わっぱの会の資源買取りセンターが先行オープン!!

ゆいま~る大曽根とともに大曽根地域コミュニティをつくっていくわっぱの会。
2018年4月、大曽根住宅1階300坪が「ここからの風おおぞね」(仮称)としてコミュニティスペースに生まれ変わります。その準備室が10月7日、大曽根住宅1号棟1階南端の小店舗に先行オープンしました。資源買取センターが動き出し、さっそく近隣の方から次々と資源が持ち込まれていました。

不要になったあき缶やペットボトル、古着などを買い取り、重さを量ってポイントが付くしくみです。ポイント分が換金されるのですが、来春コミュニティスペースに開店する資源カフェで使用する場合は、ポイントが倍になっており、お得です。

10月7日、ゆいま~る大曽根オープン記念式典の日、これまでスタッフがためてきた缶やペットボトルを持参、会員カードを作ってもらいました。このままポイントを貯めて、来春、資源カフェがオープンしたら使ってみたいと思います。

津島市で資源カフェを開き、わっぱの会の資源カフェを応援する浅井直樹さん(一般社団法人しげんカフェシステムズ代表理事/元津島市職員)は、「市役所にいるときに、税金を使い続けるリサイクルは限界があると感じ、早期退職して津島市で資源カフェを始めました。資源がビジネスとして成り立つかを実証したかったのですが、大曽根住宅では、地域のコミュニティの再生として資源カフェを位置づけたいということでした。コミュニティの再生とリサイクルを、経済のしくみとして成り立たせる初めての試みになります」と期待しているようすでした。

引き続き、有機野菜や無添加わっぱんの販売も始まります。「ここから」新しい「風」を起こしてく「ここからの風おおぞね」(仮称)準備室。本格オープン前の拠点として、期待したいです。

★ここからの風おおぞね(仮称)準備室★
資源買い取りセンター 毎週日曜日10:00~18:00
有機野菜販売     毎週土曜日14:00~17:00
*10月21日にスタートしましたが、いったん販売を停止しています(11月21日記)
わっぱん販売     毎週水曜日11:00~17:00
休日 毎週木曜、金曜日
※今後、セミナーやサロン等も企画していきます。

問い合わせ先:052-919-6677 ここからの風おおぞね(仮称)準備室(わっぱの会)

ゆいま~る食堂 11月上旬メニュー

紅葉シーズンになり、心地よい秋晴れの日が増えてきました。
ゆいま~る食堂では15日にポトフ
16日にさんまの押しずし(新メニュー)が登場!

秋の味覚を楽しめるお料理をぜひお召し上がりください♪

↓クリックして拡大↓

ハロウィンパーティー

10月31日、ハロウィンパーティーを開催しました。

近隣の保育園の子供達が、今年もやってきてくれました。

利用者の皆さんに手伝って頂き、お菓子をプレゼントしました。

子供達に歌をプレゼントして頂き、皆さんとても優しい表情をしていらっしゃいました。

昼食は皆でカレーライスを作りました。

とても美味しく出来上がり、皆さんご満悦のようでした。

午後からは、ハロウィンコンサートを開催しました。

スタッフも利用者も仮装して、気合は十分です。

今回はいつも来てくださるギターの菊池さんたちに加えて、アコーディオンの小林さんにもお越し頂きました。

小林さんは、オカリナや尺八も披露してくださいました。

「荒城の月」や「遠くへ行きたい」など、約15曲ほどの演奏でした。

素敵な伴奏に併せて皆さんで合唱しました。

とても楽しい会になり、皆さんとても喜んでいらっしゃいました。

安心ある暮らし・・ミスから学び、改善していく

今回は、フロント業務でのミスをスタッフ間で話し合い、改善につなげた話をしたいと思います。

2017年6月初旬での出来事。入居者安否確認時、1室のみ入居者が安否確認ボードにマグネットを付け忘れていました。スタッフは確認表にチェック印を付ける時、見落としてしまいましたが気が付かずに、そのまま数時間経過し入居者がマグネット付け忘れを気付き発覚しました。

スタッフ間で、安否確認の重要性の認識と注意力不足を話し合い、生活の安心の根幹であることを共有しました。

 そして、再発防止策として、今まで一人で行っていた安否確認をスタッフ2人でそれぞれ確認することを入居者にお知らせし実行しています。

これからも、フロント業務を行ううえで、事故を100%防ぐことは難しいと考えます。少なからず、ミスや間違いはあると思います。これからもダメだった、できなかった・・ではなく、どうすれば、限りなく、事故ゼロに繋げることができるのかを話し合って、防止に努めていきます。

1周年記念イベント 巣箱製作 2017年10月5日(木)

10月5日(木)13:00から、西淀川区社会福祉協議会ふくふくにて、近藤さんと村木さんと山守さんと中田さんと居住者1名とスタッフ1名で、側面と棚板を付けました。

まずは材料の買出しに近くのホームセンターへ行きました。

「小さなベニヤ板を2枚買うよりも、大きな板を買ってカットした方が値段もほとんど変わらないね」

「残った板で黒板も作れるし」

アイディアに感謝です、ワクワク感も増します!

