拝島」では
都会の喧騒から離れた、ゆったりとした時間を過ごせます。
ハウス横に流れる玉川上水では、梅雨明けに蛍を見ることができます。

ここで、私の「拝島の一押しスポット」をご紹介します。
それは、「多摩川河川敷の桜並木」です。

拝島駅からバスで二駅のところに、多摩川が流れています。
2.5kmに渡って遊歩道沿いに500本の桜並木が続いています。
犬の散歩やウォーキングにピッタリの、私の大好きな場所です。

春の写真がこちらになります。

ゆいま~る拝島は来年の3月にオープンします。
来春、入居者の皆さんとここへ来ることが今から待ち遠しいです。

ゆいま~る拝島の魅力、その2。
それは「自由な暮らしと、介護の安心の共存」です。
ゆいま~るシリーズは「お元気なうちから最期まで、安心して暮らせる住宅」です。
その中でも、ゆいま~る拝島には他のハウスと一味違った「安心のしくみ」があります。

キーワードは「サービス付き高齢者向け住宅」と「外部サービス利用型特定施設」です。

その点については、次回のブログにて詳しくお話しさせていただきます。

第二回のブログの締めくくりとして、ゆいま~る拝島入居相談室の集合写真をご紹介します。
皆さんから「ゆいま~る拝島の魅力その3は、スタッフの人間味だね!」と
言っていただけるよう、スタッフ一同、頑張ります。

次回の更新も、お楽しみに!

素敵な笑顔集合!ネイチャーツアー 芦野の里めぐり

ガイドの宮地信良さんと歩くネイチャーツアーが9月19日にありました。
あいにくの雨のため予定されていた茶臼岳登山を断念して、那須町の芦野で里めぐり。芦野は江戸時代、旗本芦野氏三千石の城下であり、奥州街道の宿場町として栄えたところです。
<伝説の遊行柳に会えました>

芦野の中心部から歩いて10分ほど行くと、田んぼの中に有名な遊行柳が見えて来ました。

記念撮影!

ここで、かつて奥州街道を行き来した旅人の心に思いを馳せながら、ゆいま〜る那須食堂で朝、作ってもらったおにぎり弁当をいただきました。

松尾芭蕉が奥の細道の旅の途上で、この地を訪れた時の句を紹介します。

田一枚 植えて立去柳かな
(西行法師が立ち止ったゆかりの柳の陰に私も立ち止まって早乙女たちが)田を一枚植え終わるのを待って(私は)柳のもとを立ち去った。
立ち寄った那須歴史探訪館ではそれぞれの時代に道を軸に繁栄した那須町の歴史を知ることができました。
ふとみると、歴史探訪館の庭に、こんなおもしろい椅子(長いワイヤーだけの椅子)がありました!

いくつかの長いワイヤーで構成されたオブジェに見えたのですが、実は椅子でした。人がすわると自在にカタチを変え、ベンチに早変わり。体の動きが即座にワイヤーに伝わり、思わずはしゃぎたたくなるようなとっても楽しいベンチでした。

ゆいま〜る那須・第24回マロニエ建築奨励賞を受賞

ゆいま〜る那須が第24回「マロニエ建築奨励賞」を受賞しました。10月10日、マロニエ建築賞表彰作品について記者発表が行われました。11月7日(水)には、栃木県庁にて表彰式が行われます。

第24回栃木県マロニエ建築賞受賞作品決定

設計者 株式会社プラスニューオフィス

施工者 八光建設株式会社

建築主 株式会社コミュニティネット

※マロニエ建築賞は1989年にスタートし、美しい景観に配慮したまちづくりに対する意識の高揚と建築活動の活性化をはかるため、都市景観の形成、歴史・文化の創造及び建築水準の向上等に寄与すると認められる建築物が表彰されてきました。

周囲の人たちに見守られながら”母ちゃん”と暮らす

週に2日、「ゆいま〜る那須」の食堂では、お昼になると小泉實さんの手打ち蕎麦が食べられます。實さんと浩子さんは長年お蕎麦屋さんをなさっていました。しかし平成21年、浩子さんが脳梗塞で倒れ、介護が必要になります。實さんは「施設に入れたらかわいそうだ」と介護を一手に引き受け、店もなんとか切り盛りを。ですが、それもついに限界が来て、店をたたみ、ご夫婦で入居されました。

ゆいま〜る那須
小泉實さん(77歳)浩子さん(68歳)の場合

(入居:2011年11月)

Q:小泉さんのお蕎麦は人気です。お店はいつ始めたのですか?

