「ボランティアを通して元気をいただいています」――かつてのスポーツ少女は今でもアクティブ!!
ゆいま~る福の1階に入っているデイサービスで週3日ボランティアをしているというH・Sさんは、御年87歳。
新しいことにも臆せずチャレンジし、物事を前向きにとらえる姿勢があれば、年齢なんて関係ない!!
そう思わせてくれる魅力的なH・Sさんをご紹介します。
◆何があるかわからない。自分できちんとしていかなあかん!
――入居されたのはいつですか。
「お正月をこちらで迎えたかったので、2017年12月に引っ越してきました」
――それまではどちらに住んでいらしたのでしょうか。
「堺市です。生まれも育ちも大阪市ですけど、結婚してからずっと堺市。
主人が早くに亡くなってしまってね。病気したことがない、健康だけが取り柄やねって、言っていたくらいなのに、ちょっとおかしいからお医者さんに行こうということになり、結果、脳に腫瘍ができていていると言われて、それから3週間でした。61歳で亡くなりました」
――それは急でしたね……。
「その時、人生って儚いなあと思ったんです。何があるかわからない、自分できちんとしていかなあかんな、と」
――それからはお一人暮らしですか?
「自分の母親が寝たきりになり、一緒に暮らしてお世話していましたが、2002年に亡くなりまして、娘二人も独立し、それから一人暮らしです。
近くの小学校の見回り隊を始めて、近所の子どもたちが道で会うと「おばちゃん」いうて声かけてくれましてね。中学や高校になって大きくなっても、「おばちゃん」て。昔は幼稚園に勤めていたので、子ども好き。共働きの家の子どもがよく遊びに来ていました。
家に引きこもっていたらわからないけど、外に出ていくと、こんなことしてるんだとか、いろいろなことが知れて自分も学べるんですよ。
町内会の役も引き受けていたので、引っ越すときに、ご近所さんからお手紙やお餞別をたくさんいただきました」
――お元気ですし、そのまま一人暮らし続けられそうですが、高齢者住宅の住み替えを考えたきっかけは何でしょうか。
「家の中の片づけをしたくて、いろいろな講演を聞きに行った中で、高齢者住宅の講演もあり、いくつか見学に行くようになりました。元気だけど、いずれはからだも弱くなり、できないことも出てくるだろうと思ってね。
普通の高齢者住宅だったら、外出するときは申告が必要とか行きたいところにも行けないところが多いけど、ここなら24時間自由行動。駅に近いし、スーパーも近いし、病院も近い。
大阪に住んでいる娘夫婦も見学の時に付き添ってくれて、東京にいる娘も本社を訪ねてくれて『お母さん、ここやったら間違いないよ』と太鼓判を押してくれました。
自分に合っていたんですね。楽しく、元気よくいるのが基本だから、歩ける間は自分でどこでも行けるところがいいと思ったんです」
◆”テレビとお友だち”になってしまうのはだめです
――ありがたいです。娘さんたちにも感謝したいです。ゆいま~る福に住み替えられて、どのように過ごされていますか。
「私、ものすごく夜は強くて11時過ぎまで起きているんですが、朝が弱い。ここに来て、安否確認に間に合わなくて、2回電話がかかってきた(笑)。だから、9時前に安否確認を済ませるようにして、それでまた帰って寝るんです(笑)。年取ると寝られないっていうけど、よく寝られるんですよ。みんな、夜お手洗いに起きるとなかなか寝られないっていうけど、私は寝られます。寝るのが薬かなと思っています」
――寝られるって若い証拠ですよね。食事は自炊ですか?
「自分で作ります。朝は、11時頃から1時間くらいかけてゆっくり食べています。果物を5種類くらい食べるのが朝食。昨日はバナナ、桃、梨、ブドウ、キウイ。バナナは1本食べますけど、あとは半分にしてね。あと、コーヒーに牛乳をたくさん入れて。1リットル牛乳を4日くらいで飲みますね。お茶もよく飲みます。常温にして作り置きして飲んでいます。冷たいと胃が驚いてしまうのでね。
1日2食ですが、食べることが好きだから、何でも自分で作りますよ。一人でも天ぷらを揚げます。揚げたてが一番おいしいから。今の時期、はもの天ぷらがおいしいですね。ほうれん草なんかは一度に湯がいておくと手間が省けるでしょう。小分けにして、毎日だと飽きるから一日おきにいただく。作らないのは、お刺身のお造りくらいかな」
――和食中心ですか?