カット代は10カットまで無料のアプリを持っているため、今回も無料ですることができました。

とてもありがたいサービスです。

できあがっている枠組みはとても丈夫な物ですが、更に丈夫にするため、本を置く棚にも補強となる木を付けます。

同時進行で、側面の板を大きさに合わせて調整する作業もしました。

このメンバーで大工作業をするのは初めてなのに、チームワークの良さに改めて感動しました。

仮止めの小さい釘を打ってから、しっかり止めるための釘を打ち付けます。

どうしても反ってしまう板のズレは、カンナで削りました。

「使うか分からなかったけどカンナを持ってきた」とのこと、さすがです!

「かっこ良く写真撮りました!」

 

(笑)

次に棚板の取付けです。

しっかりと板をはめ込むため、四隅の支柱分を切り取ります。

大きさを合わせても板の歪みがあるため、とても難しい作業になりますが…

ぴったりはまりました、さすがです!

最後に、背面の板を付けて、立派な棚の完成です!

巣箱完成後、色塗りは居住者とスタッフとで行います。

難しいのではと心配に思っていたところ、山守さんが塗装の基礎知識の書かれたものをくださいました。

嬉しかったです。

次回は10月10日(火)に、扉と屋根を付ける予定です。

 

 

 

 

ぐり~んフォトギャラリー

ぐり~んはぁとの廊下には地域のボランティア
の方がお持ち頂いた写真を飾っています。

季節に合わせボランティアの方が​写真を
入れ替えて下さいます。
利用者の皆さんは写真を楽しみに歩行練習を
されます。

季節をお知らせするぐり~んフォトギャラリー
皆さん一度、ご覧ください。​

暮らし、見守り、見守られ、生き切り、逝った母

(注) 本記事は、ゆいま~る那須で暮らす櫛引順子さんが一般社団法人コミュニティネットワーク協会が発行する『100年コミュニティ』2017 60号(2017年11月1日発行)に投稿した記事を、了解をいただいてここに再掲載したものです。

 

 


今夏、ゆいま~る那須で暮らしていた櫛引美智さんが亡くなられました。最期まで自分らしく生き旅立たれた美智さんのゆいま~る那須での生活、そして容態の急変から逝去、友人たちに見守られるなかで執り行われたハウスでのお別れ会までの流れを、娘であり共同生活者であった順子さんが振り返ります。


<執筆●ゆいま~る那須 櫛引順子>

参考になった隣人のお別れ会

今年2017年8月10 日、母・美智はデイサービスへ向かう車の中で体調が急変。救急搬送され、搬送先の菅間病院にて、同日午後3時47 分、急性心不全で逝去しました。享年9 2 でした。

母は「ピンピンころりで逝きたい」と常々話し、私は「本人はいいかもしれないが、周りは迷惑」と返していました。

思い起こせば昨年4月、私と母がゆいま~る那須に入居した数日後に隣の方が急逝されました。9 0 歳を越えて1人暮らしの男性でした。入居の挨拶に伺うと、「男手が必要なときはいつでも言ってください」としっかりとした口調で対応してくれました。前日まで食堂で食事をされていたそうです。

彼のお別れ会は、ゆいま~る那須の自由室で行われました。好きだった音楽を流し、参列した入居者の方々が献花。家族の方が故人のお人柄、暮らしぶりを語る簡素で心癒される温かいお別れの会でした。

その様子を見て母は、「私もあれがよい」と言いました。入居時にいただくライフプランに記入する際、葬儀の参考にさせていただきました。母からは「お棺に掛けてほしい」とパッチワークの壁掛けと、「葬儀で流してほしい」と音楽テープを預かりました。バッキー白片のハワイアンと宮城道雄の「春の海」でした。

東京にいた頃よりも楽で安心

不便も覚悟のうえで入居を決めたゆいま~る那須でしたが、送迎車「ゆいま~る号」の利用で病院への通院や買い物は東京にいたころより楽になりました。ハウス内の催しは、音楽カフェ、喫茶「ゆいま~る」、映画会、居酒屋と多彩で、人との交流の機会も増えました。私の友人も入居しており、母とも旧知の仲でしたのでそれも大きな安心となりました。

入居して半年が過ぎた頃、フロントと相談をして要介護認定の申請をしました。「1人で『ゆいま~る号』に乗って出かけたい」が母の希望でした。その後要支援1に認定され、デイサービスの利用を検討することになりました。リハビリができるデイサービスを条件に事業所を見学し、今年2月から「おひさまデイサービス」に毎週木曜日、送迎付きで通い始めました。マッサージを受け、機械を使って体操をし、昼食を食べて帰る半日の利用です。外出プランにも力を入れているところで、3月には道の駅「那須の与一の里」へ出かけ、つるし雛を見てお菓子など買ってご機嫌で帰ってきました。「良いときに行き始めた」と喜んでいました。

