両親の介護を経て。「介護はプロに」二人で暮らす気楽さ
ゆいま〜る聖ヶ丘
山田幸夫さん(82歳)桃子さん(77歳)の場合
(入居:2011年12月)
山田幸夫さん、桃子さんご夫妻は東京・世田谷区の戸建住宅からの住み替えです。娘さん一家との同居から一転、「これから老いゆく私たち、介護はプロにお願いしたい」と、「聖ケ丘」を選ばれました。幸夫さんは併設の小規模多機能型居宅介護施設「かりん」(天翁会)を利用。桃子さんは、その「かりん」にボランティア参加。手探りながら新しい暮らしを刻まれ約8ヶ月。感想をうかがいました。
Q:「ゆいま〜る聖ヶ丘」を知ったきっかけは?
桃子 東銀座にある「高齢者住宅情報センター」に私の姉が前からうかがっていて、私も誘われて行ったのが最初です。
もう20年以上前のことになりますが、両親が相次いで具合が悪くなり、介護の必要が出て、どうしようとなったとき、どこかにいい老人ホームがないかと探したんです。ただ、民間の老人ホームは良し悪しがあって、高い入居金を支払ったのに倒産した…なんて話も耳にしたので、結局やめました。ちょうど、3年前に申し込んでおいた大田区の特養が新築され、そこに両親ともそれぞれひと部屋ずつ個室をもらって入ることができました。
両親はそこでしばらく暮らして、母は最期、老衰というのか、病院に行って1日で、そして父も肺炎になって病院に入院して、1週間か2週間で亡くなりました。父が93歳、母が88歳でした。
Q:親の介護情報収集から今度はご自分たちの情報を、その理由は?
桃子 夫とふたりだけの生活になろうと思った、ということでしょうか。私たち夫婦には娘がふたりいるのですが、長女が15年ほど前に事情があって11歳と7歳の子どもを連れて帰ってきて、私どもといっしょに生活をすることになりました。
その孫たちも無事に成人して、ひとりはすでに就職し、もうひとりの孫も大学に在学しながら就活をしています。娘も孫たちももう大丈夫。私たちが支えなくても暮らしていける、そうなって気がついてみたら、今度は私たちが年をとって、支えられる側になっていました。このままだと、今度はこっちが全部彼らにおぶさることになってしまう。私は自分が親の面倒をみた中でいろいろ苦労をしたので、それを自分の子どもたちにさせるのはたまらなかったのです。
Q:親をみる苦労について、少しお聞かせ願えますか?
桃子 親の介護そのものより、子どもにはそれぞれの家族があり、親に対する考え方も違ってきます。そのため子ども同士の意見が一致しなくて、それが両親を悲しませてしまったと、今でも思っています。
だから本当につらいことは人様にお願いしたほうがいいのかな。介護なら職業としての介護の人に関わっていただき、子どもたちを巻き込まない。それは両親のことがあってから、私がずっと思ってきたことでした。
幸夫 家内の両親なので、僕はまだ仕事をしていましたし、少し距離を置いていた部分もありますが、それでもやはり大変だったですね。そもそもうちも含めて、両親の土地に、家内のきょうだいは家を建てさせてもらっていた。そういうこともあって、親の具合が悪くなったときに、むずかしいことも起こってしまう。では、僕たちはどうしようか、ということで、老人ホームの体験入居など、少しずつ動いてみたのです。
Q:老人ホームの体験入居はいかがでしたか?
幸夫 湯河原にある老人ホームでは温泉に入れるというので、楽しみにして行ってみました。温泉はいいですね。それがあるのは気に入ったのですが、まだ元気なうちは東京でもいろいろなことをしたい。それには湯河原に住んでしまうと、電車賃もかかるし、往復の時間もかかってしまう。体験入居はしましたが、住み替えは考えられなかったですね。
そうこうしている時に、たまたま聖ヶ丘に高齢者住宅を作っているという話を聞き、見に行ってみようとなったんです。
ここは東京ですが多摩丘陵を開発したところで、自然がずいぶん残っている。それがいいですね。緑が豊富で、わりと花が咲くんです。とくに春は桜が美しい。空気も世田谷よりきれいです。そういった点では気に入ったんです。ただ、都心に出るには、前の世田谷の家に比べて不便と言えば不便ですが…。
Q:「ゆいま〜る聖ヶ丘」への住み替えの決め手は?
