周囲の人たちに見守られながら”母ちゃん”と暮らす
週に2日、「ゆいま〜る那須」の食堂では、お昼になると小泉實さんの手打ち蕎麦が食べられます。實さんと浩子さんは長年お蕎麦屋さんをなさっていました。しかし平成21年、浩子さんが脳梗塞で倒れ、介護が必要になります。實さんは「施設に入れたらかわいそうだ」と介護を一手に引き受け、店もなんとか切り盛りを。ですが、それもついに限界が来て、店をたたみ、ご夫婦で入居されました。
ゆいま〜る那須
小泉實さん(77歳)浩子さん(68歳)の場合
(入居:2011年11月)
Q:小泉さんのお蕎麦は人気です。お店はいつ始めたのですか?
實 俺が17歳の時だったか、うちのおふくろの妹が東京でお蕎麦屋さんをやっていて、そこに遊びに行ったら、「出前をちょっと手伝ってくれ」と言われて、そのままお蕎麦屋になってしまったの。
俺のおやじさんは富山県で旅館をやっていたんだ。大名行列が通るたびに大名が泊まった宿屋なので、俺の名前は「御旅屋」(おたびや)。結婚して、婿に入ったから、苗字が変わったけれど、もともとは「御旅屋」という珍しい名前だったんだよ。
俺は10年間東京で働いて、群馬で蕎麦屋を始めたんだ。うちの母ちゃん(浩子さん)は、店のそばにあったかなりでかい会社で事務員をやっていたんだ。そこが女家族だったんで、それで俺が嫁に行ったわけ、ん? 婿か(笑)。
結婚してからは母ちゃんと店をやったんだけれど、繁盛しちゃった。忙しくて、忙しくて、出前するつもりだったけれど、出前なんかするひまがない。お母ちゃんと、他にパートさんも雇って、みんなでよく働いたよ。ところがそのお母ちゃんが倒れちゃって…。
Q:浩子さんが倒れたのはいつのことですか?
浩子 平成21年の4月。脳梗塞でした。
實 バーンと倒れたなら多少でも早く処置ができたんだろうけれど、そういうんじゃなかった。
前の日の夜9時に母ちゃんが俺にどんどん焼きをつくってくれた。母ちゃんもいっしょに食べたわけ。そうしたら1時間もしないうちに、えらいあげた(吐いた)。
翌日、病院に連れて行ったら、院長先生が「なんでもない」って言うわけ。「大丈夫だ」って。
それで連れ帰って、仕事をやらせたら、午後2時ごろかな、天ぷらを揚げるんだけれど、それが箸でもてねえんだ。これはおかしいなと思って、母ちゃん、自分で病院に電話したら、その日が土曜日。「土日は先生がいないから月曜日に来い」って言われた。
仕方ない。3時休みになって、みんなでご飯を食べている時に、刺身を一口くちに入れたらもう全然ダメ。母ちゃん、どうしても食べられない。おかしいと思って、すぐに寝かしつけて救急車を呼んだんだ。ところがその日に限って、救急車が出払っていて一台もない。救急車が来た時には、もう「あ」も言えないし、手も足も動かない。救急の先生が診てくれたんだけれど、もう危篤状態だって。
それから1週間、俺がずっとつきそった。どうにかなると思ったけれど、手足に麻痺が残って、話すのもちゃんとできない…。
Q:それからずっと実さんが介護されたのですか?
