大病した身で 一軒家の維持は大変でした
ゆいま〜る聖ヶ丘
阿具根和毅さん(67歳)の場合
(入居:2012年2月)
阿具根さんはご両親と住んでいた一軒家からお二人を見送った後に入居されました。大病を経験し、ひとり身の先々を考えての決断だったとか。年に数ヶ月海外で暮らす、そんなライフスタイルをお持ちの阿具根さんに多摩でのニューライフについてうかがいました。
Q:入居の理由からうかがえますか?
阿具根:私は3年前に食道がんを患ったんです。それまでは元気で、1年の3分の2を海外で過ごしていたのですが、滞在先でちょっとお腹に違和感を感じて、日本に帰った時に病院に行ったら、食道がんだと言われました。すぐに手術をして、食道を取ってしまいました。胃をぐっともちあげて切り取った食道の残りと繋ぐのですが、状態としては胃がなくなったのとほぼ同じ。腸が伸びたみたいで、術後、けっこうダメージがあるんですよね。
私はひとりものなので、病状を案じた兄夫婦が、「元気になるまでうちにいらっしゃい」と言ってくれたんですが、お世話になるのは気が引ける。今さら行っても何か居にくいような気がしたんです。
それで杉並にある自宅に戻ったのですが、やっぱり体がきつい。なにか食べ物をちょっと買いに行くにも、以前だったら駅前の商店街に10分弱も歩けばいけたのですが、退院直後はそこまで行けない。数分のところにちょっとした店があるのですが、そこがやっとなんです。時間が経つとだんだん良くなるけれど、もし今度また具合が悪くなったら、これはかなり不安だなと思っていた時に、兄嫁が、「ゆいま〜る」のことを知り合いから聞いてきて、自分も知りたいから一緒に行こうと誘ってくれたんです。それで銀座で開かれた説明会に行ったんです。
ただ、正直言って、あまり入居したいという気はなかったですね。いわゆる「老人ホーム」を想像して、私には早いんじゃないかと思いました。たんだん話を聞いていると、そうじゃないということがわかってくるんですが、それでも入居希望という顔をしながら(笑)、普通のマンションもあちこち探していました。
Q:戸建てからマンションへの住み替えをお考えだったのですか?
阿具根:私は両親と一軒家に住んでいたのですが、お袋が亡くなり、数年後に親父も逝って、私ひとりには大きくて古い、雨戸を開け閉めすること1つ大変な家を維持するのがきつくになってきたんです。
それまで一度もマンションに住んだことがなかったので、今度はカギ1つで外出できるマンションに住みたいと思っていました。
私は高層の建物がきらいなので、4〜5階建ての落ち着いたマンションを探していて、杉並の閑静な住宅地にそういう物件はあったんですが、今ひとつ何かグズグズしているうちに売れてしまう。当たり前ですよね、いい物件は皆さんほしいのだから。そうこうしている時に兄嫁からここの話があったんです。
Q:説明会に参加された印象はどうだったですか?
阿具根:意外だったのは、参加されていた方が皆さん元気なんですよね。あれっ? と思ってね。介護が必要な老人施設ではなく、見守りのあるマンションだと思ったらどうかと、発想が変わったんです。今みたいに自炊して、自由に動いて、なんでも自分でやろうと思えばやれるし、具合が悪くなったらいろいろやってもらえる。それも1つだなと思ったんです。だけど、だからといってすぐに決める、ということもなかなかできなかったんですけれどね。
Q:迷われた一番の原因は何でしょうか?
阿具根:やっぱり資産の部分ですね。ある意味アパートのようなものですから、資産価値はないでしょう。だけど考えてみたら、僕は自分の財産を譲ってあげなければならない人もいないんですよね。兄の子どもたち、甥っ子はいますが、兄嫁も「私たちのことはいいから、自分のことだけ考えなさいよ」と言ってくれたので、だったら、この選択もありなのかと思えるようになったんです。
Q:入居を決心された決め手は何ですか?
阿具根:やっぱり体のことですね。また病気をしたらどうなるのかな? というのが一番不安でした。
それと本音を言えば、大病したからもう頑張らなくてもいいかな、少し楽をしたいな、だけど人に迷惑はかけたくないし、かけられない。それですね。普通のマンションに移って、病気になったらまた何処かの施設を探すなんて、考えるのがしんどくなってしまったんですよね。引越しのことを考えるとぞっとしますし(笑)。
Q:入居時のご苦労はありますか?
