ゆいま~る高島平 暮らす人々の声

“放し飼い”の自由を謳歌して水泳三昧、孤独死を心配していた子どもたちも一安心


 

水泳マスターズ界のカリスマと言われる神谷正保さん(84歳)。ゆいま~る高島平に入居する前は、埼玉県のマンションに一人暮らしをされていた。しかし、孤独死を心配するお子さんからマンションを整理して見守り付きの環境に移ることを勧められていた。そして見つけたゆいま~る高島平。「こりゃ、拾いもんだわ!」と表現される。毎日の安否確認のおかげで子どもたちの不安は払拭された。これで、食べたいものを食べたいようにする“完全自炊”をしながら、水泳と漫画を存分に楽しむ“放し飼い”状態になったとおっしゃる。「ここに来て、20年先までの設計ができた。毎週のように水泳の試合をこなして、生涯2000試合、6000レースに出場して5000勝を目指す」とますます意気軒昂な暮らしぶりを語っていただきました。


ゆいま~る高島平
神谷正保さん(84歳)の場合

(入居:2016年3月)

住み替えの第1理由は“安全保障”

ここに来る前は、埼玉県朝霞市のマンションに長年住んでいました。妻はケガをして高齢者向けの施設に入っているので、私は一人暮らしでした。子供らからみると、妻はケアされているから心配ないけれど、一人暮らしをしている私が心配だという。ここ2、3年、浜松にいる妻や子どもたちから、「今さらジイジから水泳を取り上げるわけにはいかんけど、選手生活を続けたいなら・・・」と次の要求を突きつけられました。「①孤独死なんてことにならないように、見守りつきの住環境に移ってください」「②今のマンションはジイジがしっかりしているうちに処分してください」「③その上で、ジイジが希望するなら、“完全自炊”かつ“放し飼い”で水泳選手生活を続けてもいいです」と。

マンションを売って貸家・アパートを捜そうにも、この歳の独り暮しではどこも入れてくれるはずがない。大家は孤独死になることを恐れて門前払いですわ。だから子どもたちの要求は事実上の(水泳選手)引退勧告でした。

ところが友達にUR都市機構を教えられたことをきっかけに、ここ「ゆいま~る高島平」に辿り着きました。なんと、子どもたちの要求をほぼクリアすることができました。ここでは安否確認の連絡をしないと、フロントから電話はくるわ、覗きに来たりもする。うっかり死んでもいられない。つまり、ここに移ってきた理由の第1は、私の“安全保障”だったのです。これが解決すれば、ヨーイドンの(競泳の)世界に没頭できる。

こりゃ、拾いもんだわ!

昨年(2015年)暮れに、ここを見にきました。ハウス長が案内してくれた部屋はピカピカでした。家賃の相場でいけば、1万円~1万5000円安いところもないではない。でも、「こりゃ良いや!」と思った。最寄駅からの距離は3分の2になりました。助かります。

それと、都内のバスと都営地下鉄等が乗り放題のシルバーパスはすごい。朝霞市では、定期代とパスモ代が月に2万円かかっていました。これが、年間2万円のシルバーパスでほぼ用が足りるようになりました。高島平駅から団地へのバスが10分置きにあるのですが、泳いで疲れきって帰るとき、マンガを買い込んで帰るときにはバスを使えるのも便利です。ゆいま~る高島平は安否確認などの生活支援サービス費が月額3万6000円ですが、シルバーパスによる交通費の節約と前のマンションの管理費月額約2万円がなくなったので、ほぼチャラということになりました。シルバーパスのことはあとから気付いたのですが、「こりゃ、拾いモンだわ!」と思いました。

ここに移ることは昨年(2015年)暮れに決めたのですが、引越しは大変でした。私の第1の道楽は水泳ですが、これはパンツとタオルだけがあればよい。でも、もう一つの道楽はマンガです。ここに移るとき、190個以上のダンボールに荷物を詰め込んできました。でも家財道具は10箱程度です。実は、180個以上に入れたのはマンガ本でした。3月15日に引越しましたが、昨年暮れから始めたマンガ本の詰め込み作業を終えたのは前日の3月14日でした。体調の悪い日でも、最低1箱は荷造りしました。

ベッド、競泳のメダル/賞状を置くテーブル、あとはすべてマンガ本を詰め込む本棚。足の置き場だけ残ればよいと思いましたが、ご覧のとおり、なんとかなりました。

引っ越した当初、安否確認の操作を時々し忘れていました。でも、今は大丈夫。安否確認の端末操作は1日に何度やってもよいのだと言われてから、楽になりました。それまでは1日に1回だけだと思っていたので、結果として忘れてしまうことがありました。

本棚の中もぎっしり、天井までぎっしり。すべてマンガの本。

1000試合、3000レース出場/金メダル2000個の目標は達成してしまった

代々木のオリンピックプールのサブプールでやっているスイミング・スクールに長年通っています。月曜、水曜、金曜の週3日です。そして試合にどんどん出場します。目標は、1000試合に出場して3000レースを泳ぎ(一つの試合で複数の種目に出場)、金メダル2000個を取ることでした。

でも、この目標はすでにクリアしてしまいました。1000試合まであといくつ、もうすぐ3000レース、金メダル1998個まで取ったときとか、わくわくしたものでした。でもそれを超えちゃうと、あとは無限の青天井。まことに締まらない。今年の5月3日現在で1085試合(うち、マスターズ公認854試合)、3709レース(うち、決勝3553レース)、2414勝になりました。これ、世界1だと思うのですが、ギネスには認定できないと言われてしまいました。

85歳になる来年は楽しみ! 金メダル増産の好機!

