居住者の皆さんに好評です!!

毎週月曜日は京王移動販売の日。

食品や日用雑貨など、「ゆいま~る中沢」にいながらにして購入できるので、大人気です。

「どうしても、このメーカーのこの商品がいい!!」「来週、これがほしい」という居住者のリクエストにもこたえてくれます。

ただ、これまでは地べたに並べた商品を選ぶスタイルで、かがむのが大変でしたが、このたび購入しやすいように台を購入。皆さんに喜ばれています。

台の上に商品が並び、見やすくなりました
週に一度のお買い物は皆さんの楽しみの一つです

喜ばれていると言えば、「ゆいま~る中沢」目の前のバス停にベンチを置いたこと。ベンチの組み立ては居住者の方が手伝ったくださいました。

さっそく「便利だわ~」という声があがっています。
多摩センター駅までバス5分なので、活用されている方が多いのです。

コロナに気を付けながらも、より便利に、お買い物しやすく、外出しやすくなったようで、スタッフ一同も喜んでいます。

節分 ・豆まき

 

今日は花菜の節分!

少し前から、節分のカード作りをしました。鬼の顔や柊の葉、豆などを各自で色画用紙に張り付けます。達筆の利用者さんに『節分、鬼は外福は内』と書いていただくと、カードがとても立派になりました。気に入った方にはご自宅に持って帰って頂き、花菜の壁にも貼りました。もう、あっという間に花菜の壁は、鬼だらけです。

 

いよいよ鬼の登場です。

皆さんの反応は?

「キャー、鬼―」の期待を裏切り「あはは・・」と、大笑いでした。

節分の由来を聞いては感心されたり、〇×クイズでは、〇✕カードを片手に積極的に参加されました。こっそりと答えを聞いてから、カードを変えてしまう方もいらしゃいました。

答えに一喜一憂されます。

次のお楽しみは、「シュークリームの鬼作り」です。

シュークリームに、生クリームを絞って乗せ、髪に見立てます。

その上に、アポロチョコをチョンチョン!と乗せて鬼の角の完成です。

可愛い!最後にチョコペンで顔を書きました。それぞれの個性が光ります。

あまりにも美味しそうなので、作成途中でパクリと齧る方も・・・

全員の物が出来上がるとおやつタイム。ボリュームがありましたが「美味しー」と、完食されました。

最後のメインイベント、豆まきの開始です。豆が鬼になかなか届かす、なんと鬼が、一人一人の所まで行って当ててもらっています。

「鬼は~外!福は~内!」鬼はお行儀よく玄関から逃げ出しました。

花菜の一年、幸せが訪れますように・・・

 

居住者に聞く戦争体験【14歳で海軍へ。たまたま助かった命】

グループハウス中沢にお住いの村井英郎さんは御年94歳。
若いころの戦争体験について、貴重なお話を聞かせていただきました。
「ゆいま~る」の居住者の中には、過酷な戦争体験をお持ちの方がいらっしゃるということをあたらめて知る機会となりました。
居住者インタビュー「特別編」としてご紹介いたします。

散歩を楽しむ村井さん

 

14歳で海軍に志願

村井さんは、昭和16年、高等小学校を卒業して14歳で海軍に志願し、入隊したそうです。志願した理由は、「当時の若者にとってあこがれだったから」。
「電信柱に軍隊募集のポスターが貼ってあったんですよ。かっこいいなと思ってね。親には内緒だったから、合格通知が来たとき、母親は寂しそうな顔をしていましたよ。当時は嫌だと言えないからね。送り出すしかなかったんでしょう」

志願と言っても14歳だったので、航空兵か通信兵にしか志願できず、通信兵として横須賀海兵団(神奈川県)へ入団。「何も知らずに入ってしまった」村井さんはその厳しさに早くも後悔し、1週間後に面会に来てくれたお兄さんを前に、涙があふれて仕方なかったそうです。

2カ月の訓練を経て、久里浜海軍通信学校(神奈川県)でさらに9カ月教育を受けた村井さん。モールス信号を覚え、1分間に120字くらい書けるようになったそうです。
通信学校にいたころ、村井さんたちはある日「東京見物」に出かけるように指示がありました。その日は昭和16年12月8日。真珠湾攻撃の日でした。村井さんたちはもちろん一切聞かされていませんでした。偶然なのか、機密のためだったのか、今となってはわかりません。

