2月末、地域で活躍する二胡の演奏グループ「結弦(ゆづる)」によるミニコンサートが開催されました。
ジプリでお馴染みの天空の城ラピュタ「君にのせて」に始まり、「蘇州夜曲」「夜来香」など中国の伝統的な曲など哀愁を帯びた音色に皆さんうっとり聞き入っていました。
後半は「トロイカ」「母さんの歌」「早春賦」などの大合唱。お隣の介護施設「どんぐり」「かりん」の利用者さんも大勢参加いただき心温まる時間を過ごしました。
2月末、地域で活躍する二胡の演奏グループ「結弦(ゆづる)」によるミニコンサートが開催されました。
ジプリでお馴染みの天空の城ラピュタ「君にのせて」に始まり、「蘇州夜曲」「夜来香」など中国の伝統的な曲など哀愁を帯びた音色に皆さんうっとり聞き入っていました。
後半は「トロイカ」「母さんの歌」「早春賦」などの大合唱。お隣の介護施設「どんぐり」「かりん」の利用者さんも大勢参加いただき心温まる時間を過ごしました。
「ゆいま~る中沢」の3月24日のオープンまであと約2週間。オープン間近の現場を訪ねました。出来上がっている所、仕上げに入っている所磨き上げて引渡しを待っている所をご案内します。
2階の共有スペース「からきだの丘」窓には、落ち着いたベージュ色のカーテンがかかります。
ゆいま~る食堂もあと少しで完成。地域の方にも利用いただける開かれたレストランです。
駐車スペースからは、雨に濡れずにハウスに入れます。
ゆいま~る中沢では、3月15日に見学会を開催します。参加ご希望の方は0800-800-7037へお申込みください。皆さまのお越しをお待ちいたしております。
↑ここ数日で、ずいぶんと暖かくなりました。我が家の近くにある無人農産直売所には、紅白の梅の花がいけられています。目が覚めるように梅の花びらが開いていました。
【スクーリング7日目】
今日は、「排泄の介助」「レクレーション体験学習」です。
今日のメインは、なんといっても「排泄の介助」です。私たち受講生の中で、一番ドキドキと不安が入り混じったのはこの講義です。今日は、布製のオムツ、紙オムツのやり方、ポータブルトイレへの誘導等について学びました。まずは、介助される側になり、オムツをしてもらいます。人からオムツをされるのは、赤ちゃんの時以来です。はじめは布オムツをしてもらい、それから紙オムツに交換されるという流れです。みんなに見られながら、股を開かれ、恥ずかしい気持ちでオムツをしてもらいました。(服の上からですが…)
教科書には、「排泄を自分自身で管理できるということは、人間にとって最も基本的なニーズであり、健康的な生活を維持する上で重要なことです。排泄の世話を受けることは、気がねや遠慮をしたり、プライドが傷ついたりなど、様々な精神的な苦痛を伴います。したがって、介護者は排泄の援助を受ける利用者の不安や苦痛を理解した上で、深い思いやりをもって介助することが大切です。」と書かれています。
自分が介助される側ならば、一番抵抗があるのは、排泄です。「排泄を人に頼むのは申し訳ない…。トイレにも行けなくなってしまったんだ…。失敗して、衣類や寝具を汚してしまったらどうしよう…。」いろいろな不安が頭をよぎります。
排泄という、最もプライベートな部分を、他人の力を借りなくてはいけないということに、やはり抵抗感があります。介助する側、介助される側は、対等関係にあるべきですが、やはり排泄に関しては、どうしても介助される側には、「排泄は汚いこと、人には見せたくない。」というタブーの気持ちが強いのが、否めません。
小学校の時を思い出してみると、授業中にトイレに立った子がからかわれたり、女性のトイレには、排泄音を消すための、流水の人工音が流れる機械装置もあります。私たちの文化の中で、「排泄」というのは、隠すものであり、あまり声を大にして語られることではないように思います。
そういったことを考えると、介助する側が「排泄」というプライベートな部分を、実際に援助する中でどう配慮しながら行うかということが大切なことであり、また介助される側も必要以上にタブーにしない開かれた場づくりというのも、大切であると感じました。それは、小さな時からそういう場がないとなかなか難しいのかもしれません。
「うんち」や「おしっこ」を当たり前のように明るく語る場ということが、必要だと感じています。そして一方で、「恥ずかしい」という気持ちも、とても人間らしいものであると感じています。
介護の目的は、どうご利用者さんの自立を援助していくかということです。援助があれば、時間がかかってもトイレに自分で行けるということは、とても大切なことです。自分で排泄が出来るということは、やはり「自分が自分であるため」のとても大切な根っこです。たとえ1回失敗したからと言って、すぐにオムツということになれば、私だったら生きる気力がなくなるでしょう。
「自分でトイレに行けるうちは行く!」ということ、この当たり前のことを支えること、それがいかに人に生きる意味を与えているのか、それは私たちが想像する以上に大きなことなのかもしれません。
コミュニティネットの「ゆいま~る」シリーズ、東京福生市と多摩市にオープン
~ひとりになっても大丈夫~安心の杖「老後の暮らし方」
働く高齢者が社会を変える
―高齢者住宅入居者の新しい生き方―