「魚が多いですね。私は健康が取り柄ですけど、子どもの時から歯だけは弱いんです。今でも唯一歯医者さんだけは通っていて、入れ歯で固いものは食べられない」
――ゆいま~る福に併設されているデイサービスでボランティアをしていると伺いました。
「資格を持ってないのでお世話はできないけど、おやつの段取りをしたり、洗い物のお手伝いをしたりしています。12時から16時までの4時間、週3日。段取りは覚えたから、『今日は何人、飲み物はこれ』と言われればツーカーで配膳できるようになりました。
職員さんと話したり、『毎日来ていいよ』と言ってもらっています。ここに来て、元気をいただいてますよ。家にいたら、ずっと動かずに座って、”テレビとお友だち”になってしまう。それではだめです」
――生き生きボランティアされている姿が想像できます。
「一時期、コロナの影響で自粛の時があり、ボランティアを控えていました。久しぶりに行ったら、動き回るのはいいんだけど、同じ場所での立ち仕事が辛かった。ちょっと行かなかっただけで、足が痛くなるんだと実感しましたね」
◆教習所では女性は私一人でした
――活動的なH・Sさんですが、趣味などはあるのですか。
「20年前から、詩吟をしています。大阪市では高齢者はバス代が50円。今は時間が十分にあるので、少し時間がかかってもバスで師匠のところへ通っています。毎週火曜日、お弟子さん7人くらいとしゃべったり笑ったりしながら楽しく続けています。自粛の時、師匠に『お休みですか』と聞いたら、弟子がこないと寂しいのか『なんで来いへんねん』と怒られて(笑)。先生の娘さんも、幼年の部、成年の部と優勝していて上手な方です。今年、全国大会が東京であるので、行きたいと思っています」
――お一人でですか? アクティブですね。
「一人でも出かけますね。東京に行くと、宮城とか横浜に住んでいる高校時代の友人たちが集まってくれて、会ったりします。卒業して60年以上になりますけど嬉しいですね」
――旅行も行かれていそうですね。
「9.11のテロとき、友人6人と北欧に行っていたんです。帰国前日に事件が起きて驚きました。乗り継ぎをするイギリスの空港でみんな降ろされて、荷物検査させられて、ものすごくごった返していました。
一番遠いところで、南極に行きました。アルゼンチンのブエノスアイレスから船でね。南極に降りたのではなく、周囲を船で回りました。船旅だったんですが、いろいろな国の人たちが乗っていて、毎日ショーがあるし、スポーツもできるし、映画も見られる。食事もついているし、荷物を置いて出かけられるし、楽で贅沢な旅でした。
ペンギンの島に降りたときは、病気を移さないために靴底を消毒してね。臭かったですけどね(笑)」
――日常の暮らしの中で気を付けていることはありますか。
「転ばないことかな。骨折したり、入院したら、すぐに弱ってしまうから、バスに乗るときも、必ず足元をみて用心しています。
散歩もしますね。ゆいま~る福の脇の大野川緑陰道によく行きます。少し行くと淀川で、海遊館などがある天保山の観覧車が見えてきれいですよ。家まで往復したら、3000歩ですね。
淀川ではウインドサーフィンが見られる。若かったら乗りたいなと思います」
――スポーツが得意そうですよね。
「学生時代からお転婆で、中学ではソフトボールをしていました。女子のソフトボールはこの頃が走りでしたから、キャッチャーとファースト以外グローブもなく素手でやってましたね。母は昔の人間で女の子はこうあるべきだという考えだったので、怒られていました。それでも、高校でテニスを始め、卒業してもテニスクラブに入っていました。
車の免許は昭和36年に取得。当時、教習所では女性は私一人でした。ワゴン車に友だちを載せて旅行やお稽古に通ったりして、80歳で免許証を返上するまで乗っていました」
――昔から活発で、充実した高齢期を過ごされている林さんですが、不安なことはありますか。
「子どもより先に亡くならないといけないなと(苦笑)。子どもに先に逝かれるほどつらいことはありませんからね」
――コロナがなかなか収束しませんが、落ち着いたら何かやりたいことはありますか。
「もうないですね(笑)」
終戦の時は11歳だったというH・Sさん。いろいろなことを経験してよかったとおっしゃいます。幼稚園に勤めていた経験から、今の子は頭でっかちになってしまって、科学的には進歩しても精神的には弱くなってしまったと感じているそうです。「世界に向かっている時代、対応できる強さがないといけない」と一家言持ったお言葉もいただきました。
何にでも興味を持って取り組まれるH・Sさんの姿勢は、スタッフ一同見習っていきたいと思います。(2021/9/15 インタビュー)