ゆいま~る中沢で働き始めて、3ヶ月が過ぎました。仕事は初めての事ばかりで先輩スタッフの指導のもと、勉強しながらの日々です。屋上には花壇があり、菜園なども行っています。また、朝はラジオ体操が行われています。
エントランスには、居住者の方が季節にあったお花を生けてくださりいつも華やかでとても素敵です。お花を囲んでコミュニケーションの輪も広がります。
元気がとりえの私ですが、居住者の大先輩方とお会いして、パワーや元気を逆に頂き、「もっと頑張らなくては、もっともっと頑張りたい」という気持ちになりました。
居住者の方々お一人おひとり、ゆいま~る中沢で最期まで自分らしい暮らしをしていただけるよう 全力でサポートしていくとともに、居住者の皆様方の指導を賜りながら、 楽しく仕事ができることに喜びを感じています。これからもどうぞよろしくお願い致します。
NHK特報首都圏「“団地”ルネサンス」(ゆいま~る高島平)
7月8日(金)放送のNHK特報首都圏にて、「ゆいま~る高島平」の取り組みが放映されます。
タイトル:「“団地”ルネサンス」
新たなまちづくりの現場の最前線に密着し、変わりゆく首都圏の“住まい”事情を伝える。
ゆいま~る高島平フロントの様子、入居者への密着取材、理念等について弊社社長インタビューなど
テレビ朝日ビートたけしのTVタックル(ゆいま~る那須)
7月17日(日)放送のビートたけしTVタックルで、「ゆいま~る那須」の取り組みが放映されます。
企画:「気になる賛否なニュース」
賛否なニュースのなかでCCRC問題を取り上げます。
CCRCがどのようなものかを紹介するなかで、自治体の取り組み、先進モデルとしてゆいま〜る那須が紹介されます。
BSジャパン「まちづくりマスター~切り拓くものたち~」(ゆいま~る那須)
7月25日(月)放送のBSジャパンの番組にて、Cネットの地方創生の取り組みが紹介されます。
「ゆいま~る那須」の様子と弊社社長のインタビューが放映されます。
企画:「地方人×人×ビジネス」が、日本経済にもたらす成長の道筋を探る。
「地方の持つ資産・資源」+「活躍・交流する人々」+「持続的な成長を可能にするビジネススキーム」がかみ合ったプロジェクトのキーパーソンに焦点を当て、地域創生・日本経済再興のヒントを得る。
訪問歯科診療
訪問歯科診療というのをご存知ですか?
多摩市 乞田の「新井歯科医院」では受診に通うのが難しい方の
居宅に訪問し、歯科診療をして下さいます。
ゆいま~る聖ヶ丘のグループハウスでも何名か利用されています。
洗面所に椅子や車椅子を置き、診察台になります。治療に必要なものはすべて
持ってきて下さいます。医師、歯科衛生士、歯科助手とチームで来られます。
歯の治療はもとより、口腔ケア全般に相談に応じ、対応してくださいます。
車で次の訪問先に向かいます。
訪問して下さることによって、治療が可能になった方がいらっしゃいます。
付き添うご家族の負担も少なくなりました。
「本当にありがたいわね。」との利用者の言葉です。
受診が難しくなったからと、諦めることの無いよう
私たちは様々な医療機関と連絡をとり、お手伝いいたします。
「奇跡が起こりそう!」
「奇跡が起こりそう!」
ゆいま~る高島平がオープンしてお祝いに頂いた胡蝶蘭。
立派な花を咲かせ皆さんを楽しませていたようです。
花も終わり根を休ませていましたが、色々と調べてみると
専門業者以外の家庭で二度目を咲かせることは
難しく「蕾が付き、咲いたら奇跡です!」
と書いてあるではありませんか!
まるちゃんと名前を付け、スタッフや居住者が可愛がり、
居住者のMさんはノートに記録を取りながら
気を使いお世話をしてくださいました。
そして今年、なんと、なんと
芽をつけました、蕾が9個!
