多様性を受け入れる土壌がある都留市で60歳から第2の人生
海外旅行好きが高じて、その国の高齢者事情にも興味を持ち始めたという大沢由花さん。40代のころから移住を考えたり、高齢者向け住宅を見学したりしていたそうです。60代でゆいま~る都留に住み替えた理由や暮らしの様子をお伺いしました。
――2年前に入居されたということですが、こちらに来る前はどちらにお住まいで、どのようなお暮らしだったのでしょうか。
「横浜市の集合住宅に住んでいました。専業主婦でした」
――60代とお若いし、健康上問題もなくお見受けしますが、高齢者住宅に住み替えるきっかけは何だったのでしょうか。
「わりと早くから考えていました。子どもが1人いるのですが、台湾に行きまして、帰ってくる予定だったのですが、そのまま現地で結婚して現地の会社に就職したんです。ということは帰ってこないということですので、今後のことをゼロから考えなければならなくなった、というのがきっかけの1つです。
もう1つは、主人が体調を崩しまして、定年まで2年ありましたが、今退職しても将来の年金の差にあまり問題はないということで、これも住み替えを考える一つになりました」
――ほかにも見学に行かれていたのですか。
「以前からいろいろなところに見学に行っていたんです。
海外旅行など、旅行をするのが好きで、激安ツアーであちこち行っているうちに、行く先々の高齢者の事情や、年金問題などに興味が湧いてきましてね。ツアーに参加されている方々から、こういう所を見学している、こういうところと契約しているという話が出て、高齢者になった時のことを考えるようになりました。具体的には考えていませんでしたが、40代のころから、見るのが好きで、いろいろと見ていました」
――それで先ほどのきっかけがあったということですね。
「はい。息子と主人のことがあり、具体的になったのです。ところが、話を進めているうちに、主人がやはり最後まで働きたいと言い出しまして。
私は、こちらを見学させていただいて、とても気に入っていたので、とりあえず1人で先に住み替えることにしたのです」
――息子さんの反対はありませんでしたか。
「まったくなしです。やはり、判断の付くうちに自分で決めるのがいいと思います」
――たくさん見学されてきた中で、ゆいま~る都留を選んだ決め手はなんでしょう。
「無理がない場所かな、と思いました。たとえば、海外移住も考えたのですが、両親のこともありますし、日本に帰国しなければならないこともあるでしょうし、無理があるかもというのが漠然とありました。
そんなときに、国内移住をされている高齢者がいるのを知り、国内も選択肢の1つだと思ったのです。都留市は、横浜からも地理的に近いし、いいのではないかと思いました」
――ゆいま~る都留はどのようにして知ったでしょうか。
「都内で行われていた移住フェアを新聞で知り、足を運んだところ山梨県のブースから声をかけていただいたんです。その時は、北杜市、甲府市のご説明でした。その後、何度か移住フェアにいくうちに、都留市を知りました。都留市はお試しで見学きるということでしたので、行ってみたんです」
――見学してみていかがでしたか?
「そうですね。都留市駅に降り立った時の雰囲気がまずよかったのです。それだけで、『ここ、いい‼』と思ってしまいまして」
――旅行がお好きだとおっしゃっていたので、いろいろなところを見て、合う・合わないがすぐに判断できるのかもしれませんね。
「動物的な嗅覚があるのかもしれません(笑)」
――実際に、ゆいま~る都留でのお暮らしはいかがですか。
「ゆいま~る都留の説明会が何度か開かれたのですが、そのたびに同じ顔触れの方たちと出会い、お友達になりました。その方たちが先に入居されていたので、気楽な感じで、嬉しい感じで都留に来たんですね。お仲間も入居の出入りがあり、最初のころと雰囲気は変わりましたが、ずっと楽しませてもらっています」
――イベントなどを企画されていると聞きましたが。
「ゆいま~る都留の1号棟と2号棟の間に、地域の交流センターがあります。ここで、30名くらい集まって、食事も兼ねたイベントやパーティー等ができたのですが、コロナ禍になり自粛が続きました。ほとんど何もできない状態になってしまったのです。
そこで、都留市の制度で「いーばしょ」(※)というものを教えてもらいました。その制度を使うと、市のコロナ状況に応じて、できることもあったのです。規模は小さいけれど、できることを少しずつやってきていました。
