端午の節句
端午の節句
花菜では5月2日に端午の節句をお祝いする事にしました。
まずは端午の節句にまつわることを
画像や動画を見て頂きながら、お話をさせていただきました。
端午の節句とは?
端午の節句の「端」は、はじめという意味で、昔は5月に限らず月の初めの午(うま)の日を「端午」と呼んでいました。
起源は古代中国で、旧暦の5月は物忌みの月とされていた中、5が重なる5月5日は「重五」と呼ばれ、邪気を祓う行事が行われていました。この風習が日本に伝わり、現在の端午の節句の起源になったとされています。
日本では女性の節句だった
日本ではもともと5月5日は女性の節句で、田植えを始めるこの時期に五穀豊穣を祈り、田植えをする女性=早乙女(さおとめ)が巫女となって菖蒲やよもぎで屋根を葺いた小屋で身を清めたのです。
この風習が中国から伝わった風習と結びつき、菖蒲湯に入るという習わしが生まれたと考えられています。
江戸時代に男の子の祭りに
現在のように端午の節句が男の子のお祭りになったのは江戸時代です。
菖蒲は勝負や尚武(武事を尊ぶ)に通じることから勇ましさの象徴となり、鯉のぼりを掲げて武者人形を飾るなど、男の子の祭りとして定着していきました。
端午の節句の様々な風習
①菖蒲
菖蒲は薬草にも使われ、邪気を祓い魔除け効果があるとされていました。端午の節句には菖蒲湯に入るほか、枕の下に敷いて眠ったり、軒先に飾る、菖蒲酒を 飲むという地域もあります。
※菖蒲(しょうぶ)を徳利や銚子に入れて酒にひたす
また、菖蒲を束ねて地面を叩き、その音の大きさを競う「菖蒲打ち」という遊びもあります。
②鯉のぼり
鯉が滝を登って龍になるという中国の故事「登竜門」にあやかり、日本でも鯉は立身出世の象徴となりました。
そこで男の子の祭りである端午の節句には鯉のぼりを掲げ、健やかな成長を願いました。
③五月人形
端午の節句には鯉のぼりに加え、武者人形を飾る風習もあります。鎧兜や金太郎の人形を飾ることで、男の子が無事にたくましく育っていくことを祈りました。
ちなみにひな祭りと同様に節句が過ぎたら五月人形も直ぐにしまった方がよいとされてます。
④かしわもちとちまき
端午の節句では関東ではかしわもちを、関西ではちまきを食べるという風習が広く伝わっています。これは中国戦国時代に楚の国の屈原(くつげん)という人物が5月5日に川で自殺したことが起源になっています。
悲しんだ人々は命日に竹筒に米を入れて投げ入れますが、屈原の霊が現れ「こめは龍に食べられてしまうので、龍が嫌う栴檀(せんだん)の葉で包んで糸で結んでほしい」と言いました。このことから端午の節句にかしわもちやちまきを食べる風習が広まっていきました。
⑤薬玉
薬玉(くすだま)とは、邪気払いのためにもぐさや鹿の角などの薬種と沈香などの香料を入れ玉状にしたものです。五色の糸を垂らし、周りを花で飾って部屋にかけるという風習が残っています。
端午の節句の有名なお祭り
端午の節句の前後には、全国各地で様々なイベントが開催されています。
その中でも特に有名なものをご紹介します。
- 館林こいのぼりの里まつり
群馬県館林市で開催され、5,000匹を超える鯉のぼりが飾られる。2005年にはその数がギネス世界記録に認定された人気のあるイベントです。
(3月下旬から5月初旬に開催)
②加須(かぞ)市民平和祭
埼玉県加須市で開催され、全長100メートル、
目玉と口の大きさ10メートル、重さ約330Kgの日本一大きな鯉のぼりを見ることができます。
(5月3日開催)
※動画は以下から見る事が出来ます。
- 浅野川・鯉流し
石川県金沢市で行われ、空を泳ぐ鯉のぼりではなく、川を泳ぐ鯉のぼりを見ることができます。
(5月3日開催)
以上をお話した後に、新聞紙を使って鯉のぼりを作成しました。
作った鯉のぼりを飛ばしました、誰の鯉のぼりが一番飛ぶか?勝負です!
みごとに鯉のぼりは飛んでいきました!
鯉のぼりを作って飛ばして、楽しんだあとは、皆で歌を歌いました。
「こいのぼり」の歌は
屋根より高い~🎵ではじまる歌と、甍の波と雲の波~♪ではじまる歌の
二種類を歌いました。
皆さん元気よく歌えました~!
お祝いの最後におやつを食べました。
最中とお茶をいただきました。
ゲームはスケジュールの都合上出来なかったので
また来年に持ち越しとしました。
また来年も皆でお祝しましょう!楽しみにしておいて下さい!