ゆいま〜る那須・第24回マロニエ建築奨励賞を受賞

ゆいま〜る那須が第24回「マロニエ建築奨励賞」を受賞しました。10月10日、マロニエ建築賞表彰作品について記者発表が行われました。11月7日(水)には、栃木県庁にて表彰式が行われます。

第24回栃木県マロニエ建築賞受賞作品決定

設計者 株式会社プラスニューオフィス

施工者 八光建設株式会社

建築主 株式会社コミュニティネット

※マロニエ建築賞は1989年にスタートし、美しい景観に配慮したまちづくりに対する意識の高揚と建築活動の活性化をはかるため、都市景観の形成、歴史・文化の創造及び建築水準の向上等に寄与すると認められる建築物が表彰されてきました。

周囲の人たちに見守られながら”母ちゃん”と暮らす

週に2日、「ゆいま〜る那須」の食堂では、お昼になると小泉實さんの手打ち蕎麦が食べられます。實さんと浩子さんは長年お蕎麦屋さんをなさっていました。しかし平成21年、浩子さんが脳梗塞で倒れ、介護が必要になります。實さんは「施設に入れたらかわいそうだ」と介護を一手に引き受け、店もなんとか切り盛りを。ですが、それもついに限界が来て、店をたたみ、ご夫婦で入居されました。

ゆいま〜る那須
小泉實さん(77歳)浩子さん(68歳)の場合

(入居:2011年11月)

Q:小泉さんのお蕎麦は人気です。お店はいつ始めたのですか?

 俺が17歳の時だったか、うちのおふくろの妹が東京でお蕎麦屋さんをやっていて、そこに遊びに行ったら、「出前をちょっと手伝ってくれ」と言われて、そのままお蕎麦屋になってしまったの。
俺のおやじさんは富山県で旅館をやっていたんだ。大名行列が通るたびに大名が泊まった宿屋なので、俺の名前は「御旅屋」(おたびや)。結婚して、婿に入ったから、苗字が変わったけれど、もともとは「御旅屋」という珍しい名前だったんだよ。
俺は10年間東京で働いて、群馬で蕎麦屋を始めたんだ。うちの母ちゃん(浩子さん)は、店のそばにあったかなりでかい会社で事務員をやっていたんだ。そこが女家族だったんで、それで俺が嫁に行ったわけ、ん? 婿か(笑)。
結婚してからは母ちゃんと店をやったんだけれど、繁盛しちゃった。忙しくて、忙しくて、出前するつもりだったけれど、出前なんかするひまがない。お母ちゃんと、他にパートさんも雇って、みんなでよく働いたよ。ところがそのお母ちゃんが倒れちゃって…。

Q:浩子さんが倒れたのはいつのことですか?

浩子 平成21年の4月。脳梗塞でした。

 バーンと倒れたなら多少でも早く処置ができたんだろうけれど、そういうんじゃなかった。
前の日の夜9時に母ちゃんが俺にどんどん焼きをつくってくれた。母ちゃんもいっしょに食べたわけ。そうしたら1時間もしないうちに、えらいあげた(吐いた)。
翌日、病院に連れて行ったら、院長先生が「なんでもない」って言うわけ。「大丈夫だ」って。
それで連れ帰って、仕事をやらせたら、午後2時ごろかな、天ぷらを揚げるんだけれど、それが箸でもてねえんだ。これはおかしいなと思って、母ちゃん、自分で病院に電話したら、その日が土曜日。「土日は先生がいないから月曜日に来い」って言われた。
仕方ない。3時休みになって、みんなでご飯を食べている時に、刺身を一口くちに入れたらもう全然ダメ。母ちゃん、どうしても食べられない。おかしいと思って、すぐに寝かしつけて救急車を呼んだんだ。ところがその日に限って、救急車が出払っていて一台もない。救急車が来た時には、もう「あ」も言えないし、手も足も動かない。救急の先生が診てくれたんだけれど、もう危篤状態だって。
それから1週間、俺がずっとつきそった。どうにかなると思ったけれど、手足に麻痺が残って、話すのもちゃんとできない…。

Q:それからずっと実さんが介護されたのですか?