奇跡が起こりそうです。
まるちゃんから名前を姫様に改名し7月なので織姫様としました。
これから大切に開花まで見守ります。
開花のお知らせも楽しみにしていて下さい♪
もう一つ、素敵なお話。
最近入居されましたUさん、お部屋にお邪魔した時に
かわいらしい二人を紹介してくださいました。
こちらはUさんの手作りの陶器です!
声も出ないほどびっくりしました。
手作りとは思えないほど繊細な作りで、是非皆さんに見て頂きたいと
思い紹介させていただきました。
7月に入りゆいま~る高島平では、新しいスタッフが仲間入り♪
顔を見にお気軽にフロントへ遊びに来てください!
どうぞ宜しくお願いいたします!
青空の下での「消火訓練」
春に行われた「防災訓練」の中で予定していた消火訓練。
生憎の悪天候で出来ずに終わったのですが、再度消防署に
ご協力をいただき、お隣のグループホームさんと一緒に
消火器の使い方を学びました。
良い機会なので、居住者の皆さんにも見学していただき、
爽やかな初夏の青空の下、ハウスの玄関前で行いました。
いつも訓練を指導してくださる消防署のMさんから、
①最初は少し遠くから始めて、徐々に火元に近付きながら
確実に消火しましょう。
②消火は途中で止めずに、消火器の粉を使い切りましょう。
③クッションや布団類に火が移った場合は、鎮火したと思っても
中で燻っている場合があるので、火が落ち着いても水を
掛けるなどして、確実に消火しましょう。
等の説明を受けて、改めて気持ちが引き締まりました。
説明を受けたあとは、実際に消火器を使ってみます。
ハウスのアイドル♪ 2名の新人スタッフも怖々ながら挑戦です。
腰が引けちゃってますね~(笑)
見守る皆さんも苦笑いです。
もちろん!火災が起こらないに越したことはありませんが
万が一の時には、慌てずに対処する事こそが大切です。
これからも、防災意識を高めるような研修や勉強会を行って
いきたいと思います。
月刊不動産(ゆいま~る厚沢部、ゆいま~る高島平)
7月15日発行の「月刊不動産」にて、「ゆいま~る厚沢部」「ゆいま~る高島平」
・ 地域と寄り添う高齢者住宅事例
「高齢者の『選択』に応える環境づくりを目指し、過疎再生や空き家活用」
<パート1>スタッフとしてオープン前から関わりながら、今は入居者であり同時に食堂責任者
「ゆいま~る那須」の食堂で毎日2食、健康に気を配りながら食事を作り、毎週土曜には食堂で「居酒屋ゆいま~る家」まで開く篠崎美砂子は、「ゆいま~る那須」を運営する株式会社コミュニティネットの社員であり食堂の責任者である。オープン・キッチンに立って働く篠崎は、入居している方々が何かにつけて相談を持ちかける身近な存在でもある。また篠崎自身も、入居者の一人である。58歳のときに、一般社団法人コミュニティネットワーク協会の一員として、ゆいま~る那須の開発検討にかかわり始めた。
<パート1>では、開発の初期段階から、開設するあたりまでを語る。
<パート2>では、スタッフ兼入居者の立場から、「ゆいま~る那須」の“今”と“将来”を語る。
開設2年5カ月前の2008年6月に、那須に住みたいと希望の方々と検討が始まった
ゆいま~る那須
篠崎美砂子(65歳、食堂責任者であり、同時に入居者でもある)の場合
(入居:2010年11月)
Q:ゆいま~る那須の構想が始まったきっかけは?