桃子 今、夫が言ったように緑がよかったのと、あとは今思えば、スタッフの方との信頼関係かしら。
入居相談室の方々、女性スタッフの人たちですが、親の介護のことなどご自分もいろいろな経験を持っている方が大勢いらっしゃいます。介護を他人に任せていいのか、罪悪感に苛まれないのか、いろいろ悩みますよね。その時に、介護は人に任せても、親子は気持ちの上で繋がっていられるのだということや、介護に疲れてしまうと親にいい顔もできなくなるなど、スタッフの方々と勉強会も通してじっくり話し合えたのもよかったですね。
幸夫 僕は経済的な問題を考えましたね。支払いが可能かどうか。それは大事ですが、ここは、利益優先というよりも、考え方の1つに「コミュニティ」の創造というのがありますね。「ゆいま〜る」という言葉自体がそもそも沖縄の助け合いを意味しているそうですが、実際に入居してもそう思います。ここは入居者同士の、あるいは入居者とスタッフの助け合い、そういう気持ちがかなり強いように感じます。そういう点に感心したというところもありますね。
桃子 そうなんですよね。「ゆいま〜る」は入居前から勉強会が定期的に開かれていて、そこで出会った方とは、何か通じるものがあるというか、お互い何かあったら助けあいましょうみたいな気持ちがあるのは感じますね。本音で話し合える部分もありますし。
すごく立派な老人ホームで、入口にシャンデリアがあって、フロントの方が「いらっしゃいませ」「お帰りなさいませ」と挨拶してくれる。そういうホームもありますが、それは私が望んでいないこと。ここは入居前からスタッフとも入居を考えている人ともたくさん話し、積み上げてきた関係がある。それがとってもいいことなんです。
だから、かなり言いにくいことでも、私はハウス長さんにきちんと言いますし、話せば、問題が少しずつ改善されていく、その実感もあるので、それもここに決めてよかったなと思うことです。
Q:たとえばどのような改善点がありますか
桃子 最近では、提携している診療所のことについてです。「ゆいま〜る聖ヶ丘」は「あいクリニック」(天翁会)と提携しているので、健康診断やふつうの通院に、「あいクリニック」へ行くことが勧められます。でも、診療所は他にもあります。「あいクリニック」へ行くように勧めるのだとしたら、入居者にとってもメリットがないとおかしくないですか? たとえば◎曜日の◎時ごろは入居者の診察にあてるので、待ち時間が少なくて済むとか、そういう配慮をしていただくのはむずかしいのかと、ハウス長さんに伝えたりしました。
その結果、月に2回、クリニックまで送迎の車を出してくれることになったんです。入居者の中には車がない、移動の手段に困る人もいるので助かります。本当に必要なことを一緒に考えてもらえる。施設側と入居者でいい関係を持つことができる。不満があった時、入居者同士でくすぶっているのは良くない。だったら直接ぶつけてみる。私の性格でもあるんですけれど(笑)。
Q:幸夫さんが小規模多機能の「かりん」を利用されていますが…。
幸夫 会社を定年退職したあと、再雇用で72歳ぐらいまで働いていたのですが、ようやくそれもおしまいになりました。そのあと、家でぶらぶらしていてもつまらないので、世田谷にいる時には、区が主催している老人大学、今は生涯大学と呼んでいますが、そういう講座や、もう一つ市民大学があって、そこへも行っていました。
こちらに来ても公民館で囲碁をやったり、中学の友だちが碁会所でやっているので、そこに顔を出したり…と思っているのですが、最近足元がふらついて転ぶことがあるんですよね。けがをするといけないので、ひとりで歩かないようにと妻に言われています(笑)。