でもね、来年(2017年)の1月から、マスターズの競技会では私は85歳という扱いになって、85歳~89歳の年齢区分に入ります。今年までの手ごわいライバルとはいったん別れて、来年は新しい学校の1年生になるということです。そのライバル達と戦った今年7月の「第33回 日本マスターズ水泳選手権大会(ジャパンマスターズ2016)」では9種目に出場して、金を一つ、銅を三つ、8位までの下位入賞が3個だった。今年金や銀をとったライバル達と来年は離れる。だから来年は楽しみ。金メダル増産の好機です。

約2500勝の賞状やメダル。置ききれないからメダルのリボンは外してしまった。

ここに来て、20年先までの設計が出来た!

――― 2000試合/6000レース/5000勝を目指す

先日、ここの家賃9年分を前払いした。約1000万円。私の年齢だと、このあとは、ここの家賃がタダになる。家賃がタダになってから、同じくらい(9年くらい)は生きていることにした。そうするとね、ちょうどその頃に、2000試合/6000レースを達成し、うまくいけば金メダルが5000個になる。いい時分なんだわ!これが!18年後の平成46年(2034年)の11月頃に達成する。ここに来てから、この新しい目標が出来ました。「サァ、コイ!」てなもんだ。

医者にね、「人は病気ではなく、純粋に老衰で死ぬことはあるのですか?」と聞いてみました。そしたらね、「そりゃ、管理の仕方によってはあり得る」という答えでした。身体の末端の血管や神経からダメになって、最後はあばら骨を動かす筋肉と神経が残るという。つまり呼吸するための筋肉が残って、最後に呼吸も止まるのが、本当の衰弱死だという。先生に、「ワシの場合はその数年前に水泳を引退することになると思うのですが、衰弱死はだいたいどんなもんで」と聞いたら、新聞に出るような例外的な長寿はあるにせよ、普通はだいたい110歳から115歳の間だとおっしゃる。そうすると、ここの家賃がタダになって20年近く経ったころに、「神谷さんは、おくたばりになる」。尊敬されて亡くなることができれば、“くたばる”ではなく“おくたばりになる”です。

こういうところまでの設計が、今できたところです。

普段はツライ。でも水泳のあとは、“健常者”に戻る!

私は子どもの頃から水泳が好きでした。でも、身体が弱かった。水泳部に入りましたが、雑用を一手に引き受けるマネージャーの見習いから始めました。選手がうらやましくて仕方なかった。学校にいる間はマネージャーでした。ところが働き始めてから丈夫になってきて、水に入っても熱を出さない身体になったことに気付きました。以来、あこがれの選手になって約65年ですわ。最初に出たのは浜松市のスポーツ祭。100m自由形決勝で7人中3位。以来、ずっと記録を付けてきました。

水泳は、私は慣れているからごまかすことができているけれど、実はかなりキツイものです。慣れていない人がいきなりあんなことをしたら、疲れて翌日寝込んでしまう。私も、朝起きるとキツイ。ものすごくキツイ。でもプールに行くために出かけて、電車に乗って約1時間。おとなしくしていると回復できないですね。電車を降りたときは、この世の終わりかと思うほど、身体がエライ(つらい)。

ところが、練習が終わって、あるいは試合が済んで、プールから上がるときは体重がドシンとかかってくるけど、30分もすると、健常者ですわ!自動車でいうと暖気運転が済んだ状態。これはいいです!

練習して鍛えてあるからということになりますが、鍛えることの半分は強さですが、半分は慣れです。慣れることがとても重要だと思います。包丁の使い方にしても、炊事や、あるいは文章を書くようなことも、慣れが必要でしょう。“ズブシロ”じゃぁ、できないよね。

昭和28年、生まれて初めていただいた浜松市スポーツ祭の表彰状と銅メダル(右上の隅)。

大阪や岡山の試合でも新幹線は使わない

ここでは、食べたいものを食べたいようにできる“完全自炊”です。ずっと以前、あるとき、妻から「仕事は終わって道楽生活しているのだから、お勝手のことを半分はやってよ」と言われた。言われたときは「てやんでぇ!」と思ったけれど、手を出してみると、案外と面白かった。炊事はそう嫌いじゃないことに気が付きました。それと、“放し飼い”でなきゃいけない。プールへ行って、古本屋に寄ってウロチョロする生活のけっこうなこと。

水泳の試合は年に100回近く開催されます。ほとんどが土日です。1年は52週しかないので、年間50試合近く出場する私は、ほとんど毎週試合ということになります。この試合の半分くらいは遠方で行われます。交通費がかかる。だから大阪や岡山でも、新幹線を使ったことはない。全部、鈍行列車です。青春18きっぷを使えるときは最大限利用します。大阪まで9時間で行けます。昔々東海道本線を走っていた特急つばめでも8時間はかかりましたから、それとほとんど変わらない。試合前日の朝、東京を出て、大阪に夕方着きます。

老後って、こんなに楽しいとは!

実はこの頃、私に対して周囲がめっきり丁重になってきた。オヤジのことを思うと、80を超えた今の私の年齢はいいところにきているなぁと思ったりします。周りが話しかけながら私を持ち上げてくれる。「すごいですね~!」「たいしたものですね~!」と。悪い気はしないんですわ。これは、長生きの特効薬ですね。折り紙にしろ、編み物にしろ、散歩にしろ、いろいろなことで楽しんでいる高齢者がいますが、「すごいですね~!」「たいしたものですね~!」と言われれば、これは悪い気はしませんよね。

こんなことを調子付いて話していますが、楽しそうでしょ?老後ってのはこんなにけっこうなものかと。それにしてもアパートから門前払いをくらうような高齢者、ちょっと目を離すとミイラのようになるかもしれない高齢者を集めてお仕事にしている会社もたいしたものだと思うよ。

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