阿具根:ここに来た他の人とも話をするのですが、皆さん、引越しではえらい目にあっています。元の家に比べたら狭いですから、家財を始末しなければならない。だから正直な話、私はまだ杉並の家に荷持がほとんど残っているんです。ここは収納が大きいのでかなり持ってこられるけれど、部屋ががらんとした感じが好きだからあまり持ち込みたくない。ただ、元の家もそのままにしておくわけにはいかない。私がいなくなったら、結局甥っ子なりが整理するわけでしょう。それは大変だし、全部捨てるでしょう、お宝なんて大したものないんだから(笑)。ただ思い入れだけで残したりすると、あとの人は苦労してしまう。本当の話、それは迷惑ですよね。だからいずれ家と荷物の処分をしなければならない。そういう大きな仕事はまだ残っています。
Q:実際に「ゆいま〜る聖ヶ丘」に住んでみて、いかがですか?
阿具根:いいですよ。皆さん、いいと言っています。まず、場所がいい。環境がいい。隣が公園なのでちょっと出れば緑がいっぱい。
毎朝6時に起きて、近くでやっているラジオ体操に出て、そのまま公園を30分ぐらい散歩します。だいたい6000歩ぐらいかな。これがベースになっているんです。そのほか週に2回、公園で太極拳を教えてくれる集まりがあってそこにも参加しています。地元の太極拳に詳しい人が教えてくれるのですが、それが1時間。まだ始めたばかりで難しいんですが、楽しいですよ。
Q:体操のあとは1日どのように過ごされているのですか?
阿具根:体操から帰ったら、毎朝決め事で続けているのは掃除機をかけること。毎日かけなくても本当はいいんですが、1日やらないと1ヶ月やらないことになってしまうのでやります。
そして野菜中心の朝食を作って食べ、ひと休みしたらジャズギターの練習をします。ヘタなのですが、好きで続けています。
あとは午前中本を読んだりしているとすぐに昼になってしまうんですよね。昼食は下(「ゆいま〜る」の食堂)に行ってとり、午後は週に1回ビリヤードを習いに行っています。習いに行くのはきちんと基礎を教えてもらうためですが、あとは近くのビリヤード場で練習したりもします。
その他の日は片道30分ぐらい歩いて大きな町に買い物に行き、帰りにちょっと一杯楽しんだり。食道を取ってしまってから、量は飲めなくなったので、チューハイを2杯ぐらいでもう十分。夜はこのところ毎晩(有料衛星放送の)WOWOWなどで映画を1本みるようにしています。これは当たりもハズレもありますね(笑)。
Q:悠々自適の生活ですね。お仕事は何をされていたのですか?
阿具根:外資系の石油会社に勤務していましたが、合併などがあって私は50代で早期退職したんです。ちょうどその時期におふくろが病気になって入院していて、親父が一生懸命看病していた。これはいかんと私も手伝うようになったんです。親父は、「お前、働かなくてもいいのか?」と心配しましたが、「いいんだ、大丈夫」と、それで私も家にいるようになったんです。
おふくろが逝って、親父も年寄りだから一緒にいてあげなければならない。ですから7年ぐらいは一切外泊もしたことがない。どこへも行かなかったんです。8年ほど前にその親父も亡くなって、今は自由なので以前から好きだったタイの観光地のパタヤに長期滞在するなど羽を伸ばしています。
1年に数ヶ月はパタヤでホテル暮らし。夜はバーでお酒を飲むのですが、病気をしてからは少ししか飲めない。残念に思っていた時に、バーにあるビリヤード台に目が止まったんです。最初はぜんぜんできないので、他のお客さんや店の人が寄ってきて大笑い。これはつまらない。上手にならないとと思って今練習中なんです。
Q:最後に、「ゆいま〜る」への注文などがあったら教えて下さい。
阿具根:住み替えはそんなわけでとても良かったのですが、気になるのは、本当に体の調子が悪くなった時にうまくやってもらえるのかどうか、それですよね。
皆さんお元気だから、まだここでのそういう経験がありません。もしも病気になったり倒れたら、実際どういうフォローがあるのかわからない。先々うまくいくのだろうかとそんな不安がありますが、そのうちいろいろな事例が出てきてこなれていくと思います。
あの人はこうだったな、この人はこんなふうにしてもらったな、と。それを見て、自分もだんだん安心していくのだと思うんですよ。
そうやって漠然とある不安も、現実のことがいろいろ出てくると消えていく。まあ、大丈夫だよって話になると思います。
がんは5年が卒業(回復)の目安。だからあと2年。散歩をしたり、食生活に気をつけて、やがて70歳を迎える、そこが1つの節目かなと思っています。70歳から何ができるのかなと思ってね。
でも、人間って変わらないですよね。若い時は50歳の自分が想像できなかった。何をしているんだろうって。でも、50歳過ぎても、アホさを含めてやっていることが変わっていない(笑)。ずっと同じことをやっているんです。たぶん70歳になっても同じだろうなあって。それもまた面白いんですけれど。
編集部:新しい年を迎えて、日本が雪景色になりそうなころ、阿具根さんはまた旅の人かもしれません。「ゆいま〜る」のこの先に、どんなドラマが待っているのか。それも事例の1つ。だんだんこなれていくんじゃないかな、というお話がとても印象的でした。