實 病院から退院する時は、それでも手を持ってやると歩けたんだ。ところが、退院してすぐにちょっと母ちゃん、頭の中がおかしくなっちゃってね。自分でもうどうにもならなくなっちゃったんだって。
夜中にベッドから降りて、這って行って戸を開けて、道路に出たがってしまったの。自動車にぶつかりたくなったんじゃないかな。これは大変だっていうわけで、せがれを呼んで一緒に止めたけれど、朝方まで母ちゃん、何十回とそれを繰り返すわけ。最後はバーンと倒れて、顔を打ってお岩さんみたいになったんだ。
俺はケアマネジャーさんを呼んだんだ。そうしたらケアマネジャーさんが、「状態がひどいからお医者さんに言って、すぐに薬をもらいましょう」って。それで精神安定剤を飲ませちゃったんだ。あれが悪かったと思う。1ヶ月間くらい飲ませたら、ぜんぜん歩けなくなってしまった。動くこともできなくなったんだ。
こんな状態だったら大変だから母ちゃんを施設に入れようという話が出たんだけれど、施設に入れるのはかわいそうで…。俺が看るから、だから施設には入れないでくれっていうわけさ。
それでずっと看ている。夜は母ちゃんのベッドの下に布団を敷いて寝るんだ。俺の手にひもを巻いてね。そのひもを母ちゃんが夜中に引っ張るでしょ、そうしたら俺は起きて、これ(ポータブルトイレ)で用を足させて、すぐに捨てる。そうやってもう4年間だ。
3度のご飯も作って、3度とも食べさせて介助している。
だけど、俺も耳が悪くなって、病気になっちゃったの。ふたりとも身体障害者になっちゃって、もうどうしようもないんですわ。

浩子 だから1年ぐらい、入院していたんです。

實 店もパートの人とふたりでやっていたんだけれど、もう続けられない。俺もくたびれちゃった。自分も病院に通わなければならないから、どうしようってなったとき、ここを紹介されて来たんだ。それが入居のきっかけだね。

Q:入居されて、介護は楽になりましたか?

 ぜんぜんダメ(笑)。同じです。結局はいつもそばについていないとダメだから。自分で車椅子を使ってトイレに行くなんてできないから、ぜんぶ俺がやらなくてはいけない。
それでも、ここに来て、住んでいる人が声をかけてくれたりして、それはありがたいよ。
それはいいんだけれど、母ちゃんは幼馴染とか古い友だちにも会いたがる。高校の時の同級生たちに会いたいと言うから、大変だったけれど連絡して、ここに来てもらったんだ。11人来てくれた。その人たちと母ちゃん、けっこう話ができて、いい感じだったなあ。そう、俺、「ゆいま〜る那須」のこともずいぶん宣伝したしさ(笑)。

Q:浩子さんは今、隣接のデイサービスに通っているんですね。

浩子 送り迎えがあるからね。

 そこのデイは利用者がまだ少ない。スタッフの方が多いくらい。そんなだから他人様って感じがしない。みんな「オッス!」みたいな感じで、そこがいいねえ。

浩子 でも、リハビリの機械がない…。

 母ちゃんはまだ若いから、治りたいんだ。リハビリがしたいのさ。「別のデイに行っても同じだよ」って言っているんだけど。何がなんでも、頭の手術をしてもいいから治りたいって。
だから、脳外科の世界的に有名な先生のところにも予約して行ったよ。診せたけど、ダメだって。母ちゃんはまだ歩くようになるって思っている。だから、まあ、俺は大変なんだけどね。