 俺が17歳の時だったか、うちのおふくろの妹が東京でお蕎麦屋さんをやっていて、そこに遊びに行ったら、「出前をちょっと手伝ってくれ」と言われて、そのままお蕎麦屋になってしまったの。
俺のおやじさんは富山県で旅館をやっていたんだ。大名行列が通るたびに大名が泊まった宿屋なので、俺の名前は「御旅屋」(おたびや)。結婚して、婿に入ったから、苗字が変わったけれど、もともとは「御旅屋」という珍しい名前だったんだよ。
俺は10年間東京で働いて、群馬で蕎麦屋を始めたんだ。うちの母ちゃん(浩子さん)は、店のそばにあったかなりでかい会社で事務員をやっていたんだ。そこが女家族だったんで、それで俺が嫁に行ったわけ、ん? 婿か(笑)。
結婚してからは母ちゃんと店をやったんだけれど、繁盛しちゃった。忙しくて、忙しくて、出前するつもりだったけれど、出前なんかするひまがない。お母ちゃんと、他にパートさんも雇って、みんなでよく働いたよ。ところがそのお母ちゃんが倒れちゃって…。

Q:浩子さんが倒れたのはいつのことですか?

浩子 平成21年の4月。脳梗塞でした。

 バーンと倒れたなら多少でも早く処置ができたんだろうけれど、そういうんじゃなかった。
前の日の夜9時に母ちゃんが俺にどんどん焼きをつくってくれた。母ちゃんもいっしょに食べたわけ。そうしたら1時間もしないうちに、えらいあげた(吐いた)。
翌日、病院に連れて行ったら、院長先生が「なんでもない」って言うわけ。「大丈夫だ」って。
それで連れ帰って、仕事をやらせたら、午後2時ごろかな、天ぷらを揚げるんだけれど、それが箸でもてねえんだ。これはおかしいなと思って、母ちゃん、自分で病院に電話したら、その日が土曜日。「土日は先生がいないから月曜日に来い」って言われた。
仕方ない。3時休みになって、みんなでご飯を食べている時に、刺身を一口くちに入れたらもう全然ダメ。母ちゃん、どうしても食べられない。おかしいと思って、すぐに寝かしつけて救急車を呼んだんだ。ところがその日に限って、救急車が出払っていて一台もない。救急車が来た時には、もう「あ」も言えないし、手も足も動かない。救急の先生が診てくれたんだけれど、もう危篤状態だって。
それから1週間、俺がずっとつきそった。どうにかなると思ったけれど、手足に麻痺が残って、話すのもちゃんとできない…。

Q:それからずっと実さんが介護されたのですか?

實 病院から退院する時は、それでも手を持ってやると歩けたんだ。ところが、退院してすぐにちょっと母ちゃん、頭の中がおかしくなっちゃってね。自分でもうどうにもならなくなっちゃったんだって。
夜中にベッドから降りて、這って行って戸を開けて、道路に出たがってしまったの。自動車にぶつかりたくなったんじゃないかな。これは大変だっていうわけで、せがれを呼んで一緒に止めたけれど、朝方まで母ちゃん、何十回とそれを繰り返すわけ。最後はバーンと倒れて、顔を打ってお岩さんみたいになったんだ。
俺はケアマネジャーさんを呼んだんだ。そうしたらケアマネジャーさんが、「状態がひどいからお医者さんに言って、すぐに薬をもらいましょう」って。それで精神安定剤を飲ませちゃったんだ。あれが悪かったと思う。1ヶ月間くらい飲ませたら、ぜんぜん歩けなくなってしまった。動くこともできなくなったんだ。
こんな状態だったら大変だから母ちゃんを施設に入れようという話が出たんだけれど、施設に入れるのはかわいそうで…。俺が看るから、だから施設には入れないでくれっていうわけさ。
それでずっと看ている。夜は母ちゃんのベッドの下に布団を敷いて寝るんだ。俺の手にひもを巻いてね。そのひもを母ちゃんが夜中に引っ張るでしょ、そうしたら俺は起きて、これ(ポータブルトイレ)で用を足させて、すぐに捨てる。そうやってもう4年間だ。
3度のご飯も作って、3度とも食べさせて介助している。
だけど、俺も耳が悪くなって、病気になっちゃったの。ふたりとも身体障害者になっちゃって、もうどうしようもないんですわ。

浩子 だから1年ぐらい、入院していたんです。

實 店もパートの人とふたりでやっていたんだけれど、もう続けられない。俺もくたびれちゃった。自分も病院に通わなければならないから、どうしようってなったとき、ここを紹介されて来たんだ。それが入居のきっかけだね。

Q:入居されて、介護は楽になりましたか?

