ゆいま~る高島平オープン式典②感動の入居者ご挨拶
私は山が大好きで、30~40代は仕事に夢中になっていて、いつの間にかおひとりさまになっていました。確信犯とも言われます(笑)
退職時に衝動的に川口にマンションを購入しました。
そこは、大山をはじめ丹沢山系、富士山、秩父の山々、冬は遠く浅間山まで見えます。夏は板橋、戸田の花火も楽しむことが出来ます。そんなマンションで住み心地はよかったです。昨日も忘年会か新年会と称して私の送別会をするからねと言っていただきうれしかったです。離れがたいです。
そんな私がなぜ、入居しようかと思ったのはそこには安心が無いのです
私は大病もしたこともありませんし、入院した経験もないのです。両親が早く亡くなったものですから、介護の経験もありません。ただ、幼少時は病弱な子どもだったためいつも、どこかに不安をかかえていました。だから安心を求めたのだと思います。
当初は全く住み替える気はありませんでしたが、2年前、「高島平団地で住み続けるしくみを作る会」に参加し、月一度参加しているうちに少しずつ変わってきました。
その一つは、やまと在宅診療所さんが先生のお話しがあって、在宅で看取りをされている。開業して半年余りなのに30数名の看取りをされたという話に驚きもしましたが、自宅で終末期を迎えられるのだ!その瞬間高島平団地が心にストン入ったのです。若い先生であったことも感動しました。(笑)
また、団地の周りには大きな総合病院もあり、団地内のみなと歯科さんは歯科の訪問治療も受けられる。など医療設備が整っていることは安心です。板橋区には特養が13ケ所もあり都内でも一番多いと知り、高齢者にやさしい街つくりをされていると感じました。
2つ目は、東日本大震災の被災地を訪ねた時、高橋社長のお母様コウさんにお会いし、被災という大変な経験をされましたのに、生かされていることに感謝しバラバラになった地域のみなさんが集う場所として大船渡の屋台村で「おふくろの味えんがわ」という居酒屋さんを娘さんと一緒に営んでおられます。とっても笑顔の素敵なお母様でした。当時88歳でしたが6年後の東京オリンピックを見に行くとおっしゃっていました。人は人のために何かすることがあると、役に立ち自立していると元気に夢をもって生きられる。コウさんにお会いし心からそう思いました。
また、5月に地域プロデューサー養成講座のお手伝いをさせていただきましたおり、遠く北海道、東北、関西から20代から70代の方まで男性、女性ほぼ同数という方が受講され熱心学んでおられました。地域で何かをしよう!仕組みを作ろう!自分でも何かが出来るかもしれない!皆さんのそんな思いを肌で感じ、もしかして71歳の私にも何かできるかもしれない。と勘違いしたのです。
私は人生の最終章をゆいま~る高島平で自分のできることをし、やりがいを見つけコウさんのように素敵な笑顔で生きていきたいと思います。働き少しの収入を得、少しの贅沢が出来たらこんなうれしいことはありません。よろしくおねがいします。
UR都市再生機構の皆様には、ゆいま~る高島平は前例がなく、規制が多い中むずかしいこともあったかと思いますが、もっともっと現状に沿い可能な限り規制をゆるめ、隣は何をする人ぞ!という昔の団地ではなくコミュニティのある団地つくりにご協力していただけることをお願いたします。
私は昭和37年から40年ちかく赤羽台団地暮らしました。団地はふるさとです。
多くの方々に関わってできたゆいま~る高島平は、今度は住まい手にバトンを渡されました。心地よい住処として、地域に参加しながらコミュニティのある場所に積み上げていきたいと思います。
最後にゆいま~る高島平開設にあたり、2年もの間いろいろな仕掛けを作りながら今日までいつも変わらぬ笑顔と元気で接しいただいた(株)コミュニティネットのスタッフの方々にこころから御礼を申し上げます。そしてこれからもよろしくお願い申し上げます。