Q:この写真(上)は、お店の時の写真ですね。

 それは母ちゃんが倒れる前の写真だ。母ちゃん、倒れる前、こういう「ゆいま〜る」みたいなところがいいって、言っていたんだよ。伊豆の「友だち村」なんかも見学に行っているんですよ。だから、ここもよかったよな。

浩子 うん。

 ここに来る時、家を売ってきたんだけれど、忙しかったから、なんにも持たないで来ちゃったんですよ。不動産屋さんが、「あとはこっちで処分するから」って。「じゃあ」っていうんで仏壇だけ持ってきて、入れ歯は忘れてきちゃった(笑)。
仏壇だけは離せないよなあ。やっぱし嫁(婿)になった以上は大切にしないと。なあ?

浩子(泣き笑い)うん。

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編集部 ゆいま〜る那須のある日のこと。入居者が集い、一緒にランチをする時に実さんと浩子さんもいらして、實さんがおかずを浩子さんに取ってあげて、細かいところにも気を配ってケアされているところに遭遇(?)しました。そのおふたりを、また周囲の方々もごく自然に見守り、できるところはお手伝いされていて、何かがとてもスムーズに運んでいることに小さな安心を見た思いでした。

交通の便が決め手。ポジティブでアクティブな専業主夫ぐらし

ゆいま〜る多摩平の森
宮本嘉雄さん(82歳)の場合

(入居:2012年6月)

宮本さんはご自分を「専業主夫です」とおっしゃいます。奥様を病気で亡くされすでに約20年。娘さんは嫁ぎ、ここへの転居前は息子さんとふたり暮らしで、家事は宮本さんがご担当。だから炊事はお手のもの。ときどき娘さんがお惣菜を作って持ってきてくださるとか。「これはありがたいですよ」とにっこり。
ここ「多摩平の森」もその娘さんが教えてくれた情報からすべてが始まったそうです。

Q:転居された理由は?

宮本 ここに来る前は八王子で戸建に住んでいました。移った理由は、その家が駅から遠くて、とにかく買い物が不便だったんです。

最寄りの駅までバスで40分。少し離れた町まで行かないとスーパーはありません。家の前はゴルフ場と川と田んぼ。うちの東側、北側、南側、いずれにも他の家がないんです。

自然はたくさんあるんですよ(笑)。

ヘビにウズラ、カラスにカモ…。いろんなものがいるから環境はいいんです。朝からウグイスが一日中鳴いていますし。

しかし年をとると、環境は良くても、やはり不便さが気になりました。寝込んだ時に頼る人がいない。息子はいても仕事が忙しいですから、そう期待はできない。だから今、元気なうちに将来が安心なケア付きの高齢者住宅に住み替えたいと思ったんです。

女房は61歳の時、がんで亡くなりました。若いですよね。子どもが育っていなくなって、さあ、これからふたりで楽しもうという時に逝ってしまった。その時から僕は、将来どこか便利なところで余生を送りたい。そう思って無駄遣いをせずに備えていたんです。

Q:「ゆいま~る多摩平の森」はどこで知ったのですか?

宮本 高齢者住宅のことをインターネットなどで調べていたんですが、ある日、娘がケーブルテレビで「多摩平の森」のことを見たよと教えてくれたんです。それが今年の4月だったでしょうか。見学してみたら、すぐに気に入って、ここだ!と思いました。

そして6月には越してきたんです。娘にはもう少し慎重に決めたらどう? と言われましたけれど(笑)。

Q:住み替えの決め手は?

宮本 まず、バスに乗らなくても駅に行ける。これが最高の魅力だったですね。駅まで歩いても10分ぐらいで着きます。それにここだと、ちょっと夕涼みがてらスーパーに歩いて買い物に行くこともできます。お腹が空けば、牛丼屋が3箇所もありますし(笑)。

僕はまだ体も元気だから、電車を利用してあちこち遊びたい。

たとえば吉祥寺にある井の頭公園が好きで、よく風景写真の撮影に行ったのですが、また行きたいですね。

それと、ここは市立病院がすぐ目の前にあります。これはうれしい。何かあったらすぐに対応してもらえるじゃないですか。安心がある、これがもう1つ大きな魅力でした。

Q:介護付き高齢者住宅についてはご存知でしたか?