6月にデイサービスで母の誕生会がありました。大きなケーキを前に嬉しいそうにほほ笑む母のステキな写真を記念にいただきました。「よい写真をもらった。遺影にちょうどよい」と、2人で話し合いました。通夜、お別れ会ではその写真を使うことになりました。

ルールを決め、親子で共同生活

母は北海道出身で、1 0 代のときに母親、兄、妹と共に上京。幼くして父親を亡くし、祖父母、叔父のところで育ったそうです。母は顔の右額から目の周りに生まれながらのアザがありましたが、化粧でそれをカバーし、おしゃれのセンスを磨き、アザを気にさせないように生きてきたのだと思います。人に後ろ指をさされないよう、ルールを守り、注意深く暮らした人でした。

私は若い頃、母がアザを隠していることが父との問題に蓋をして生きていることと重なると、母に反発しました。そのこともあり、就職を機に家を出て友人と共同生活を始めました。当時は共同生活をすることが流行っていて、私も高校の友人と暮らしたり、一軒家を数人で借りて暮らしたり、いろいろな暮らし方をしました。

母と再び暮らすようになったのは、平成元年(1989年 )からです。当時、私は1人暮らしをしていました。母も離婚してパート勤めで1人暮らし、弟は就職して関西に行っていました。正月に私が風邪で寝込んでしまったとき、母も不調だったことを知り、改めて一緒に住むことを提案しました。親子ですが共同生活者として家事やお金のルールを決め、2人の暮らしが始まりました。

その後、母は生活科学研究所の生活コーディネーター養成講座を受講。60 歳を過ぎてから大阪のシニアハウス江坂で正社員として働くことになりました。そして私も生活科学研究所へ転職し、一緒に大阪で働くことになりました。

仕事をともにすることで、母の仕事場での有能さを知ることになります。几帳面で丁寧な仕事ぶりでした。住み込みの生活コーディネーターは大変そうでしたが、やりがいのある仕事を得て、給料を自分の裁量で使えることもうれしかったようです。私の友人が大阪まで来てくれて一緒に食事をしたとき、テーブルいっぱいに注文の品を並べて、嬉しそうにもてなしてくれたことを思い出します。

そういえば今年の春、母は2回のお花見をしました。デイサービスとゆいま~る那須のお花見です。デイサービスのお花見では南湖団子を3箱買って帰って来ると、「すぐ渡しに行く」といって旧知の友人を訪ねました。うれしそうで満足そうな笑顔でした。「友達は大事にしなさい」と母から言われたのはこの頃です。人を喜ばせること、人前に出るときは身支度を整えて、工夫を重ね、きちんとすることを貫いた母でした。

自由室で行ったお別れ会

デイサービスへ行くための準備は、数日前から始めます。最後となった日も2日前には身体マッサージを受け、当日着ていく服をいくつか並べていました。前日は私も少し手伝って髪洗し、当日は選び抜いた服を着て「靴下は黒」としっかり指定。化粧を終え迎えの車を待つ間「、眼鏡、補聴器、入れ歯」と自分で指さして確認。髪は1週間前、デイサービスでカットしてもらったばかりでした。

その日、デイサービスの送迎車を見送ってから30分が過ぎた頃、車を運転していたスタッフから母の容態の急変を告げる一報が入りました。すぐフロントへ連絡を入れ、入院準備をして搬送先が決まるのを待って、ハウス長とともに病院に向かいました。病院に着き、東京に住む弟へ連絡すると、仕事で上野に向かっているとのこと。仕事をキャンセルして来てくれました。

医師から「危ない」と告げられ、「今日、明日ですか?」と聞き返すと「数時間です」といわれました。母とは「延命治療はなし」の確認をしていましたが、私は驚き、慌てました。弟が到着して間もなく、母は息を引き取りました。木曜日で翌11日は祝日。1 2 日の土曜日に通夜、13日の日曜にお別れ会をゆいま~る那須の自由室で行いました。

しっかり後ろ姿を見せて逝った母

今思い返すと、私が母をゆいま~る那須へ連れて来たように思っていましたが、母がいたから、母に背中を押してもらったからこそ那須に来られたのだと思うようになりました。母は「おひとり様」の私を心配していたのだと思います。友人がいて、生活コーディネーターがいて、いろいろな集まりがあるゆいま~る那須での暮らし、緑豊かな環境に安心したのだと思います。

お別れ会の前に、私は母の化粧直しをしました。アザが見えていたので、ファンデーションを塗り、粉をはたいて目立たなくしました。化粧をしない私ですが、母が「見せたかった姿」は大事にしたいと思いました。

母との暮らしの中で喧嘩もしましたが、母が好きなもので私も楽しめるものを探し、逆に私の好きなものに付き合ってもらったり。コンサートに出かけ、おいしいものを食べに行ったりと楽しい時間を一緒に過ごしました。母を見守り、母に見守られたのだと思います。

母はしっかり後ろ姿を見せて逝きました。私も友達を大切に、ハウスのみなさんに見守られ、見守って、笑って生きていきたいと思っています。合掌。