實 病院から退院する時は、それでも手を持ってやると歩けたんだ。ところが、退院してすぐにちょっと母ちゃん、頭の中がおかしくなっちゃってね。自分でもうどうにもならなくなっちゃったんだって。
夜中にベッドから降りて、這って行って戸を開けて、道路に出たがってしまったの。自動車にぶつかりたくなったんじゃないかな。これは大変だっていうわけで、せがれを呼んで一緒に止めたけれど、朝方まで母ちゃん、何十回とそれを繰り返すわけ。最後はバーンと倒れて、顔を打ってお岩さんみたいになったんだ。
俺はケアマネジャーさんを呼んだんだ。そうしたらケアマネジャーさんが、「状態がひどいからお医者さんに言って、すぐに薬をもらいましょう」って。それで精神安定剤を飲ませちゃったんだ。あれが悪かったと思う。1ヶ月間くらい飲ませたら、ぜんぜん歩けなくなってしまった。動くこともできなくなったんだ。
こんな状態だったら大変だから母ちゃんを施設に入れようという話が出たんだけれど、施設に入れるのはかわいそうで…。俺が看るから、だから施設には入れないでくれっていうわけさ。
それでずっと看ている。夜は母ちゃんのベッドの下に布団を敷いて寝るんだ。俺の手にひもを巻いてね。そのひもを母ちゃんが夜中に引っ張るでしょ、そうしたら俺は起きて、これ(ポータブルトイレ)で用を足させて、すぐに捨てる。そうやってもう4年間だ。
3度のご飯も作って、3度とも食べさせて介助している。
だけど、俺も耳が悪くなって、病気になっちゃったの。ふたりとも身体障害者になっちゃって、もうどうしようもないんですわ。
浩子 だから1年ぐらい、入院していたんです。
實 店もパートの人とふたりでやっていたんだけれど、もう続けられない。俺もくたびれちゃった。自分も病院に通わなければならないから、どうしようってなったとき、ここを紹介されて来たんだ。それが入居のきっかけだね。
Q:入居されて、介護は楽になりましたか?
實 ぜんぜんダメ(笑)。同じです。結局はいつもそばについていないとダメだから。自分で車椅子を使ってトイレに行くなんてできないから、ぜんぶ俺がやらなくてはいけない。
それでも、ここに来て、住んでいる人が声をかけてくれたりして、それはありがたいよ。
それはいいんだけれど、母ちゃんは幼馴染とか古い友だちにも会いたがる。高校の時の同級生たちに会いたいと言うから、大変だったけれど連絡して、ここに来てもらったんだ。11人来てくれた。その人たちと母ちゃん、けっこう話ができて、いい感じだったなあ。そう、俺、「ゆいま〜る那須」のこともずいぶん宣伝したしさ(笑)。
Q:浩子さんは今、隣接のデイサービスに通っているんですね。
浩子 送り迎えがあるからね。
實 そこのデイは利用者がまだ少ない。スタッフの方が多いくらい。そんなだから他人様って感じがしない。みんな「オッス!」みたいな感じで、そこがいいねえ。
浩子 でも、リハビリの機械がない…。
實 母ちゃんはまだ若いから、治りたいんだ。リハビリがしたいのさ。「別のデイに行っても同じだよ」って言っているんだけど。何がなんでも、頭の手術をしてもいいから治りたいって。
だから、脳外科の世界的に有名な先生のところにも予約して行ったよ。診せたけど、ダメだって。母ちゃんはまだ歩くようになるって思っている。だから、まあ、俺は大変なんだけどね。
Q:この写真(上)は、お店の時の写真ですね。
實 それは母ちゃんが倒れる前の写真だ。母ちゃん、倒れる前、こういう「ゆいま〜る」みたいなところがいいって、言っていたんだよ。伊豆の「友だち村」なんかも見学に行っているんですよ。だから、ここもよかったよな。
浩子 うん。
實 ここに来る時、家を売ってきたんだけれど、忙しかったから、なんにも持たないで来ちゃったんですよ。不動産屋さんが、「あとはこっちで処分するから」って。「じゃあ」っていうんで仏壇だけ持ってきて、入れ歯は忘れてきちゃった(笑)。
仏壇だけは離せないよなあ。やっぱし嫁(婿)になった以上は大切にしないと。なあ?
浩子(泣き笑い)うん。
編集部 ゆいま〜る那須のある日のこと。入居者が集い、一緒にランチをする時に実さんと浩子さんもいらして、實さんがおかずを浩子さんに取ってあげて、細かいところにも気を配ってケアされているところに遭遇(?)しました。そのおふたりを、また周囲の方々もごく自然に見守り、できるところはお手伝いされていて、何かがとてもスムーズに運んでいることに小さな安心を見た思いでした。