宮本 ある程度は知っていましたが、実はそういう介護付きの高齢者住宅というのは大丈夫なのかな? と不安もあったんです。

まず、町中の便利なところではなくて、郊外の遠いところにある場合が多い。せっかく入っても、倒産の可能性もありますよね。そういう悪い物件にあたり、お金が戻ってこなくて入居者が困っている、という新聞記事を読んだことがあります。私も実際にそういう出来事を1つ知っています。だからどうも安心できません。

ですが、ここはUR都市機構(以下UR)が関わっていますよね(編集部注:「多摩平の森」はURからの定期建物賃貸契約が結ばれている)。100%の民間ではないところに安心感がありました。

Q:お部屋選びのポイントは?

宮本 僕にとって一番生活しやすいのは、広がりのある部屋があること。あちこち迷路の中を歩くようなことはしたくなかったので、15.4帖の広いリビングにキッチンがついたBタイプにしました。このタイプには約4帖の広い納戸もついていて、それがまた魅力だったんです。荷物のかなりの部分がこの中に入れられました。

Q:お料理はされるのですか?

宮本 ハハハ、自炊はベテランですよ。女房がいる時は、家事一切は女の仕事、それで当然だと思っていたし、男は外で稼いでくるものと信じていました。女の仕事と男の仕事はきちっと分かれている、そう思っていたのですが、でも実際に女房がいなくなってみると、家事って大変だったんだなあと思いましたね。

日々の単調な仕事で、しかもそれが365日24時間。その間、同じものをたくさん作って、そればっかり食べればいいかというと、そうはかない。若い時から料理に少し興味があって、やったことはあったのですが、女房がいなくなってからは専業主夫ですよ。

男って、いざひとりになれば、なんだかんだ言ってもやりますよ。はじめは店屋物をあっちこっちから取って食うなんてこともしていましたが、すぐに飽きてしまう。やっぱり自分で作らなくてはと思ってやっています。娘がときどき惣菜を作って持ってきてくれるんですが、その作り方を教えてもらったり。娘には感謝していますよ。

Q:住み替えを実行されて、今のお気持ちは?

宮本 ようやくどうにか落ち着いてきた、という感じですね。

僕は写真が好きで、若い頃は自分で現像もしていました。そういう写真のアルバムなどは、ちょっとここでは手狭で収納できません。

ただ、もう昔の写真は見ないかなとも思います。僕は過去を振り返らない。今日と明日が大事。その先はどうなるかわからない。前へ、前へ、前へ、それが僕の心情です。

どんなに過去に栄光があっても、それは今通用しないでしょう? 昔社長だったからって、いつまでも社長ではない、そういうけじめが大事だと思うんです。

ゴルフが好きでしたが、ゴルフはかつて偉かった人が、リタイアしたのに、ゴルフの世界にそういう昔の栄光を持ち込みがち。それはくだらない。だからある日、「や〜めた」とゴルフ道具をゴミ集積場に出したんです。ケースに入ったまま一式どんと出して、30分後に見たらもうなかった。それで僕はもうすっきり(笑)。

ここの選択も同じかもしれません。まず、自分の目で確かめた。見て、これがいい、僕の条件に合った、よしっ! それですぐに決めたんです。要するにこれから先を心配していけばいいのだから。明日の朝、目覚めた時に命があったらそれでいい。ああ、今日も何かやろう!と思えればいいんです。

ここに来るとき、これまで置いてあった女房の着物など全部処分しました。もう何も残っていない。すっきりしました。私のものはここにあるものだけだから。これからはもっと身軽になろうと思っています。必要にして最小限。それがいいんです。