9カ月後、無事に卒業したものの、成績があまり良くなかった村井さんは、軍艦に乗ることができませんでした。しかし、軍艦に乗った人たちは皆、米軍の攻撃で撃沈、亡くなってしまったそうです。
「成績が良くないことは自慢になりませんが、今となってはよかった!」

 つらかった軍事訓練

村井さんは陸上勤務となり、航空隊に転属を命じられ、木更津基地(千葉県)に配属。木更津では、米軍の空襲にあったこともありました。
その後、村井さんたちの部隊は千歳基地(北海道)に移動しますが、軍隊の訓練はつらいものでした。

「ずいぶん暴力を受けました。殴られるんですよ。手では殴らない。鉄のパイプでね、尻を叩くんです。毎晩、毎晩。痛いですよ。一番痛いのは、5回目くらいなんです。10回目くらいになると麻痺しちゃって、あまり痛く感じない。私が勘定した中で1番多かったのは21回でした」
「理由なんかないんですよ。古い兵隊が難癖をつけて、一人ずつ出て来いと言って。夕方寝る前に『集合!』と言われてね」
80年近く前の記憶でも、はっきり覚えている村井さん。「5回」「21回」というリアルな数字がすらすらと出てきます。忘れようにも忘れられない当時のつらさが伝わってきます。

 命の儚さと重さを…

その後、ラバウルを皮切りに、サイパン、ペリリュー島、フィリピンのセブ島と、激戦地と言われる南方への移動が続いたと言います。幼い村井さんは、通信学校で無線通信の教育を受けたものの、実際は電報を運び届けるという仕事だけ。もちろん、中身も知らされていません。昭和18年くらいの頃は、まだ日本が強く、「アメリカの戦闘機が撃墜されるところをずいぶんと見た」そうです。

ラバウルからサイパンに移動するとき、忘れられない別れを経験します。
「今はコロナが流行っているけれど、当時はマラリアが流行っていてね。私と同年のOが罹ってしまって。最初はOが先に出発する船に乗り、私は後から出発の船に乗ることになっていた。Oがマラリアになって、42度を超える熱が出て、船に乗れなくなった。それで、私に『先の船に乗ってくれ』と船の順番を交換したんですよ」
先の船に乗った村井さんは無事にサイパンにつきますが、後の船はアメリカの潜水艦に攻撃されて皆亡くなってしまったと言います。
「あのとき、マラリアが流行っていなければ、私は後の船に乗って亡くなっていた。Oとは同い年でずっといっしょだった。Oは長野県出身で、顔もよく覚えていて思い出しますけどね。本当は親御さんに話してあげたかった」
こうした偶然が重なって生きてきた村井さんを通して、命の儚さと重さを感じます。

サイパンからペリリュー島、さらにフィリピンのセブ島に移動することになった村井さん。7~8トンもある輸送船で、一般人を乗せた別の船も船団を組んでついてきていたそうです。
ところが、アメリカの潜水艦の魚雷攻撃を受け、船が傾いてしまいます。
「幸いなことに、なかなか沈まなくて、5、6時間経ったころに、救助船が来て助かりました。私はケガをしていなかったので救助船に乗れましたが、けがをしている人たちは乗らせてもらえなかった。私の足をつかんで『兵隊さん、助けてください』と言った女性がいましたが、助けられませんでした。自分で歩けない人は、船に乗せてくれない。たぶん、その女性は船と一緒に沈んでしまったのではないかと思います」

漂流することは本当に大変なことだそうで、「聞いた話ですが、必死に泳いでいるうちに疲れて、浮かんでいるものにつかまる。長く漂流していると、つかまっているのもしんどくなってきて、手を離せば沈んでしまうけれど、あまりにつらくて、生きている方が楽か、沈んだ方が楽かと思ってしまう、と」。
そこまで極限の選択を迫られるのだそうです。

船への攻撃はたまたま1回だけ、魚雷が当たったのは村井さんがいた反対側。「たまたま助かった」こうした経験はキリがないと村井さんは話してくれました。

「負け戦」と感じるように

セブ島についたのは昭和19年。
山の中の農家からトウモロコシなどの農作物を取って、飢えをしのいでいたそうです。「日本の兵隊が怖いのか、若い女性は一人も見ませんでした、皆怖くて隠れていたんです。一度、農家のおばあさんが、何も言わないで、私の顔をうらめしそうな顔をして見ていたことがあります」

