ゆいま~る聖ヶ丘 暮らす人々の声

夫がプレゼントしてくれた自由な時間で、有意義な毎日を過ごす


「寝たきりになる」と57歳の時に医師から宣言された萩原さんの夫。それから萩原さんご夫妻の「命を懸けて」のリハビリの日々が始まりました。努力の甲斐あって回復し、ふたりで「ゆいま~る聖ヶ丘」を選ばれ入居しましたが、現在は明子さんお1人に。今は夫がプレゼントしてくれた自由な時間だと感謝して、さまざまのことにチャレンジし続けています。

萩原明子さん(79) ゆいま~る聖ヶ丘の前で(2013年入居)

――萩原さんはいつからゆいま~る聖ヶ丘に住み替えられたのですか。

「契約したのが10年前で、住み始めて9年なります。ここに入居したとき、『どうしてお子さんがいるのに高齢者住宅に?』 と聞かれました。それは、舅姑、私の両親の老後を見て、自分の意思で自分の行く道をしっかり決めなくては、と思っていたからです。自分で判断できなくなると、どうしても周りに頼らざるを得ない状況になります。
判断力、行動力、実行力があるうちに決めたいと、早くからそういう意識がありましたので、20年くらいかけて、50カ所くらい見学に行きました。自分の意思で納得したすみかを決めたかったのです。また、夫の健康状態から私の方が早く逝くようなことがあっても、1人で住めるような状態にしておいてやらないといけないと思いました。
自分の目で見て、自分できちんと確かめて、自分のスタンスで探しました」

 ――50カ所の見学から、ゆいま~る聖ヶ丘を選ばれた理由は何ですか。

「ゆいま~る聖ヶ丘に決めた理由は、今まで通りの生活ができるところだから。すべてが満足するところはないでしょう。だから、自分がどういうところにいきたいか、的を絞って決めるしかないのです。私の場合、その的が“今まで通りの生活が続けられるところ”でした。
舅姑、母の施設を見てきましたが、拘束感、閉塞感があるんですね。それはいやだ、行動する意欲がそがれてしまう、自由がいい、と思って。そうしたら、‟ゆいま~る”しかなかったのです。
聖ヶ丘の周辺環境も気に入りました。すぐそばに、図書館、派出所、郵便局、商業施設がある。バス停まで徒歩3分だし、最寄りの電車の駅から都心へ行くのも便利。周りには広大な都立公園があり、今の季節はもみじが素晴らしいんです。まるでゆいま~る庭のようです。ここの財産ですよ」

――お子さんは反対されませんでしたか。

「娘が2人いますが、事後承諾です。ここに入るからね、と。子どもの生涯ではないのでね。自分の意思で決めました。逆に自分の老後は自分で決めているので、子ども孝行していると思いますよ」

 ――入居はご夫妻で?

「そうです。でも、ここに来るまでは大変だったのです。
夫は45歳の時脳溢血で倒れたのを最初に、数回倒れ、脳は8カ所、57歳で倒れたときには2晩危篤状態となりました。そして、意識が戻った時『生涯寝たきりになる』と宣言されたのです。50日間私のこともわからないで、そして全身まひ、言葉も出ない、表情もない、そんな50日間でした」

――それは大変な日々を過ごされてきたのですね。

「主治医から障害の認定医のところへ行くように言われましたが、認定医は発症時の状態からこれほどまでに回復することは30年来認定医をしているが見たことがないと驚いていました。それで『申し訳ないが何の等級も出せない、すみません。ただここまでになるということはそばにいる人がどんなに頑張ったかということです』と言われて、私の頑張りが証明されてうれしかったです。ほんと、命を懸けてつれあいを蘇生させるために頑張りました」