編集部 宮本さんはテレビをあまり見ないのだそうです。見るとしたら、ドキュメンタリーとニュースと音楽関係を少し。どうしても見たい番組は録画して、3〜4回に分けてみるのだそうです。「だって1時間も2時間もテレビの前でじっとなどしておれない。何かしないと時間がもったいないでしょう、だんだんもっている時間が短くなるのだから。今のうちに時間は有効に、大切に、無駄にしないで使いたいんです」。そのアクティブな生き方をほんの少し邪魔しているのが最近患う膝の痛み。いい膝治療を真剣に探している宮本さんです。「多摩平の森」周辺で有用な情報があればお教えください。

【イベント】”ゆいま~る拝島”10月現地見学会と10•19セミナー

ゆいま~る拝島の現地見学会を行います。ぜひご参加ください。(要予約)
≪日程≫   10/16(火)、25(木)、31(水)
11/5(月)、15(木)、21(水)、30(金)
≪集合場所≫ JR拝島駅改札口
※JRの改札は1つです。
※西武線でお越しの方は、改札を出て右手へお越しください。
≪集合時刻≫ 10辞45分

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10月のイベント

【福生の文化に触れる〜酒蔵見学ツアー〜】

100年以上の歴史を持つ「石川酒造」と「田村酒造場」。
拝島の二大酒蔵を巡るツアーです。
蔵見学や試飲を楽しめます。

○日時:10月19日(金)
○集合:JR拝島駅改札前 10時45分
○参加費:2000円(昼食代、バス代として)
○定員:20名

※当日は動きやすい服装でお越しください。
※解散予定時刻は15時です。

→お申込や詳しい内容はこちらからお問合せ下さい

NHK放送大学の公開講座11•18にゆいま~る那須・ハウス長が講師

ゆいま~る那須からお知らせです。11月18日に宇都宮市の図書館でNHK放送大学の公開講座「~縮退社会におけるまちづくりを考える~高齢期の住まいと暮らし」が開催されます。コーディネーターは宇都宮大学教授の陣内雄次さんで、ゆいま~る那須ハウス長の篠崎美砂子もパネラーとして出席します。参加費無料で受け付けは10月2日から開始です。よろしければご参加ください.

http://tochigi.sc.ouj.ac.jp/koukai-kouen-kai

ゆいま〜る那須に素敵なお客さま。

ゆいま〜る那須に9月17日、素敵なお客さまがお見えになりました。清水国明さんです。原田伸郎さんとのコンビ「あのね のね」をなつかしく思い出す方もいらっしゃると思いますが、現在はアウトドア愛好者として知られ、NPO法人河口湖自然楽校・代表理事などを務めていらっ しゃいます。

 

「僕は今、富士山のふもとに『健康合宿村』を作りたいと思っています。そこでは、子どもも若い人も高齢者もみんなが生き生きと暮らせるコミュニティを作りたいんです。ゆいま〜る那須、いいですね。そこに住みたいという方たちが完成前から集い、何度も話し合いをして、ど んな暮らし方をしたいかを話し合って一緒にコミュニティをつくるっていう取組みはとても勉強になります」

清水さんは、河口湖で子どもの教育、生活習慣病を改善し予防する暮らし方、農業、人材育成などを手がけたいと考えているそうです。私たちの理念とぴったり。

ゆいま〜る那須を見学なさった後、お隣にある「森林ノ牧場カフェ」をご案内しました。

一緒にアイスクリームを食べていると、居合わせたお客さんが「清水さんのフアンなんです」と握手と記念撮影を求めてこられ…。テレビで見る笑顔でそれに応じていらっしゃいました。

夕方からは、ゆいま〜る那須・居住者の方たちと1時間超にわたって懇談会。一人ひとりが「ここに住むことを決めた理由」を話す様子を興味深く聞いてくださり、「僕もここに住もうかなあ」と清水さん。