篠崎:
ゆいま~る那須が開設したのは1期工事のD棟が2010年11月、2期工事のA棟B棟C棟E棟は2012年1月です。構想のきっかけは、2007年にさかのぼります。ある別荘管理会社から一般社団法人コミュニティネットワーク協会に相談が持ち込まれました。「別荘の持ち主の高齢化が進んで、運転ができなくなったり一人暮らしになって、別荘をたたんで都会に戻ってしまう例が多くなっている。どうにかならないか」という内容でした。これがきっかけになって、2007年7月に「那須プロジェクト実行委員会」ができました。これ以降のエポックメイキングな出来事は、「ゆいま~る那須のあゆみ」という資料にまとめられています。
「那須プロジェクト実行委員会」には、コミュニティネットワーク協会だけでなく、NPO法人ふるさと回帰支援センターや、グリーンツーリズムや田舎暮らしの関連団体なども入って、月に1回のペースで検討しました。私もコミュニティネットワーク協会のメンバーとして、当時から関わりました。58歳のときでした。
2008年3月には、コミュニティネットワーク協会のスタッフ2人が那須に住み込んで、現地調査を開始しました。同年6月には、那須の構想を広く伝える『那須通信』を発行し始めました(末尾の資料一覧参照)。発行者は「那須で100年コミュニティをつくる会」。この会の主催は企画と構想を担うコミュニティネットワーク協会でした。翌月の7月には、現地見学会をスタートしました。当時はまだ現地と言っても山があるだけでした。
でもこの頃、施設設計コンペの審査が進行中でした。2008年8月、選考結果を発表しました。このとき、今のゆいま~る那須の建物の基本イメージが決まったわけです。84件の応募作品から選ばれたのは、まだ30歳代の若き建築家コンビ、それも高校時代は同級生だった2人でした(+ニューオフィス 瀬戸健似さんと近藤創順さん)注1)。彼らの提案は「高層でない方がよい」という方針で、平屋・木造はほかの提案にはありませんでした。住んでからのコミュニティつくりを考えて、たとえば玄関スペースは広くとってあります。日本家屋の縁側や土間を想起させるつくりにしてコミュニケーションをとりやすくし、ここを“エンガワドマ”と呼んでいます。これを中庭に面する向きにして、お互いの気配が伝わることを意図しています。人に会いたくなったら外に出たり食堂に行くことをイメージしたものでした。このお二人には、その後も「ゆいま~る多摩平の森」や「ゆいま~る厚沢部」、「ゆいま~る高島平」の設計をお願いしています。
注1)この設計はいろいろな賞をいただいた。「ゆいま~る那須受賞歴」を参照。
2009年2月からは、月に1回、「那須での暮らしを考える会」を開催しました。入居を決めたわけでないが関心はかなり高いという方に集まっていただき、勉強会のようなことを行いました。同年7月には宿泊付き現地見学会を開催しました。ゆいま~る那須に隣接する森林ノ牧場のカフェがこの月にオープンしていて、牛乳やアイスクリームを楽しみました。
Q:事前にどのように皆さんの声を聞いて仕様に反映したのでしょうか?
篠崎:
2009年9月には、実際に那須に住みたいという方に改めて集まっていただき、「ゆいま~る那須友の会」をスタートさせました。そしてこの月に、皆さんの意見を聞くために設計部会、食部会、送迎部会など五つの部会注2)を作りました。それぞれの部会に分かれて要望を聞きながら、でもコストも意識して話し合いをしました。
入居の経費は、入居時に約1000万円、入居してからは月々12万円で暮らせることを目指しました。月々の経費12万円は、当時の働く女性の年金額をイメージしたものです。
注2)「部会」は、開発段階だけでなく現在も続いている。現時点(2016年3月)では「農部会」「花と緑の部会」「図書部会」「温泉部会」「完成期医療福祉部会」「イベント部会」の6部会が活動している。
たとえば私は食部会を担当しました。毎月12万円の生活費とすると、3食とも食堂を利用した場合の食費は月に3万5000円にするのが妥当ということになります。でも、3万5000円、4万円、4万5000円の食費を想定して実際に食事を作り、食部会で試食会を開きました。3万5000円パターンの朝食ではメザシ一匹、4万5000円パターンでは鮭の切り身となります。参加者から「メザシ一匹ではさみしい!鮭の切り身にしてください」という声が上がってみんなで大笑いし、4万5000円に決まりました。1日4回程度走るハウス送迎車の送迎ルートも、送迎部会のみんなで話し合って決めました。