 ぜんぜんダメ(笑)。同じです。結局はいつもそばについていないとダメだから。自分で車椅子を使ってトイレに行くなんてできないから、ぜんぶ俺がやらなくてはいけない。
それでも、ここに来て、住んでいる人が声をかけてくれたりして、それはありがたいよ。
それはいいんだけれど、母ちゃんは幼馴染とか古い友だちにも会いたがる。高校の時の同級生たちに会いたいと言うから、大変だったけれど連絡して、ここに来てもらったんだ。11人来てくれた。その人たちと母ちゃん、けっこう話ができて、いい感じだったなあ。そう、俺、「ゆいま〜る那須」のこともずいぶん宣伝したしさ(笑)。

Q:浩子さんは今、隣接のデイサービスに通っているんですね。

浩子 送り迎えがあるからね。

 そこのデイは利用者がまだ少ない。スタッフの方が多いくらい。そんなだから他人様って感じがしない。みんな「オッス!」みたいな感じで、そこがいいねえ。

浩子 でも、リハビリの機械がない…。

 母ちゃんはまだ若いから、治りたいんだ。リハビリがしたいのさ。「別のデイに行っても同じだよ」って言っているんだけど。何がなんでも、頭の手術をしてもいいから治りたいって。
だから、脳外科の世界的に有名な先生のところにも予約して行ったよ。診せたけど、ダメだって。母ちゃんはまだ歩くようになるって思っている。だから、まあ、俺は大変なんだけどね。

Q:この写真(上)は、お店の時の写真ですね。

 それは母ちゃんが倒れる前の写真だ。母ちゃん、倒れる前、こういう「ゆいま〜る」みたいなところがいいって、言っていたんだよ。伊豆の「友だち村」なんかも見学に行っているんですよ。だから、ここもよかったよな。

浩子 うん。

 ここに来る時、家を売ってきたんだけれど、忙しかったから、なんにも持たないで来ちゃったんですよ。不動産屋さんが、「あとはこっちで処分するから」って。「じゃあ」っていうんで仏壇だけ持ってきて、入れ歯は忘れてきちゃった(笑)。
仏壇だけは離せないよなあ。やっぱし嫁(婿)になった以上は大切にしないと。なあ?

浩子(泣き笑い)うん。

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編集部 ゆいま〜る那須のある日のこと。入居者が集い、一緒にランチをする時に実さんと浩子さんもいらして、實さんがおかずを浩子さんに取ってあげて、細かいところにも気を配ってケアされているところに遭遇(?)しました。そのおふたりを、また周囲の方々もごく自然に見守り、できるところはお手伝いされていて、何かがとてもスムーズに運んでいることに小さな安心を見た思いでした。

交通の便が決め手。ポジティブでアクティブな専業主夫ぐらし

ゆいま〜る多摩平の森
宮本嘉雄さん(82歳)の場合

(入居:2012年6月)

宮本さんはご自分を「専業主夫です」とおっしゃいます。奥様を病気で亡くされすでに約20年。娘さんは嫁ぎ、ここへの転居前は息子さんとふたり暮らしで、家事は宮本さんがご担当。だから炊事はお手のもの。ときどき娘さんがお惣菜を作って持ってきてくださるとか。「これはありがたいですよ」とにっこり。
ここ「多摩平の森」もその娘さんが教えてくれた情報からすべてが始まったそうです。

Q:転居された理由は?

宮本 ここに来る前は八王子で戸建に住んでいました。移った理由は、その家が駅から遠くて、とにかく買い物が不便だったんです。

最寄りの駅までバスで40分。少し離れた町まで行かないとスーパーはありません。家の前はゴルフ場と川と田んぼ。うちの東側、北側、南側、いずれにも他の家がないんです。

自然はたくさんあるんですよ(笑)。

ヘビにウズラ、カラスにカモ…。いろんなものがいるから環境はいいんです。朝からウグイスが一日中鳴いていますし。

しかし年をとると、環境は良くても、やはり不便さが気になりました。寝込んだ時に頼る人がいない。息子はいても仕事が忙しいですから、そう期待はできない。だから今、元気なうちに将来が安心なケア付きの高齢者住宅に住み替えたいと思ったんです。

女房は61歳の時、がんで亡くなりました。若いですよね。子どもが育っていなくなって、さあ、これからふたりで楽しもうという時に逝ってしまった。その時から僕は、将来どこか便利なところで余生を送りたい。そう思って無駄遣いをせずに備えていたんです。

Q:「ゆいま~る多摩平の森」はどこで知ったのですか?