たまたまこの日は敬老の日。豪華メニューを一緒につまみながら、「病気にならない生き方」「コミュニティのある暮らし」などを語り合い、盛り上がりました。

このご縁、つなげていきたいと思います。

で、清水国昭さんはご自身のブログでこんな風に私たちのことを書いてくれました。

→清水国明オフィシャルブログ

自然に声がけ。コミュニケーションが取れる嬉しさ。

ゆいま〜る多摩平の森
中山満里子さん(81歳)の場合

(入居:2012年4月)

中山満里子さんは主に都立病院・産院の看護師として臨床に、そして管理職として活躍され、退職後も海外で医療ボランティアに参加するなど、まさに看護ひと筋。その中山さんに「多摩平の森」への住み替えの理由、暮らしてみての感想など、じっくりうかがいました。

Q:中山さんは看護師だったそうですね。

中山 ええ、そうです。全部で37年間勤めましたでしょうか。
私は小さい時から看護婦になりたくて、授業中に消しゴムを小さく切って、「はい、おくすり!」なんて言ってお友たちとやりとりしたり。昭和25年に都立の看護学校に入って学業、実習、教科などをやり、国家試験に合格して、都立病院の看護師になったんです。

公務員ですから異動がありますが、主に小児科で、ずっと子どもたちの看護をしておりました。心身障害児者のケアにも携わり、最後は精神科も経験し、管理職でしたが、ただ師長室に座っているのではなく、なるべく現場に行って、皆さんと一緒に行事をしたり。

人様の看護ですからむずかしいことはあります。でも、子どもが好きでしたから、楽しかったですよ。私は独身で、子どもを産んだことはありませんが、人様の子どもさんを育てたり、それこそミルクを飲ませたり、離乳食を作ったり、それをちょいと味見したり(笑)。

Q:住み替えを考えた理由は?

中山 住まいは寄宿舎生活から始まり、次にアパート暮らし。そして40代に入り、自分でマンションを買い、三部屋あり、とても快適な生活を送ることができていたんです。

ただ、今、「孤独死」とか、お子さんがいても親の面倒をみないとか、世の中が昔とは変わってきてますでしょう? それで私もこの先の暮らし方を自分で選ばなければならないと考えたのです。

とくにここ数年は胆石で入院したり、白内障の手術を受けたり、今までは看護師として医療を提供する側でしたが、医療を受けるようになって、初めて患者さんの不安というものを身にしみたということでしょうか。ひとり暮らしなので、この先も何があるかわからないですよね。安心で安全に老後を過ごせる道を、今、元気なうちに選ばなければならないと痛切に感じたのです。

それと、私が住んでいたマンションはエレベーターがありませんでした。5階建ての5階。若い時にはバリバリの現役。階段の昇り降りなんてまったく平気でした。見晴らしがいいから一番上がいい、そう思って決めた家だったのですが、年をとってくると5階まで階段で、というのが厳しい。暮らしていく一番のネックでした。

Q:「ゆいま〜る多摩平の森」を選んだ決め手は?

中山 介護付き老人ホームをいろいろ見て回りましたが、もうちょっと自分らしくというか、まだ元気なうちは自分でいろいろできるところで暮らしたい、という希望がありました。外出もして、自由に過ごしたい。お買い物をして、自分でお料理を作って食べたい。一杯飲みたい。いずれは人様のお世話になって、いろいろやっていただかなければならないにしても、まだ自由に動ける今は、できるだけ自分で暮らせる、そういうところを探していたんです。

「多摩平の森」は、日野市の広報で知って、お友だちと見学に行ったのですが、いろいろ説明を聞くと、まさに私が探していた自由に暮らせるところなので、迷わずここに決めたのです。

Q:お部屋選びのポイントは?