2009年12月には、現地に原寸大のモックアップを作りました。水まわりの部分を除いた、居間の部分です。ここに入ってみなさんの意見を聞き、窓の大きさや高さなどが変更されました。2010年に入ってからは、ゆいま~る那須の建材とした八溝杉の伐採場所を見学しに行って45度の急斜面をみなさんと登ったりしました。また、協力医のお一人になっていただいた那須温泉診療所見川医院の見川泰岳院長を講師に招き、先生の人となりが分かるセミナーを開き、入居する前に皆さんと接する機会を作りました。2010年10月には、「ゆいま~る那須 コンセプトブック」として、それまでの検討のエッセンスをまとめた小冊子も作りました(2011年2月に第2版発行)。
こうして、2010年11月に、D棟が完成して入居が始まりました。食堂は出来ていないので、自由室で食べていただいていました。そうこうするうちに、2011年3月11日です。東日本大震災が来ました。ここは福島県との県境近くですから、かなり揺れました。でも、建物自体に被害はありませんでした。相当に深くくい打ちをしていたおかげだと思います。それでも、新幹線が動き始めた3月15日に、全員で神戸市にある「ゆいま~る伊川谷」に一時避難しました。このときのことは、『100年コミュニティ通信vol.10』(2011年6月1日発行)に書かれています。
そして2012年1月、2期工事が終了してA棟B棟C棟E棟もオープンしました。八溝杉は震災前にすべて手当てしていたので、2期工事のスケジュールを変更せずに済みました。
オープンに漕ぎ着けるまでに、大きなセミナーも都合3回開きました。最初は2008年9月の『「おひとりさまの老後」を支えるしくみづくり』フォーラムです。講師は上野千鶴子さん(当時:東京大学院人文社会系研究科教授)、浅川澄一さん(当時:日本経済新聞社編集委員)に講師をお願いしました。ここで参加者のニーズ調査をしました。2009年5月には、『これで解決!「ひとりの老後」』セミナーを開きました。講師は松原惇子さん(NPO法人SSSネットワーク代表/ノンフィクション作家)。ここへの参加者からも、何人か那須に住みたいとおっしゃる方が「ゆいま~る那須友の会」に参加しました。そして第1期工事終了の10カ月前(2010年1月)には樋口恵子さん(NPO法人高齢社会をよくする女性の会理事長/高齢社会NGO連携協議会代表など)を講師に招いて『どう生きる、人生百年社会へ』フォーラムを開きました。フォーラムには350人程度の方に参加していただきました。そして全棟が完成した2012年1月に入居率74%でスタートをきることができました。
01外観 (6)
―――資料一覧―――
■ゆいま~る那須のあゆみ
■『那須通信』
Vol. 1(2008年6月)
Vol. 2(2008年7月)
Vol. 3(2008年8月)
Vol. 4(2008年9月)
Vol. 5(2008年10月)
Vol. 6(2009年1月)
Vol. 8(2009年4月)
■ゆいま~る那須受賞歴
■『「ゆいま~る那須 コンセプトブック」』
■『100年コミュニティ通信vol.10』(2011年6月1日発行)
――― <パート2>に続く ―――
<パート2>スタッフとしてオープン前から関わりながら、今は入居者であり同時に食堂責任者
「ゆいま~る那須」の食堂で毎日2食、健康に気を配りながら食事を作り、毎週土曜には食堂で「居酒屋ゆいま~る家」まで開く篠崎美砂子は、「ゆいま~る那須」を運営する株式会社コミュニティネットの社員であり食堂の責任者である。オープン・キッチンに立って働く篠崎は、入居している方々が何かにつけて相談を持ちかける身近な存在でもある。また篠崎自身も、入居者の一人である。58歳のときに、一般社団法人コミュニティネットワーク協会の一員として、ゆいま~る那須の開発検討にかかわり始めた。
<パート1>では、開発の初期段階から、開設するあたりまでを語った。
<パート2>では、スタッフ兼入居者の立場から、「ゆいま~る那須」の“今”と“将来”を語る。
対等な立場で“食”を提供し、自分らしく暮らす
ゆいま~る那須
篠崎美砂子(65歳、食堂責任者であり、同時に入居者でもある)の場合
(入居:2010年11月)
Q:スタッフとして立ち上げに関わったハウスに自ら入居したいと思ったのは?