それと、認知症のテストなんかも受けました。その結果、ほんの初期の段階ですが、認知症がみられ、進んでいくといけないということで薬をもらっています。脳を活性化するというので毎日飲んでいますが、私としてはそう悪くなっていない気がしています。あまり効果がないようなら、先生に「止めましょうか?」と言おうと思っているんですが。
桃子 お薬は嫌いだし、お医者さんも嫌い。そんなですから、私は困ります。
この周囲には緑がたくさんあって、お散歩にもいいのですが、毎日私が一緒に歩くこともできません。そういう時、どなたかみていただけたら…と、そうした思いもあって、小規模多機能の「かりん」に週三日通わせてもらっています。介護保険の申請をしたら、要介護1と認定されました。
Q:桃子さんは「かりん」でボランティアをしていると聞きました。
桃子 夫が私の目の届く範囲にいてくれたら安心ですよね。それと私、お料理が好きなんです。ですから小規模多機能の厨房で、お料理作りのお手伝いを時々させていただいています。そうすれば「かりん」がどういうところなのか知ることができるし、夫と家で話をすることもできるでしょう。
Q:「この先のこと」もイメージされていますか?
幸夫 私は今「かりん」に行っていますが、そこで見ていますと、私よりももっと状態の悪い、寝込んでいる方もいらっしゃいます。私もこの先、もっと身体が悪くなったら、「かりん」のお世話になるんじゃないかと思うんです。その過渡期がどういうふうになるかが気になるんです。今の生活からスムーズに「かりん」の「泊まり」を利用した生活がどのようにできるのか。どういうふうに移行していくのか。
桃子 そうなったら、「かりん」ではなく、隣のグループホームの「どんぐり」(天翁会)を利用することもあるかもしれません。
幸夫 まあ、これからもっとダメになってきたら、皆さんがどう対応してくださるのか。それは実績を積んでいくしかないですよね。
僕もすでに「かりん」に通っています。中に入って、これからどうなるのか、他の人のことを見て、自分のことも考えているわけですが、私なんかも、これから先の、ここでの1つの例になるのではないでしょうか。私の身体がだんだん弱ってきた時に、どこで救ってくれるのか。「最期まで」という施設が、どこまで面倒をみてくれるのか。今、様子見をしている段階です。
桃子 あら、ここに来る前は、もしも寝たきりになったら、私と娘にずっと面倒をみてもらって逝きたいとおっしゃっていましたね。
幸夫 まあ、実際にはそうもいかないですね(笑)。
Q:今の楽しみは?
幸夫 ここには「グリーン部会」という植木の手入れをする部会や、図書コーナーの本を整理する図書部会があるんです。そのメンバーになって、他の方々と植木に水をやったり、入居者が寄贈してくれた本を整理してリストを作ったり、貸し出しのルールを決めたり…。そういう仕事をやらされて(!)、けっこう忙しいんですよ(笑)。
桃子 私は今まで短歌と俳句をずっとやってきました。両親の介護のときは短歌でずいぶん救われました。短歌には、そのものを歌わなくても、どこかににじむ。短歌の仲間たちは長いつきあいですから、「今大変なのね」とか、「よかったね」とか言ってくれます。そうしたことでどれほど支えられてきたのか。
ここに来てから作った俳句ですか? そうですね、最近つくったものですけれどーー。
虫の夜やほろと溶けゆく和三盆
編集部:桃子さんは今、これまでにない気楽さを感じているとのこと。「ここなら老いても、病んで何かあっても、皆さんは『私の将来だから』といって見てくださる。似た境遇で、それぞれに過去を断ち切って来た人たちと、助けあって生きていける、その部分で気持ちが楽になったのです」と。短歌や俳句に、多摩での新しい暮らし、新しい風がこれからも吹きこまれていくことと思います。