中山 私は約13畳のワンルームに約4.3畳の独立したキッチンがあるCタイプの住居を選んだのですが、何よりよかったのはキッチンが別だったこと。お魚を焼いたり、煮物をしたり、そういう匂いが居間にいかないほうがいいかな、と。 前にいたマンションが51m²で、ここと10m²ぐらいしか変わらない。それもよかったですね。部屋数は三部屋あったので減りましたが、居間が広いので狭くなった感じがしません。

それとここはお風呂とお手洗いが車椅子でも使えるようにと広く作ってあるので、それもいいですよね。今は介護も車椅子も要りませんが、先々のことを考えると安心です。

Q:引越しはスムーズに進んだのですか?

中山 これは少し大変でしたね。捨てるものは捨てる。持っていくものは持っていく。この仕訳は自分で帆をかけてやるしかない。着物にしても洋服にしても、過去2年着なかったものは思い切って捨てました。もったいない…と言っていたらきりがない。だけど、ちょっと迷ったものは持って来ました。

一番困るのはアルバムです。現役の時の白黒写真なんかはみんな捨てました。アルバムを10冊ぐらい捨てたでしょうか。私が死んだらゴミにしかならない。そう思ったら、いつまでも未練がましくするものじゃないと、だんだん思うようになりました。こうなったら「断捨離」(注・やましたひでこさんの生活整理術)です。迷って持ってきたものについて、もう一度仕分けをして要らないものは捨てなければならない。それをしなければと思っているところです。

Q:住んでみて良かったことは?

中山 ここは24時間の見守りがある、ということでしょうか。昼間はフロントの方たち、そして夜は当直のおじさま方がいらっしゃる。その方々がとってもよくやってくださるんです。今日も手すりをきれいに拭いてくださっていて、ありがたいなあ、と。

それと他の居住者の人たちと仲間意識が生まれてきた、というのもあります。今までのマンションも住み心地はよかったのですが、隣は何をする人ぞ、というのはありました。ここは朝、体操の時間があったり、多少年齢差はありますが、皆さん、安心を求めて入居されたということで、同じような思いがあるから、「おはようございます」「大丈夫ですか?」と自然に声かけができる。コミュニケーションが取れる、それがうれしいですね。それでなくても、私は「土瓶」で、横から口を出すほうですけれど(笑)。

Q:「安心」はどういう時に感じますか?

中山 部屋に「緊急」ボタンがありますよね。お風呂場やお手洗いにもある。これがまず安心です。いざという時にはこのボタンを押せばいい。そういう見守りがありますよね。

それと前のマンションは台所がガスレンジだったので、火を止めたかどうか、かなり神経を使っていました。出かけても火を止めたかしら? ガスの元栓を閉めたかな…と不安になって引き返したり。ここはIHの電化タイプなので、一応点検しておけば、あとはオーライ。出火の心配がなくなった、これは大きいですね。

それと安否確認ボードが一階にあり、毎朝10時までにそこへ行って、「今朝も大丈夫ですよ」とマグネットタイプの小さなものを、自分の部屋番号のところに貼り付ける。これを私は「ポッチング」と呼んでいるのですが、それも習慣になるといいですよ。

面倒で苦痛という人もいるかもしれません。でも、私にとっては生活のリズムになっています。朝、お寝巻きのままではなく、きちんと身支度をして、朝ごはんの用意をして7時から7時半ぐらいに行く。いっしょにゴミなども出して、帰ってきてから食事をする。こういう生活習慣が私にとっては大事かなと思っています。

Q:エンドステージはどのようにしたいですか?