篠崎:
「ゆいま~る那須」の立ち上げに関わったのは58歳のときでした。自分の老後を考え始める頃でしたが、立ち上げに関わる中で私自身がこの那須という場所に癒しを感じました。横浜に長年住んでいましたが、入居条件を満たす60歳になったのを機に入居を決めました。時期をずらして、母と弟、別居していた夫まで入居しました。ただし同居ではなく、A棟の3部屋に別々の契約です。パートナー(夫)は脳出血を起して半身の自由がきかないのですが、ここではほかの入居者の方々が、たとえば配膳などを手伝ってくれます。
それまでに、「ゆいま~る」とは別の二つの高齢者住宅に関わったことがありました。そうしたところでは、どうしてもサービスする側とされる側に分かれてしまいます。もし私がスタッフとして働き続けながらここに入居したら、自分の考えがどう変わるか試してみたくなりました。
実際に入居して、やはり入居者の視点から運営を考えられるようになったと思います。2013年まで初代のハウス長を務めました。その後は食堂の責任者として今に至ります。ゆいま~る那須は木造建築です。やはり木造は暖かいです。何より木の家の中にいると身体が楽で気持ちいい。四季の移ろいを感じ自然と共生している暮しのおかげで、都会に住んでいた頃より、健康になりました。
Q:ここは、普通の老人ホームとは違いますね?
篠崎:
普通ではありませんね。普通は、入居者はもっぱらサービスを受ける側です。でもここでは、私だけでなく多くの入居者が、それぞれのできる範囲で自分の役割を持っていますし、仕事しています。たとえば今日の食堂の昼食に出す蕎麦を打つ人、そしてそれに添える天麩羅を揚げる人も入居者です。送迎車も、入居者が運転しています。またボランティアで、森林ノ牧場の牛のえさやりやグリーン部会での庭の整備、食事の片付けなども入居者が担っています。
また、「ま~る券」というハウス内通貨が流通しています。入居者同士でして欲しいことと出来ることを出してもらい、ま~る券を介してサービスをしたり受けたりする仕組みです。食堂では食券として使えます。たとえば元理容師さんによるヘアカットや家具の組み立て、掃除などを頼む場合にも使え、どのま~る券を何枚渡すかは原則的にサービスする側と受ける側の相対で決めます。ちなみに「ま~る券」は和紙でできているのですが、これまたプロの紙すき技術を持った入居者がつくったものです。
元気に生活するには、社会的につながっている、そして人のために役立っているという実感が必要です。この2点は重要です。
Q:ゆいま~る那須の現時点での課題は何でしょう?