宮本 高齢者住宅のことをインターネットなどで調べていたんですが、ある日、娘がケーブルテレビで「多摩平の森」のことを見たよと教えてくれたんです。それが今年の4月だったでしょうか。見学してみたら、すぐに気に入って、ここだ!と思いました。

そして6月には越してきたんです。娘にはもう少し慎重に決めたらどう? と言われましたけれど(笑)。

Q:住み替えの決め手は?

宮本 まず、バスに乗らなくても駅に行ける。これが最高の魅力だったですね。駅まで歩いても10分ぐらいで着きます。それにここだと、ちょっと夕涼みがてらスーパーに歩いて買い物に行くこともできます。お腹が空けば、牛丼屋が3箇所もありますし(笑)。

僕はまだ体も元気だから、電車を利用してあちこち遊びたい。

たとえば吉祥寺にある井の頭公園が好きで、よく風景写真の撮影に行ったのですが、また行きたいですね。

それと、ここは市立病院がすぐ目の前にあります。これはうれしい。何かあったらすぐに対応してもらえるじゃないですか。安心がある、これがもう1つ大きな魅力でした。

Q:介護付き高齢者住宅についてはご存知でしたか?

宮本 ある程度は知っていましたが、実はそういう介護付きの高齢者住宅というのは大丈夫なのかな? と不安もあったんです。

まず、町中の便利なところではなくて、郊外の遠いところにある場合が多い。せっかく入っても、倒産の可能性もありますよね。そういう悪い物件にあたり、お金が戻ってこなくて入居者が困っている、という新聞記事を読んだことがあります。私も実際にそういう出来事を1つ知っています。だからどうも安心できません。

ですが、ここはUR都市機構(以下UR)が関わっていますよね(編集部注:「多摩平の森」はURからの定期建物賃貸契約が結ばれている)。100%の民間ではないところに安心感がありました。

Q:お部屋選びのポイントは?

宮本 僕にとって一番生活しやすいのは、広がりのある部屋があること。あちこち迷路の中を歩くようなことはしたくなかったので、15.4帖の広いリビングにキッチンがついたBタイプにしました。このタイプには約4帖の広い納戸もついていて、それがまた魅力だったんです。荷物のかなりの部分がこの中に入れられました。

Q:お料理はされるのですか?

宮本 ハハハ、自炊はベテランですよ。女房がいる時は、家事一切は女の仕事、それで当然だと思っていたし、男は外で稼いでくるものと信じていました。女の仕事と男の仕事はきちっと分かれている、そう思っていたのですが、でも実際に女房がいなくなってみると、家事って大変だったんだなあと思いましたね。

日々の単調な仕事で、しかもそれが365日24時間。その間、同じものをたくさん作って、そればっかり食べればいいかというと、そうはかない。若い時から料理に少し興味があって、やったことはあったのですが、女房がいなくなってからは専業主夫ですよ。

男って、いざひとりになれば、なんだかんだ言ってもやりますよ。はじめは店屋物をあっちこっちから取って食うなんてこともしていましたが、すぐに飽きてしまう。やっぱり自分で作らなくてはと思ってやっています。娘がときどき惣菜を作って持ってきてくれるんですが、その作り方を教えてもらったり。娘には感謝していますよ。

Q:住み替えを実行されて、今のお気持ちは?

宮本 ようやくどうにか落ち着いてきた、という感じですね。

僕は写真が好きで、若い頃は自分で現像もしていました。そういう写真のアルバムなどは、ちょっとここでは手狭で収納できません。

ただ、もう昔の写真は見ないかなとも思います。僕は過去を振り返らない。今日と明日が大事。その先はどうなるかわからない。前へ、前へ、前へ、それが僕の心情です。

どんなに過去に栄光があっても、それは今通用しないでしょう? 昔社長だったからって、いつまでも社長ではない、そういうけじめが大事だと思うんです。

ゴルフが好きでしたが、ゴルフはかつて偉かった人が、リタイアしたのに、ゴルフの世界にそういう昔の栄光を持ち込みがち。それはくだらない。だからある日、「や〜めた」とゴルフ道具をゴミ集積場に出したんです。ケースに入ったまま一式どんと出して、30分後に見たらもうなかった。それで僕はもうすっきり(笑)。

ここの選択も同じかもしれません。まず、自分の目で確かめた。見て、これがいい、僕の条件に合った、よしっ! それですぐに決めたんです。要するにこれから先を心配していけばいいのだから。明日の朝、目覚めた時に命があったらそれでいい。ああ、今日も何かやろう!と思えればいいんです。