中山 私は病院だと思います。家で最期まで、と望む方もいると思いますが、私は一人ですから、家で看てもらえる人がいないわけでしょう。だから病院が最期かな、と。

ただ、たとえば今、病院も入院期間が短くなっているので、治療が終わって帰るように言われたら、「多摩平の森」に新設された「ぐり〜んはぁと」(小規模多機能型居宅介護施設)も利用できると聞き、安心しています。療養型の介護病棟も縮小になっているので、病院を退院しても、介護が必要になったら行くところがないなあと思っていたので、その時はここのスタッフに相談したいですね。

Q:日々の楽しみを教えて下さい。

中山 一番の楽しみはコーラスに行くことです。今、2つのコーラスに入っているのですが、1つは10年目、そしてもう1つは20年になります。7月には20周年の集まりもしたんですよ。

私にとって大事なのは、看護師として働いてきたこととコーラスです。入院している子どもたちのために、よく先生といっしょにクリスマスや七夕など催し物をしたものです。子どもたちが良くなって退院する喜び、それから亡くなった時の悲しみ、喜怒哀楽を身をもって感じてきただけに、人間看護は難しいけれどやりがいのある仕事でした。本当に看護師を選んでよかった。また来世に生まれ変わっても、私は看護師になりたいと思っています。

そして、今の喜びはコーラス。今日も午前中、童謡や唱歌を歌ってきたんですよ。「みかんの花咲く丘」や「手のひらを太陽に」とか。

うちにいるときには、テレビで歌番組を見て、ソプラノで歌う人に、私はアルトなので合わせたり。小さな声ですけれどね(笑)。

編集部:コーラスの仲間、そして入居で出会った新しい仲間、人とのコミュニケーションが何よりうれしいと中山さん。そのオープンマインドで取材にご協力いただきました。ありがとうございました。

団地再生と高島平(ただいま公募前)

UR都市再生機構が高島平団地に「空室利用型のサービス付き高齢者向け住宅」をつくることを公表され、公募が行われることが決まりました。

(株)コミュニティネットはこの公募に参加し、獲得し、高島平団地のコミュニティづくりの一員になりたいと考え、公募に先駆けて活動を開始いたしました。

東京都板橋区にある高島平団地

さて、さっそくですがご報告です。

9月27日(木)に「第1回高島平団地で暮らし続けるしくみをつくる会」を高島平団地内の集会室にて開催しました。

この「つくる会」は、意見交換や学びや楽しみ、議論だけではなく多くの体験などを通して、どのような仕組みをつくれば良いか? どのようなことを整えていけばよいか? を社団法人コミュニティネットワーク協会との連携のもと、参加型でつくり上げていく会です。

初めての会には、団地にお住まいの方から遠くは福井、北海道まで27名もの多くの方々に参加してくださいました。

参加された方たちからは、高島平団地の住み心地の良さが伝えられる一方で、将来に抱える不安や地域活動で取り組まれている内容や課題が多く伝えられ、この新たな取り組みに大きな期待が寄せられていることを実感しました。

不安を抱えている人たちがたくさん集まると、どーんと「場」の空気が重くなりそうですが、熱気に溢れた意見交換となりました。

「場」を分かち合うことで希望の光がかすかに差し込んでくる。その期待感が熱気と明るさを生んだように感じます。

五木寛之さんの「不安の力」という著書にこんなことが書かれていますので、以下に引用してみたいと思います。

—-以下、引用—-

不安の反対語をあえてあげるとすれば「安心」ということになるのでしょうか。(中略)

安心がよくて、不安はわるい。安定が大事で、不安定はよくない。

こんなふうに物事を黒か白かに分けてしまう考えかたを、ぼくはまったく受け入れることができません。(中略)

「心のバランスが崩れているな、と、ふと感じる。

そしてなんとかそのバランスをたて直そうと試みる。

そこにおのずと動きが生まれてきます。生きるということは、結局、命が動いている、ということだと、最近つくづく感じるようになりました。(中略)

不安を敵とみなすか、それをあるがままに友として受け入れるかには大きなちがいがあるはずです。」

—-引用おわり—-

「つくる会」は、まさに「不安から生まれる動きの場」でした。だから熱気に溢れたのだと思います。

この「動き」を継続してみなさんと共に新しい仕組み作りに取り組んで行きたいと思います。