19年も年末になるころには、村井さんも負け戦だと感じるようになったそうです 。
「アメリカ軍が上陸してくるときは、艦砲射撃がすごかった。戦車とか、私たちが知らないようなすごい武器を持ってきた。防空壕を作っていたけど、全部射撃で壊されてしまう。そこにいられなくて、後方に下がった」
しかも、アメリカ兵は戦いに力は入れておらず、雨が降る日は休んでいるし、日曜日もお休み、昼だけ攻撃に来て、夜はさっさと自分たちの陣地に戻ってしまっていたそうです。「無駄な攻撃はしてこない。日本の兵隊なんか相手にしていなかった」と痛感したと言います。

また、当時、聞いた話では、アメリカ軍の攻撃の先頭は黒人で、そのころから黒人差別があったと感じていたと話してくれました。

特攻の「命」を受ける

戦争も末期に入り、村井さんたちがいた航空隊でも特攻隊として飛び立つ若者たちがいたといいます。
「出発前は赤飯やぼた餅、ふだん食べられないものが食べられる。でも、全部食べずに、残っている人に食べてくれと言い残して、出撃していったと聞きました」と村井さん。行きたくなくても従うしかありません。

そして、ついに、村井さんにも「爆弾を抱えてアメリカの戦車にぶつかっていけ」という命令が出ます。
「5キロくらいの爆弾でした。まあ、5キロくらいですから、軽いんですよ。だけど、こう、背中に背負ったらね、ずいぶんと肩に食い込む感じがしてね。歩こうとするんですけど、足がすくんじゃってね。その時、死ぬというのがどんなにか嫌なことかと思いました…」
戦車が通る道路に穴を掘って隠れていて、戦車が来たら飛び出して行ってぶつかる、という命令でした。行けば帰ってこられません。

「ところが、直前になって、現在の状況を後方の本部に伝えるという命令が出て、私は背負った爆弾を下ろして報告に行って、危機一髪、逃れることができたのです」
言葉も出ない体験です。

戦争に負けて日本へ

8月15日は、フィリピンのセブ島で迎えましたが、まだ負けたのかどうかわからなかったそうです。アメリカの飛行機がビラを撒き、そこには、「日本は戦争に負けた、出て来い」と書かれていたと言います。
降伏した日本兵たちが1カ所に集められ、半年くらい待ってようやく日本の船が迎えに来ました。

「帰りの船に乗るところでは、フィリピン人が大勢来ていてね。悪いことした日本人を覚えている。埠頭に並ばされた日本兵たちを見て、フィリピン人が指をさしたり、名前を呼ばれたりすると、船に乗ることはできないんです。こっちにこいとアメリカ兵に引っ張っていかれて、戦争犯罪人になってね。そのあと、どうなったのか」
よくある名字の人は皆呼ばれてしまったそうです。村井さんは無事に帰国船に乗ることができ、ようやく日本に戻ることができました。

若い人たちへの思い

村井さんは、千葉県銚子市出身。まずは実家に行きますが、空襲で家が焼かれてしまい、親の出身地であった同県東金市に向かいます。その後、東京の姉のところへ行き、ようやく村井さんの戦後がスタートします。

75~76歳のころ、「孫たちに伝えたいと思って、『最下級兵の軍隊経験』という冊子を自分でパソコンを使って作りました」と村井さん。当時の南方の地図や、写真も入れた冊子です。

もともとは5人兄弟で、村井さんが志願して最初に入った横須賀海兵団に面会に来てくれた一番上のお兄さんは、沖縄で戦死、今は兄弟もおつれあいも亡くなりました。

縁あって、ゆいま~る中沢に入居され、現在はグループハウス中沢に住み替えられている村井さんは「戦争は絶対反対です」とおっしゃいます。

貴重な戦争体験を聞かせていただき、本当にありがとうございました。

お元気で暮らしを楽しんでいます

(2021年2月7日インタビュー)

 

鬼は~外~~~!福は~内~~~!

2月2日は節分でした。

コロナ禍で、ここ、ゆいま~る中沢の鬼さん👹たちは、今年は出没せず、

静かな節分になってしまいました。

でも、福を呼び寄せるべく、みんなで美味しい節分ランチを

福々した笑顔で、頂きました!

次はバレンタインの2月14日に、中華ランチが登場します!