――お2人でゆいま~る聖ヶ丘に入居されていかがでしたか。

「ここの住民の方が、『歩くのが上手になったね』と言ってくれるのが力になりました。夫にも『○○さんが上手になったと言っていたよ』と伝えると、何も言わないけれど嬉しかったんじゃないでしょうか。呂律がうまく回らないので、第三者とはめったに話すことはなかったのですが、私の留守に電話に出たりした場合、『だいぶ話し方がよくなったねと言っていたよ』と伝えると、頑張って口を開けてリハビリしようとしていました。四六時中、オーラル、運動機能のリハビリでした。
入居者の皆さんに、なんとなしに温かい目で見ていただいて、それが夫に伝わって、リハビリの向上に間接的に貢献してくださっていたと思うんです。ゆいま~る聖ヶ丘でよいところは、距離感が絶妙だということ。そんなに深くはない、だけど、なんとなしのお付き合いで、そこが素晴らしいです。そんな関係はなかなかないと思いますね」

――頑張って回復して、金婚式のお祝いもされたそうですね。

「日比谷松本楼(日比谷公園内にある老舗洋食店)で金婚式のお祝いをしようと、子どもたち家族にもその日は空けておいてもらうようにして、1年前から予約していました。日比谷公園や夫の勤めていた会社を背景に写真を撮ってもらい、夫も私も家族も笑顔いっぱい。よい思い出になりました。
ところが、そのちょうど24時間後、夫は天寿を全うしたのです。
じつは、旅立つ30分前に隣人の入居者の方とお会いし、『調子はいかがですか』と聞かれて夫は『絶好調』と答えたそうなんです。その隣人は『うそよ!!』と夫の訃報を伝えた時とても驚いて、なかなか信じてもらえませんでした。きっと、夫は隣人から声をかけられた時、からだもこころも環境もすべてが絶好調だと感じていたのだと思っています」

家族全員が揃ったのは初めての金婚式で、笑顔あふれる萩原さんご夫妻

 ――それは急でしたね。大変驚きました…。

「天寿を全うする1年前くらいから、『ゆいま~る、いいね』とよく言っていました。危篤状態(人命維持装置・人工呼吸器密着)からここまで蘇らせて、絶好調という最高の生を全うしてくれた。おまけの人生、危篤から25年間、その中の最期の5年間をゆいま~るで過ごしました。よかったね、と言ってあげたいです。
息を引きとった時、スタッフの方がすぐに長女に連絡を取ってくれたり、手続きをしてくれたりして、とてもありがたかったです。一人では大変だったと思います」

――これまで闘病生活を支えてこられて、お辛かったのではないですか。

「『高齢者の暗くないフィニッシュの仕方はないものだろうか』とある女流作家が本に書かれていました。〈不思議に明るく、透明感のある余韻〉というくだりです。あるある、ここにぴったりの例があります、そんな感じでした。
生涯寝たきりで四六時中介護が必要と言われた本人を蘇らせることに一生懸命で、辛いとは思ったことはないです。こんなにできるようになったとプラス思考に徹していました。本人も身体のリハビリは痛く辛かったと思いますが、弱音を吐くことなく頑張りました。
本人の意識が戻った段階で、彼だったら性格的に頑張るだろうと思っていましたので、お互い命懸けでリハビリに取り組みました」

 ――今は、どのような生活をされていますか。

「安否確認のマグネットを付けに下に降りてきて、ゆいま~るの前にある花の世話や掃除をします。近隣のラジオ体操行き帰りの方とも朝から会話がはずみます。
あと、多摩大学に週1度、東京経済大学に月1度通って学んでいます(夫の生存していた頃は中央大多摩キャンパス、都立大に一緒に通っていました)。 世界のこと、最新のこと、たとえばコロナ問題や経済問題など、各界から最高の講師を呼んで講義してくれます。一番フレッシュな問題を勉強できるのはとても楽しいです」

 ――学ぶ意欲があるのは素晴らしいですね。ほかに取り組まれていることはあるのですか。

「長女が小学校入学の地域にガールスカウトがなく、ガールスカウト団を志のある方々と1年かけて発団、小学校入学と同時にスタート。何度か転団をくり返しながら、その活動にかかわらせていただいています。
2泊3日、3泊4日と自然の中での野営キャンプは最高です。スカウト活動の一大イベントです。来年はガールスカウトのメッカ『戸隠』でコロナも収まり少女たちとキャンプできたらと願っています。ここゆいま~る、高齢者住宅からリュックを背負ってキャンプに参加っていうのも異色ですね」