ここに来るとき、これまで置いてあった女房の着物など全部処分しました。もう何も残っていない。すっきりしました。私のものはここにあるものだけだから。これからはもっと身軽になろうと思っています。必要にして最小限。それがいいんです。

編集部 宮本さんはテレビをあまり見ないのだそうです。見るとしたら、ドキュメンタリーとニュースと音楽関係を少し。どうしても見たい番組は録画して、3〜4回に分けてみるのだそうです。「だって1時間も2時間もテレビの前でじっとなどしておれない。何かしないと時間がもったいないでしょう、だんだんもっている時間が短くなるのだから。今のうちに時間は有効に、大切に、無駄にしないで使いたいんです」。そのアクティブな生き方をほんの少し邪魔しているのが最近患う膝の痛み。いい膝治療を真剣に探している宮本さんです。「多摩平の森」周辺で有用な情報があればお教えください。

【イベント】”ゆいま~る拝島”10月現地見学会と10•19セミナー

ゆいま~る拝島の現地見学会を行います。ぜひご参加ください。(要予約)
≪日程≫   10/16(火)、25(木)、31(水)
11/5(月)、15(木)、21(水)、30(金)
≪集合場所≫ JR拝島駅改札口
※JRの改札は1つです。
※西武線でお越しの方は、改札を出て右手へお越しください。
≪集合時刻≫ 10辞45分

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10月のイベント

【福生の文化に触れる〜酒蔵見学ツアー〜】

100年以上の歴史を持つ「石川酒造」と「田村酒造場」。
拝島の二大酒蔵を巡るツアーです。
蔵見学や試飲を楽しめます。

○日時:10月19日(金)
○集合:JR拝島駅改札前 10時45分
○参加費:2000円(昼食代、バス代として)
○定員:20名

※当日は動きやすい服装でお越しください。
※解散予定時刻は15時です。

→お申込や詳しい内容はこちらからお問合せ下さい

NHK放送大学の公開講座11•18にゆいま~る那須・ハウス長が講師

ゆいま~る那須からお知らせです。11月18日に宇都宮市の図書館でNHK放送大学の公開講座「~縮退社会におけるまちづくりを考える~高齢期の住まいと暮らし」が開催されます。コーディネーターは宇都宮大学教授の陣内雄次さんで、ゆいま~る那須ハウス長の篠崎美砂子もパネラーとして出席します。参加費無料で受け付けは10月2日から開始です。よろしければご参加ください.

http://tochigi.sc.ouj.ac.jp/koukai-kouen-kai

ゆいま〜る那須に素敵なお客さま。

ゆいま〜る那須に9月17日、素敵なお客さまがお見えになりました。清水国明さんです。原田伸郎さんとのコンビ「あのね のね」をなつかしく思い出す方もいらっしゃると思いますが、現在はアウトドア愛好者として知られ、NPO法人河口湖自然楽校・代表理事などを務めていらっ しゃいます。

 

「僕は今、富士山のふもとに『健康合宿村』を作りたいと思っています。そこでは、子どもも若い人も高齢者もみんなが生き生きと暮らせるコミュニティを作りたいんです。ゆいま〜る那須、いいですね。そこに住みたいという方たちが完成前から集い、何度も話し合いをして、ど んな暮らし方をしたいかを話し合って一緒にコミュニティをつくるっていう取組みはとても勉強になります」

清水さんは、河口湖で子どもの教育、生活習慣病を改善し予防する暮らし方、農業、人材育成などを手がけたいと考えているそうです。私たちの理念とぴったり。

ゆいま〜る那須を見学なさった後、お隣にある「森林ノ牧場カフェ」をご案内しました。

一緒にアイスクリームを食べていると、居合わせたお客さんが「清水さんのフアンなんです」と握手と記念撮影を求めてこられ…。テレビで見る笑顔でそれに応じていらっしゃいました。

夕方からは、ゆいま〜る那須・居住者の方たちと1時間超にわたって懇談会。一人ひとりが「ここに住むことを決めた理由」を話す様子を興味深く聞いてくださり、「僕もここに住もうかなあ」と清水さん。

たまたまこの日は敬老の日。豪華メニューを一緒につまみながら、「病気にならない生き方」「コミュニティのある暮らし」などを語り合い、盛り上がりました。

このご縁、つなげていきたいと思います。

で、清水国昭さんはご自身のブログでこんな風に私たちのことを書いてくれました。

→清水国明オフィシャルブログ