なぜ、バレンタインに中華なのか!?疑問に思ったら確かめに来てください♪

 

有料ショートステイ、空室あります。

コロナ感染防止策を徹底しつつ、見学も随時受け付けております。

2021年3月見学会 ゆいま~る聖ヶ丘

【2021年3月見学会の対応について】
新型コロナウイルス感染拡大防止策に鑑み、見学者の皆さま、入居者の皆さまの健康・安全面を第一に考えまして、2月の見学会は個別での対応とさせていただきます。事前にご予約の上、お越しください。
詳しいことは、下記までお問い合わせください。
 【セミナー情報】
2月に続き、3月も中止になりました。
認知症カフェ<だんだん>
地域の皆様の集いの場、くつろぎの場となるように、色々なゲストを
お招きし、ミニ講演会の開催の他、意見交換、相談事など
「聴く」「動く」「話す」が魅力のカフェです。
介護をしている方、認知症に関心のある方、どなたでもご参加ください。
(毎月第3土曜日開催)
************************************************
■お申込み・お問合せ・資料請求
0120-639-655
多摩市聖ヶ丘2-22-4
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ゆいま~るカフェ「だんだん」のお知らせ~3月号~

毎月第3土曜日に、ゆいま~る聖ヶ丘にて、
認知症カフェ「だんだん」を開催しています。

地域の皆様の集いの場、くつろぎの場となるように、

毎回多方面のゲストをお招きしてのミニ講演会の他、

参加者同士での意見交換、相談事など

「聴く」「動く」「話す」が魅力のカフェになっております。

介護をしている方、認知症に関心のある方など、

どなたでもご参加いただけます。

また、聖ヶ丘スタッフの野中は「認知症ケア専門士」です。

ご相談などありましたら、お気軽にご相談ください。

過去の講演実績はこちら

****************************************************

<3月開催中止のお知らせ>

新型コロナウイルスの感染拡大防止策に鑑み

2月同様、3月の開催も中止とさせていただきます。

参加を楽しみにされていた皆さまにおかれましては、大変申し訳ございませんが、

何卒ご理解とご了承を賜りますようお願い申し上げます。

次回の開催が決まりましたらご連絡いたします。

◆日程:毎月第3土曜日

◆時間:午前10:30~12:00
◆会場:ゆいま~る聖ヶ丘 多目的室
◆参加費:200円

※開催日の3日前までに予約をお願いします。

 

2月15日から2月28日の献立です

緊急事態宣言が延長されました。
人と人との距離を空けることや
会話を控えることなどの日常は
もう暫く続きます。
長く続く自粛生活を時には不便に思い
寂しく感じることもあります。
それでも、心の距離は縮まり
より深く繋がっていると感じるようにもなりました。
話さなくても伝わること…。
心が繋がるということは
何よりも心強いことです!!

ゆいま~る食堂
2月15日から2月28日の献立です

画像をクリックして拡大↓

セミナーのご案内「老後の住み替えは自分で決める 活き活きシニアライフ」

「人生100年時代、できるだけ長く健康に穏やかに過ごしたいけれど、いつまで今の家での暮らしが続けられるんだろう……?」と、漠然と不安に思っている方は多いのではないでしょうか。

考えを進めるきっかけとして、高齢者住宅にくわしい専門家の話を聞いてみませんか?

2021年3月に、セミナー「老後の住み替えは自分で決める 活き活きシニアライフ」を、東京都豊島区で開催します。

高齢者住宅の専門家であり、多数の事例を見てきた弊社のベテラン入居相談員が、人生100年時代に自分らしく活き活きと暮らすための住まい方についてお話します。

「いつかは」と住み替えを考えているけれど、まだイメージがぼんやりとしている方、高齢者住宅について知りたい方など、どなたでも無料でご参加いただけます(要事前申込)。

感染症対策をしっかりと行い、広い会場で少人数で開催します。どうぞ安心してご参加ください。

セミナーへのお問合せ・お申し込みをお待ちしています。

※チラシはこちらからもダウンロードできます〈PDF〉

申込先

ゆいま~る花の木
フリーダイヤル:0120-972-583(電話受付時間は10:00~17:00です)

開催要項

セミナータイトル

「老後の住み替えは自分で決める 活き活きシニアライフ」

開催日時

2021年3月12日(金)13:30~15:00(受付は13:20から)

2021年3月30日(火)13:30~15:00(受付は13:20から)

※同じ内容です。ご都合のいい日時を選んでご参加ください。

会場

としま産業振興プラザ(IKE・Biz)
(〒171-0021 東京都豊島区西池袋2-37-4)
※交通案内・地図はこちら(外部サイト)

内容

程よい距離感で孤立しない、一人暮らしでも安心できる住まい 方とは?