3月3日は桃の節句です。
ゆいま~る食堂では、「ひなまつり特別メニュー」が登場。入居者30名、外部の方が12名、花菜の利用者やスタッフも入れて
全部で60名もご予約を頂きました。朝から食堂スタッフが煮物、団子、ちらし寿司などの準備に追われています。
開店時間の12時には、待ちきれないかのように外部の方や入居者が集まり席がみるみる埋まっていきました。ワクワクしながら重箱の蓋を開けると、彩も華やかな春メニューです。おしゃべりも華を添えて賑やかなひと時となりました。
メニューはちらし寿司・春野菜と鶏肉の炊き合わせ・えびのあられ揚げ・菜の花からし和え・潮汁・三色団子。写真はスタッフ用のお弁当を撮影したものですが、菜の花からし和えが足りなくなってしまい、急きょ代わりにデザートが入りました。
予想していたよりも申込が多く、食堂は嬉しい悲鳴!(でも菜の花を食べ損ねたスタッフはちょっと残念…)
春らしいメニューに、特別感たっぷりで皆大満足。「美味しかった!」の一言でスタッフの疲れも吹き飛びました。お彼岸には、ぼたもちの販売。4月はお花見弁当の販売も予定しています。ゆいま~る食堂で春の訪れを感じてください。
【3月9日(土)】
テレビ局 : BS-TBS
番組名 : 「グローバルナビフロント」
日時 : 午前10時~10時54分
特集 : 「東北に響く復興の槌音」
団地をリノベーションした高齢者住宅としてゆいま~る多摩平の森が紹介されます。
※報道状況により放送日が延期になる場合が有ります。
2013年2月21日「下野新聞」の記者リポートに、グランドオープン1周年を迎えた「ゆいま~る那須」が、「自由に支えあい 老い前向き」というタイトルで紹介されました。
雨上がりの空に、梅の花がポッ、ポッとかわいらしく咲いていました。
【スクーリング6日目】
今日は、「身体の清潔」について、学びました。主に、足浴やケリーパットを使った洗髪です。
今日のメインは、なんといってもケリーパットを使った洗髪です。ケリーパットとは、寝たままで洗髪をする際、頭を洗う時にかけたお湯がこぼれないように、お湯の流れ道をつくるための介助用具です。既製品もあるらしいのですが、今回は新聞紙、バスタオル、輪ゴム、洗濯ハサミ、セロテープで簡単にできる方法を教えてもらいました。
ベットの上で洗髪なんてどうやってするのだろう!とドキドキ。先生に教えてもらいながら、ケリーパットを作成。確かに慣れれば、パッとできそう。
実際に、ベットの上で洗髪の体験。今日は、2人の方に髪を洗ってもらいました。ベット上から、介助者を見上げていると、そんなに身体の大きい人でなくても、巨人に見られているように感じました。上からのぞかれていると、表情もわかりにくく、威圧感を感じます。介助者の立つ位置や、目線の高さがとても大切であることを痛感。安心してもらえるような声かけも必要です。
順番が後の方だったので時間が少なくなり、シャンプーを使用しないでお湯のみで洗髪をしてもらう。洋服もぬれることなく、快適に終了。洗ってもらった後は、とってもさっぱりとしました。魔法のような道具に、驚き!
このケリーパットの技術は、東日本大震災の際とても重宝されたと、先生がお話されていました。ホームヘルパーの仕事、特に在宅での介護の場合は、あるものをどう利用するのかということが大切で、臨機応変に対応する力が求められます。
洗髪後、さっぱりしたのもつかの間、身体が温まりリラックスしたせいなのか、他人に髪を洗われているという緊張感なのか、身体が非常にだるくなる。高齢者の方や体力が落ちている人であれば、洗髪や入浴も、体力がいることでしょう。
スクーリングも6日目。今まで体験したことのないことばかり。体験するということは、驚きの連続です。今まで見ていた世界は、一つの世界にすぎず、視点を変えただけでずいぶん違うものであることを感じています。
自分が体験し、驚いたり、嬉しかったり、気持ちよかったり、違和感を感じたりすることで、自分が介助する側に立った時に、「もっとこうしよう」という視点に立つことができます。【体験】+【想像する力】で、介護はずいぶんと違うのだと思います。「すぐにわかる・できること」が重要でなく、今の私に必要なのは、驚いたり、嬉しかったり、嫌だと思ったり、違和感を感じたりすることが、次の学びへとつなげてくれます。その感じる心を大切に持ちたいと思います。
そんなことを考えていたら、茨木のり子さんの詩を思い出しました。
汲む―Y・Yに― 茨木のり子
大人になるというのは
すれっからしになるということだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女の人と会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました
私はどきんとし
そして深く悟りました
大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです
私はこの詩を読むたびに、勇気づけられます。いい仕事の核には、震える弱いアンテナが隠されていることを…
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