沖田美代ハウス長が自己紹介●「ゆいま~る」を取り上げたテレビ番組を見て「これだ!」と思い、縁あって入社しました
偶然にも、ゆいま~る大曽根を取り上げたテレビ放送を見て共感
今年(2018年)3月の始めに、いつもは夕方にテレビを見ることなんてないのに、 たまたまメ~テレでゆいま~る大曽根を取り上げた放送を見たのです(注)。 それで、「アッ、これだ!」と思いました。
注)2018年3月2日(金)の18時頃から放映されたメ~テレ(名古屋テレビ放送)の「UP!」 (特集タイトル「終の住みか、第二の人生を自分らしく」 )
私は在宅介護や住宅型有料老人ホームなど、これまでも高齢者に関わる仕事をしてきました。そこで内心忸怩たる思いで抱えていたある問題を、ここでは払拭できるかもしれないと冒頭のテレビを見たときに直感しました。それからしばらくして、縁あってゆいま~る神南のハウス長として本当にここで働くことになりました。
健康だった父が亡くなり、元気なうちに先を考えることが必要なのだと思いました
実は昨年(2017年)、父を亡くしました。病院とは無縁の健康な人でしたが、病気が発見されてから半年くらいで亡くなってしまいました。人間、何があるか分からない。年をとったら、年相応に先々のこと、段取りなどを考えておくべきだなぁと思いました。それまでもいろいろな高齢者と接しながら何となく考えてはいたのですが、自分の親が亡くなったことで、人の人生を改めて考えることになりました。父が病院に入るとき、一切仕事から離れて、病院に泊り込んで、いろいろ考えました。
いろいろなことが重なっているときに冒頭に申し上げたテレビ放映を見たのです。自分の将来に向けて準備をする実例を追った構成の番組になっていて、それが父の状況と重なりました。父が亡くなって一人になった母のことを考えると、まだ元気なうちにちょっと先を見て、住み替えるなり、自分のライフプランをスケジューリングするようなことは、やはり必要なのだと思いました。
今までと変わりない自由な暮らし、しかも背景には安心が
ゆいま~る神南はほかの高齢者向け住宅と何が違うか―――「今までと何ら変わらない生活ができるけれども、背景には安心がある」、手短かに言うとこういうことだと思います。それが、私が冒頭のテレビ番組を見て覚えた感覚そのものだと思います。出入りするときにフロントの前を必ず通る作りの高齢者住宅とは、ここが大きく違うでしょう。
介護が必要な方々を中心とした従来型の高齢者住宅でも、まだまだお元気な方が入居しています。でもそういう方は、なかなか自由にお出かけすることができないのです。やはりスタッフとしては、何かあったときのことを考えると勝手に外出することを認めるわけにはいかない。そういう方が、実はたくさんいらっしゃいます。
私もそういうところで働いた経験があり、そういう方が結果的に閉じ込められたような生活を続けていくと、本当に弱ってしまうと感じてはいました。悩ましい思いを抱えていました。本人は自分でバスで行ける、電車で行けるとおっしゃる。でも息子さんや娘さんからは、危ないので一人では外出させないようにしてくださいと求められる。やはりルール上、お一人でお出かけしていただくわけにはいかない。家族の方の希望よりも本人の思いを優先することはできないのです。すごく悩ましい問題です。
この方たちに適度な見守りがあって自由に暮らせたら、ずっと元気に過ごせるのに・・・。束縛があるために弱らせているのかもしれない―――そういう感覚が私の中にずっとありました。だからゆいま~るのテレビ番組を見たときに、「アッ!これだ!」と思ったのです。
楽しく暮らせば細胞レベルで元気になる
同じ分散型サービス付き高齢者向け住宅であるゆいま~る大曽根の石黒ハウス長は、「ゆいま~る大曽根の特徴は楽しいこと。楽しく暮らせること。それで、前より元気になる」と言います。ゆいま~る神南も同じです。
人は機械ではありませんが、高齢者の衰えていない機能・性能を生かす、あるいは衰えさせないのがゆいま~るだと思います。私は、入居者とそういう関わり方で仕事をしたいと思っています。入居者を支えていく、暮らしを支えるところは、これまで私がしてきた仕事と同じですね。
そう、そういう対応は育児に似ていますね。手を出せばよいというものではない。見守りも立派な支援、どうしてもできないところは手を差し伸べていっしょに考えるということだと思います。
石黒さんが言うように楽しく暮らせば、細胞レベルで元気になるでしょう。生活をスタッフに依存する場所と違って、入居者は「自分でやらないと」と思えば必然的にしっかりされる。「自分でできることは自分でやる」ということを、必要なときにはサポートしますという姿勢で対応していきたいと思います。
(2018年10月5日 ゆいま~る神南 沖田美代ハウス長談)