フレイルも予防でき、最後まで自分らしく暮らせる、 人生100年時代の高齢者の住まい方とは?

生涯活躍のまちを 目指す埼玉県秩父市の事例を参考に、高齢者住宅の入居相談で多数の事例を見てきた、弊社のベテラン入居相談員がお話しします。

●人生100年時代の活き活きシニアライフの背景
●元気なうちに住み替えた活き活きライフの事例
●高齢者住宅の種類と選び方
●質疑応答
など

★公民連携事業を進めてきた秩父市役所や、秩父市花の木交流センターの活動で居住者の活き活きシニアライフをサポートする「ゆいま~る花の木」との、オンライン中継を予定しています。

参加費

無料

定員

2021年3月12日(金)10名(第2会議室)

2021年3月30日(火)15名(第3会議室)

※予約してご参加ください。

申込先

お申し込み・お問い合わせは、下記からお気軽にご連絡ください。

◆◆◆ 電話 ◆◆◆

ゆいま~る花の木
フリーダイヤル:0120-972-583(電話受付時間は10:00~17:00です)

 


「ゆいま~る花の木」ご相談・ご見学の問合せ/申込み先

ゆいま~る花の木 入居相談室
フリーダイヤル:0120-972-583(電話受付時間は10:00~17:00です)

■「ゆいま~る花の木」紹介ページはこちらです

※感染防止に配慮した個別の見学・相談を行っています

※オンライン相談・見学に対応しています

 

セミナーのご案内「老後の住み替えは自分で決める 活き活きシニアライフ」

「人生100年時代、できるだけ長く健康に穏やかに過ごしたいけれど、いつまで今の家での暮らしが続けられるんだろう……?」と、漠然と不安に思っている方は多いのではないでしょうか。

考えを進めるきっかけとして、高齢者住宅にくわしい専門家の話を聞いてみませんか?

2021年3月に、セミナー「老後の住み替えは自分で決める 活き活きシニアライフ」を、東京都豊島区で開催します。

高齢者住宅の専門家であり、多数の事例を見てきた弊社のベテラン入居相談員が、人生100年時代に自分らしく活き活きと暮らすための住まい方についてお話します。

「いつかは」と住み替えを考えているけれど、まだイメージがぼんやりとしている方、高齢者住宅について知りたい方など、どなたでも無料でご参加いただけます(要事前申込)。

感染症対策をしっかりと行い、広い会場で少人数で開催します。どうぞ安心してご参加ください。

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申込先

ゆいま~る花の木
フリーダイヤル:0120-972-583(電話受付時間は10:00~17:00です)

開催要項

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「老後の住み替えは自分で決める 活き活きシニアライフ」

開催日時

2021年3月12日(金)13:30~15:00(受付は13:20から)

2021年3月30日(火)13:30~15:00(受付は13:20から)

※同じ内容です。ご都合のいい日時を選んでご参加ください。

会場

としま産業振興プラザ(IKE・Biz)
(〒171-0021 東京都豊島区西池袋2-37-4)
※交通案内・地図はこちら(外部サイト)

内容

程よい距離感で孤立しない、一人暮らしでも安心できる住まい 方とは?

フレイルも予防でき、最後まで自分らしく暮らせる、 人生100年時代の高齢者の住まい方とは?

生涯活躍のまちを 目指す埼玉県秩父市の事例を参考に、高齢者住宅の入居相談で多数の事例を見てきた、弊社のベテラン入居相談員がお話しします。

●人生100年時代の活き活きシニアライフの背景
●元気なうちに住み替えた活き活きライフの事例
●高齢者住宅の種類と選び方
●質疑応答
など

★公民連携事業を進めてきた秩父市役所や、秩父市花の木交流センターの活動で居住者の活き活きシニアライフをサポートする「ゆいま~る花の木」との、オンライン中継を予定しています。

参加費

無料

定員

2021年3月12日(金)10名(第2会議室)

2021年3月30日(火)15名(第3会議室)

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