愛用のペンケース。ガールスカウトの文字が見えます

――居住者の方との交流はありますか。

「ゆいま~る聖ヶ丘は、3つの棟に分かれていますが、自分の住んでいる棟で『出会いの会』をしています。きっかけは、災害など何かあった時に、お互いに顔も知らないと不安なので、顔見知りになって助け合いましょうということからです。それとなしに助け合える雰囲気、阿吽の呼吸でお互い支え合える関係でありたいと思います。「ゆいま~る」という名前がそこでこそ生き生きすることでしょう。
植栽の花は、肥料などは居住者の皆さんの資源ごみ回収の代金でまかなわれています。入居者一人ひとりの協力、そして植栽のお世話をしてくださる方、その金銭の管理をしてくださる方、いろいろの立場での協力があって、ゆいま~るの環境が美しく保たれているのはうれしいことです」

――先日の選挙の際は、居住者から要望があり、ゆいま~る聖ヶ丘で行ったそうですね。

「定期的に月に1度30分の顔を合わせる機会ですが、皆さんホッとしますね。期日前投票のをここゆいま~るでできるようにしていただけないかとの意見も、そんな顔を合わせたときの意見のひとつでした。申し入れから時間はかかりましたが、フロントの協力で今回実現したことは大きな前進で大変うれしいことでした。フロントスタッフの皆さんのご尽力には感謝しています」

 ――フロントへの希望はありますか。

「私の母は106歳で、施設に入っています。1週間に1度、コロナの前は往復6時間かけてゆきランチ、3時のおやつを一緒にしに会いにいっていました。母が『私の年になったらわかるわよ』と言ったことがあるんです。わかっているつもりでも、その年にならないとわからないこともあります。106歳の母から教えられたことです。なので、私たちでないとわからないことがある。そういう部分を居住者の声として、フロントに伝えていけたら、と思っています。
今の時代、リモートとかZoomとかQRコードとかわからないことがいっぱいですが、フロントのスタッフに教えていただけて何よりありがたいです。一人住まいだと今の時代の機器についていくのは難しいと思います」

 ――精力的に活動されていますが、健康を保つ秘訣、工夫はありますか。

「背筋を伸ばして歩く、正しい姿勢を意識しています。朝起きてからのストレッチや、寝る前の腹筋30回、チューブベルトで腕の筋力維持、足のストレッチもしています。あとは、1日7000歩を目標に歩くなどですね。食事に気を付けて栄養バランスを保つなど、特別になにかしているわけでないのです。時々ゆいま~る食堂で入居者の方々とお食事することも楽しいことです。今はコロナで食事中もそんなにお話しできませんが、会話しながらお食事できるようになればと思います。日々の日常を丁寧に生きていくことです。
とはいえ、両足人工股関節ですし、病気もしてきました。今は、夫が自由に動ける時間をプレゼントしてくれたと感謝しています」

 ――最後に住み替えを考えている人にアドバイスをお願いします。

「住み替えてどういう生活をしたいか、ポイントを絞るとおのずと見つかると思います。プールがあるところがいいとか、豪華な食事がある施設がいいとか、要介護になってもきちんとお世話をしてほしいとか、人によってポイントの置き方が違います。私は、とにかく『今まで通りの暮らし』を重視し、ゆいま~るに決めました。
長女と二女の家族がゲストルーム(現在は無し)に泊まりに来たことがあったんですが、2人の娘婿が別々の日に泊まったのですが、そろって『僕もここに住みたいなあ』と言うんです。それほどいいところなのだと思いますよ(笑)」

 大学に通われたり、居住者の思いを受け止めフロントに伝えてくれたり、外・内ともに活動的な萩原さん。何事も全力で取り組む姿勢に感動しました。これからも心地よいハウスでいられるよう、スタッフ一同努力してまいります。

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