篠崎:
構想段階でも想定はしていましたが、やはり交通の便が悪いことをネックに思われる方がいます。構想の段階では、「不便さを楽しもう!」なんて言っていました。ハウスでも一日4便送迎車を出していますが、やはり自分で自動車を運転して出かけることができないと、自由の幅が狭まります。タクシー会社に相談してみたり、バスを借りるとどのくらいの経費がかかるかなどを検討し、町にも働きかけているのですが・・・。
もう一つは、入居者の高齢化に伴う問題です。現在、最高齢者は91歳。介護保険を使ったサービスを受けている方は7人です。当然ながら時とともに高齢化が進みます。それぞれが自立した生活を送りながらも、もっと“すき間を見守る”ための仕組みを作る必要があるだろうと思います。ここでは介護保険サービスをつなげて在宅介護を実現することになると思うのですが、介護保険サービスのすき間に注意する必要があります。現在でも、入居者がほかの方を見守って、必要であればアシストする例はたくさんあります。最高齢の方が買い物や病院に行く際に同行したり、物忘れの多い方にはメモをとるように助言したり、身体が不自由な人が食堂を利用する際に配膳/下膳を助けたりしています。見守る側の役割を果たしたいと考えている入居者はいらっしゃる。でも、なかなかよい方法は見つからないのですが・・・。
さらにこの先、介護が必要な方が増えてきます。今後、完成期医療福祉部会でも検討していくことになると思います。ただ個人的に思うのは、この食堂を認知症カフェも兼ねる形、サロンのような形にして、もっと地域の人たちと入居者が触れ合える場にできたらいいなと思っています。地域の人たちがもっと出入りする場になれば、ここのコミュニケーションがより多様化して、入居者はもっと気楽に生活できるようになると思います。毎週土曜に食堂を居酒屋にしているのですが、地域の人がかなり来ていただけるようになりました。こういう動きをもっと進めたいと思っています。そして、地域の方と入居者がグループになって、介護サービスを提供することができるとよいなぁとも思っています。
Q:「篠崎さんの作る料理は素材が一番生きる野菜の切り方、火の通し加減。特別な食ではなく、お家のごはんとして毎日食べても飽きません」とスタッフの間でも評判です。最後に、食にこだわり、自立と向かい合ってきた個人として、現在の心境を教えてください。
篠崎:
24歳で結婚しました。でも結婚すると、風邪を引いたときでもご飯をつくらないといけない。夫と子供の部屋があっても自分の部屋はない。とても不自由に感じました。自由になりたい、自立するためにはお金が必要で働かなくてはいけないと思いました。
そして日本で初めて設立されたワーカーズ・コレクティブ「人人」(にんじん)に関わったのは1982年です。生活クラブ生協神奈川の小売店舗(デポー)で飲食店をやったり仕出事業を行いました。地域の一人暮しの方々に自分で配食したいとずっと思っていたので、1989年に大田区で配食サービス「さざんかの会」を立ち上げ、20年ほど続けました。でもお弁当の配食サービスだけでは高齢者が一人で暮らしていくのは難しい。地域に拠点が必要だと感じ、現在の活動に至ります。
そしてこれまでにお話したように「ゆいま~る那須」に入居しながら2013年まで初代ハウス長を務め、そのあと、食堂の責任者として今に至ります。食堂責任者となったのは63歳でした。このとき、実は自分の年齢を実感して、今後はもっともっと自分らしく自由に生きたいと思いました。そうすると、“対等ではない関係”は嫌だと感じました。ハウス長という立場は、権限も責任も伴う。自分には荷が重いと感じました。食堂責任者になってからは、(自分のことはどうでもよくて)自由になったぶん人のために動けるようになった気がします。困っている人を見ると手を出さずにいられない。そして美味しいという声が単純に嬉しいです。食は和やかに楽しく食べることが大切です。私は食を提供する立場ですが、そこには入居者と自分の対等な関係があります。
このように、スタッフ兼入居者という意識が63歳を境に変わりました。管理費も支払う入居者の一人として、サービスするのではなく、どうしたら自分たちの自立を支えられるのかという視点になりました。入居者としての見守り、隣人として隣の人が困っていたら手を貸す、助けたり助けられたりするお互いさまの関係へ移行している感じです。ゆいま~る那須を私がつくる、暮らしやすさを自分自身の問題として主体的に考えるという意識になってきました。
ここの食堂はオープン・キッチンです。食堂は、家庭の食卓のイメージです。“お母さんが横でご飯をつくっている”感じで、入居者の方々が気軽に食堂に来て話をして帰るというイメージです。そこに私自身が立ち、対等な関係でみなさんと接し、自分らしく日々暮らしていると感じています。