都留市は、ボランティア活動が盛んなところです。都留市中央公民館が開催する公民館教室というところで活動している団体さんにお声がけして、これまで、エレキ大正琴、朗読劇などのイベントを行ってきました」
(※)「いーばしょ」は、地域の人たちや団体が主体となって運営している、高齢者などが気軽に立ち寄ることができる身近な「通いの場」。市内には、26ヶ所<令和3年7月現在>の「いーばしょ」がある。
――都留市は環境もいいですし、観光地などへは行かれますか。
「それが意外で、こっちに来たらたくさん出かけたり歩いたりするかなと思っていたのですけど、そうでもなくて。観光地にも行っていなくて、気がついたら、今お話ししたようなことに没頭していたんです(笑)」
――イベント企画のほかに、何かされていること、趣味などはありますか。
「ストレッチやラジオ体操、脳トレなどは継続しています。あと、ボーリングですね。こちらにきてはじめてやりました。ボーリング場に行って練習しています」
――お買い物は不自由ないですか。
「私はもともと買い物しないタイプ。おしゃれでもないし、こだわりもないんです。駅前にある徒歩10分くらいのご家族で経営しているスーパーで十分満ち足りています。また、ここの皆さんは、野菜を作られている方もいらっしゃって、いただくことも多いんですよ」
――まだお若いですが、年齢とともに気を付けていることはありますか?
「自分の周りにバリアを作らないようにしていたいです。『この年だからいいわ』と引きこもらずに、もっと地元の方と知り合いたいですし、交流させていただきたいです。
都心だと人との関係が薄いですよね、人数が多いから。こちらですと、ある場所でAさんと知り合い、別のところでCさんと知り合うと、AさんとCさんがつながっていたということが多いんです。それが連鎖でして、次から次へと知り合いが増えていくのが楽しいです」
――若いころは煩わしいことも、年齢を重ねると知り合いが増えるのは心強いですね。
「私も若い時は人間関係が得意でなかった気がするのですが、私たちが持っていた既成の人間関係と違って、都留という場所は、地元の方、移住された方、海外に行って帰ってきた方、Uターンしてきた方とか、いろいろな方がいらっしゃるので、それがとても面白いですね」
――考え方とか暮らしのスタイルが違うことが面白いということでしょうか。
「そうですね。これまでは、都心の人はこう、地方の人はこう、とステレオタイプな感じで見ていました。今は全然違いますね。都留という場所は多様な人を受け入れる土壌があると思います。そういったところが、とっても面白いんじゃないかなと思っています」
――SDGsや多様性が時代のキーワードですけれど、閉鎖的でなく、いろんな人が生活できる土地柄なんですね。大学も周りに多いですし、都留の新しい魅力を知りました。
「ここに来て感じたのは、自治体との距離がすごく近いこと。横浜にいたときは、役所は何かの手続きに行くだけというイメージでした。
都留だと、手続きだけでなくもっと身近で、たとえば私のつたない企画を真剣に聞いてくださって、実現しようとしてくださる、サポートしてくださる、こういう制度がありますよ、と教えてくださる。とても近い感じがします。
そして、自治体の方の頭が柔らかいというか、開けているというか。都留で生まれ育って、他へ行かれたけれど、都留が好きでUターンで戻ってこられた職員もけっこういらっしゃるので、とてもいろんな考えを持っていて、多角的で、勉強になります」
――住み替え考えている方へアドバイスはありますか。
「移住・住み替えというとハードルが高いと考えてはしまいますが、ゆいま~る都留に関していうと、一軒家ではなく1つの大きな住宅の中の1つなので、都心の集合住宅とあまり住環境が変わらない感じです。首都圏からの住み替えも多いので余計そう感じるのかもしれません。80世帯ありますので、誰かしら気の合う方がいらっしゃるものです。フロントスタッフもいてくださるので、相談もできますし、やはり何かと安心だと思います」
都留で生き生きと過ごされている大沢さん。都留市が進める「生涯活躍のまち・つる」事業で掲げるサービス付き高齢者向け住宅の単独型居住プロジェクト(既存施設活用型)に位置付けられるのがゆいま~る都留ですが、まさしく公民連携を大沢さんが担ってくれています。これからも、地域とともにゆいま~る都留での活躍を期待したいです。(2021年11月19日インタビュー)